玄人が絶句する素人の質問
大学院の講義で、太陽光線のスペクトルの話をした。青空はなぜ青く夕焼けはなぜ赤いのか、植物の葉はなぜ緑色をしているのか。砂糖や雪が白く見えるのはなぜか。それは物質による光の散乱や吸収と関連があるのです、と話しているうちに、一番前に座っているS君が目を丸くして何か問いたそうにしているのに気がついた。
「何か質問があるかね?」
「先生、光に色があるのですか?」
[この瞬間の私の頭の中]
光に色があるかぁ〜?って、彼はいったい何を聞かんとしているのだ?
→単色光線を横から見ても色がついては見えないということだろうか?
→まさか光の波長と虹の七色の関連を知らないのではあるまいな?
→しかし、光に色があるわけじゃなくて、網膜と脳とが色を感じるのだ。
→光の波長は客観的特性だが色というのは主観だから、ここには厄介な認識論上の問題がある。
→私の見ている赤と他人の見ている赤が同じものであるということは、どうしても証明できない。
→えーと、たしかゲーテに「色彩論」というのがあって、この問題を論じているらしい。
→だが私はまだ読んでないし・・・。
→むむ、何と言う奥の深い質問だろう・・・。
というわけで、私はしばし絶句してしまったのだ。考え過ぎだったかも知れない。
どうも「光」というのは玄人にも素人にも永遠のナゾであって、絶句させられる質問が多いようだ。以下はある高専の教授をしている知人のTさんが伝えてくれた話である。ここにTさんの話をほとんどそのまま採録させて頂く。
高専を定年退職するX教授が、全校集会で次のような挨拶をした。
・・・さて皆さん、最後に大変重要な未解決の問題があることを述べておきたい。それは電磁波がなぜあんなに大きな速度(=光速度)で伝わるかということである。私は学生と一緒にこの問題を考えてみたことがあるが、結局、分からなかった(そりゃそうだろう)。なんでも電気情報通信学会でも、この問題についてシンポジウムが行われたそうであるが(ほんまかいな?)解決できなかったということである。この問題を解決すれば科学上の大きな成果となることは間違いない。皆さん是非、挑戦して頂きたい。
疑問に思ったTさんが、まわりの同僚に「彼はなにを言っているのだろう」と尋ねたが、まじめに聞いている人はいなかったようだ。そこで、X教授をつかまえて真意を正した。
Tさん:おっしゃりたいことがよく分からなかったのですが。
X教授:だから光などの電磁波は簡単な装置で作れるのに、なぜあんなに速く飛ぶのか、ということです。
Tさん:(簡単に作れることと速度との間に関係があるのだろうか?)
X教授:あなたは不思議ではないのですか?
Tさん:真空中を伝わる電磁波は媒質中を伝わる音波のような波ではありません。その速度が不思議とか不思議でないとかの問題ではなくて、単に受け入れるしかない事実だと思いますが。
X教授:それなら光の動力源は何なのですか?
Tさん:ど、どうりょくげん?
X教授:光を高速で伝える動力源ですよ。あなたは不思議ではないようだが、それなら何で電気情報通信学会で問題にされたのですか?
Tさん:(それを私に聞かないで下さい)それでは光の速度が秒速1mぐらいなら不思議ではないのですか?
X 教授:そうですね。それなら納得しますよ。秒速1mならよくある速さですから。
結局、二人の話し合いは最後まで噛み合わなかったようである。
正真正銘の素人の代表として、私の母親にも登場してもらおう。
ある時(多分、それは正月の元旦ではなかったかと思う)母は私の顔をまじまじと見つめて
「まだ研究することがあるのかね?」
と尋ねた(太字のところにアクセント)。きっと彼女の頭の中には
「問題があった」→「研究した」→「解決した」→「おわり」
という図式があるのではないかと思う。
母は80歳を越えた今もかくしゃくとしており、無邪気で辛辣な質問で私を絶句させてくれている。彼女はつい最近まで「今、老人問題が大変なのよ」と言いながら、調査の仕事で外を飛び回っていた。
(May 2007)