天気予報

 気象庁から出される天気予報が、ある時から、雨が降るか降らないかを確率で予報する「確率予報」になった。この時の大方の反応は
「あっ、ズルい」
というものではなかったろうか。何しろ
「明日の天気は今日と同じでしょう」
と毎日言い続けていた方が、なまじ予測するより適中率が高い、と言われていた頃のことだから。

 気象庁といえども業務成績の自己評価みたいなことをやっているはずである。当然、予報の適中率が評価の対象になると想像される。「明日は雨」とやっていた頃は、ことは簡単だったが、確率予報になって、この適中率をどう算定するのか、考えてみると、ちょっと頭の痛くなりそうな問題だ。そこが狙いだったのではなかろうか?と、こう邪推したくなってしまうんですね。

 それでも一日、二日先の天気を予測する短期予報は、昔に比べて格段によく適中するようになった。今では「天気予報」などと言わずに「気象情報」と呼んでいる。立派なものである。

 しかし、数カ月先の気象を予測する長期予報は、相変わらず当たらない。これは今の技術では(というより原理的に)当たらないのが当然と思われる。それをまことしやかに
「8月の中旬には雨の多い日が続き、気温が一時下がりますが、下旬にかけて再び猛暑がぶり返し、9月中旬まで晴天で暑い日が続くでしょう」
などとやられると笑いたくなる。これって
「あなたは半年後の日曜日にどこそこの公園で財布を拾うでしょう」
と言っているのとほとんど変わらないのじゃないですかい?
 2、3年前の夏は、長期予報では冷夏のはずだったが、あにはからんや猛烈な暑さになった。この年の夏の終わり頃、NHK教育テレビの番組を見ていたら、気象庁関係者と思われる先生が出て来て、なぜ予想に反して猛暑になったか、を説明してくれた。何でも暖水塊がマダガスカル沖かどこかに居座り、そのため北極の寒気がヒマラヤ山脈上空でブロックされ・・・と理路整然、見事な説明だったが、私は
「それを半年前に言うのがあんたの仕事じゃ!」
と思わず広島弁で叫びたくなった。

 当たらないことが分かっているのに、気象庁が長期予報をやめないのには訳がある。時を司ることは天智天皇以来の朝廷の仕事であり、気象庁というお役所は、実はひそかにその役目をになっているのである。その証拠に、毎年出る「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」、あれは明らかに、お役所が天候に向かって命令を下しているのである。と、これも私の邪推であるが、ま、とにかく頑張っていただきたい。

おまけ 絶対はずれない天気予報

「どうでしょうねえ、家主(おおや)さん。あしたの天気は?」
「うーむ。あしたは雨が降る天気ではないなあ」
翌日、大雨になって
「ひどいや、家主さんの言うこと信じて傘持たずに出かけたら、ずぶぬれになっちゃったよ」
「だからあたしが言っただろ。”あしたは雨が降る、天気じゃない”と」

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