風が吹いても痛い病

 初めて痛風の発作を経験したのは、今から15年ほど前のことである。その年の夏に韓国のソウルで 4回目の「アジア太平洋物理学国際会議」があり、私も招待された。出発の2、3日前の朝、何だか右足の親指の付け根がムズムズ痛いと思っていたら夕方には激痛に変わった。翌日、必死の思いで車を運転して(痛くてアクセルが踏めない)病院に行ったら診断は「痛風」だった。
 それでも私は歯をくいしばって韓国に行きましたよ。20年ぶりに見るソウルが懐かしかったので、宿舎で寝ていればいいものを、激痛をこらえて街を歩き回ったりもした。K先生が可愛いお嬢さんを連れて参加されていたが、市内のexcursionで、二人の後を足を引きずりながら歩いたのは悲惨な思い出である。

 痛風の発作は血中の尿酸濃度が異常に高くなって、体組織の中で微結晶として析出するために起こる。この頃、私は超微粒子(量子ドット)の理論をやっていたので、
「研究熱心のあまり、足の指先で微結晶育成をやっているのです」
と破れかぶれでひとに説明したりした。

 一旦、痛風の発作が始まったら、もう何をしてもダメである。恐れ入ってひたすら耐えるしかない。幸いなことに一週間もすれば痛みは自然におさまり、何ごとも無かったかのように治ってしまう。しかし、そのままほっておくと、ほとんどの場合、いつかはまた発作が起きる。これを防ぐには、毎日、血中の尿酸値を抑える薬を飲み続けなければならない。ものの本を読むと、高尿酸血症について、いろいろ恐いことが書いてある。それで私も、一時は定期的に医者に通って薬を飲んでいたこともあった。しかし、堺東のお医者さんは、診察のたびに
「ビールはいけません。ひかえて下さい」
とこわい顔で言う。
「はい」
と殊勝に返事していたが、約束を守ることは到底できそうにないと思うと、お医者さんの顔を見るのが次第に苦痛になり、足が遠のいてしまった。それに私は基本的にはクスリというものを信じない野蛮人である。

 最近、自ら痛風持ちである鹿児島大学医学部の先生が、自分の身体を実験台にして尿酸値とビール飲量の関係を調べた結果を発表している。(この先生の酒量は並みじゃない。)その報告によれば、ほどほどであれば毎日飲んでもほとんど両者に相関はなく、むしろストレスの影響の方が大きいということだ。こういう人こそ医師の鑑というべきではなかろうか?

 痛風の発作は、その後も2、3年に一回ぐらいの周期で起きる。私よりずっと尿酸値の高い友人がいるが、一度もこの苦しみを経験したことがないという。神様の不公平を感じる。なぜか女性にはほとんど発病例が無いというのも不公平だ。

 痛風の痛みは経験者にしか分からないだろう。その形容は「風が吹いても痛い」「横で人が動いても痛い」などなど。私は「足の甲に五寸釘を打ち込まれる痛さ」というのが適切な表現だと思う。海外に出かけて、教会の中でイエスキリストのなまなましい磔刑像を見ると、自分の痛風発作を思い出す始末だ。

 特殊な食生活と激しい運動のせいか、大相撲の力士には痛風持ちが多いという。しかし、世の中に相撲と痛風の取り合わせほど悲劇的なものはない。考えてもごらんなさいまし、七勝七敗で迎えた千秋楽に突然の痛風発作。これはもう地獄絵でございますよ。

 アレクサンダー大王、フリードリッヒ大王、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ダンテ、ルイ14世、ナポレオン、ゲーテ、ニュートン、ダーウィン。この錚々たる面々は皆、痛風持ちだった。ものの本によると「高貴な家系に多い帝王病」とか、「贅沢な食生活が原因」とか書いてある。私は絶対に信じないが。また、「攻撃的性格の持ち主に多い」と書いてある本もある。確かに上の豪華メンバーを見るとそんな気もしないではないが、これは差別発言ではないのかね?

 量子ドット育成中

 今年の夏、2年ぶりで発作が起きた。夜中に唸っている私を見て、妻は
「あんたは人の親切を素直に受けないからやだよ」
と言いながらも、湿布薬を貼ってくれた。子供の頃、机の角に頭をぶつけたり、扉に指を挟んだりして痛い思いをすると、祖母はよく
「ほーら、神様のバチがあたった」
と言って笑った。そう言われると、きっと何か思い当たることはあったのだ。今度は一体、何のバチがあたったのかと、私は浮かぬ気持ちで考えている。


 

 

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