年の比なんて

 最近、わたしは「年をとると誰も同い年になってくる」という驚くべき法則を発見した。これは実感である。ニュースに出てくる著名人の年齢や新聞の訃報欄に載っている享年などを見ると、どれもわたしと同い年にしか思えない。

 この法則は物理的にはしごく当然と思える。なぜなら物理では物理量の数値の差ではなくて、常に数値の比が問題になるからだ。私は年の差よりも年の比こそ重要だと主張したいのだ。

 幼いときは、2,3歳の年の差が能力的にも大きな違いをもたらすが、この違いは年齢が上がるにつれてどんどん小さくなり、普通に逆転したりする。オギャアと生まれたばかりの赤ん坊と母親の年齢の比は、子供を基準にとれば無限大だが、これは年をとるにつれてどんどん1に漸近して同い年に近くなってくる。いま深刻になっている「老老介護」の問題は「年の比問題」と言ってもいいくらいだ。部活動の先輩後輩のやかましい上下関係なども年の比で考えればなんてことはない。

 60代の男性が20歳も年下の女性と結婚すると、やっかみ半分で「年の差婚」と話題になる。「年の差なんて問題じゃありません」と当事者のコメントが出たりする。なに、比をとればたかだか1のオーダーだ。どうせなら「年の比なんて問題じゃありません」と言えるほどの「年の比婚」をしていただきたいものだ。


                                  (Feb. 2013)


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