なぜ図書館にはお婆さんがいないのか?

 私は現在 非常勤の仕事をしていて、一週間のうち、すずかけ台にある研究所に通う義務があるのは月曜日から木曜日までの四日間で、金曜日は「勤務を要しない日」になっている。しかし、実際には金曜日もほとんど出勤していて普通のサラリーマンと同じ生活をしている。なにしろ東京の北の端にある自宅から大東京を斜めに横切って横浜市まで、往復3時間以上かけて通勤するので週末にはかなり疲労が蓄積される。それでも金曜日に出かけるのは、仕事が慢性的にたまっているためであるが、「定期代がもったいない」というマネージャー(私のカミさん)の理不尽とも思える圧力のせいでもある。細かい話で恐縮だが交通費は自前なのだ。

 だから、たまの金曜日に出勤せず家にいるのは、私にとって不思議な解放感といささかの罪悪感を覚える微妙な体験である。学生時代に、一日講義をサボって家でゴロゴロしていた時の記憶がよみがえる。自分は未来に向かって自由だ、という感覚と、社会の落伍者になったような後ろめたさが表裏一体になったあの気持ち。もっとも今の私には、もうあまり未来はないのだが。

 そういう特別の金曜日、マネージャーは「家にいるより図書館に行ったら?」とおっしゃる(軽い圧力)ので出かけた。この図書館というのは北区の中央公園にある立派な施設である。平成20年に、今の形に完成した。もとはこの場所は陸上自衛隊の施設になっていた。戦前には、このあたり一帯には古くから陸軍造兵廠という軍事施設があり、戦後は一時、米軍に接収されていた。図書館の一部は、古いレンガ造りの造兵廠の倉庫を生かして作られている。そのため「赤レンガ図書館」ともよばれる。絵になるしゃれた造りだ。

 ここは私の通った中学校からも近い。美術の時間に、このあたりに写生に来たこともある。その時、私はこの廃墟になっていたレンガ造りの建物を水彩画に描いた。この絵は美術の先生に褒められ、自分でも渋い色使いが気に入っていて、長く手元にとってあったのだが引っ越しのどさくさの中で紛失してしまった。私の廃墟に対する好みは、この頃からあったようだ。

l

        北区図書館内部[1]

 

 自宅から図書館まで、歩くと30分ほどもかかる。中学生の時は、ずいぶん遠くまで通っていたのだと思う。いつ行っても、図書館の中には多くの人がいる。ガラス戸で囲まれた中庭を中心にした明るいモダンなデザインである。北区の名誉区民であるドナルド・キーン氏の寄贈によるコーナーも設けられている。書籍も充実していて私は気に入っている。最近、安藤陽一著「トポロジカル絶縁体入門」を借りようとしたら「貸し出し中」になっていることを知り、ビックリした。

 ところで、図書館の中には閲覧と勉強のための机と椅子も用意されているのだが、いつも満席である。若い人も多いが、よく見ると白髪の年配者がとても多い。みなさん熱心に本を読んだり、何かノートをとったりしている。あるとき、年配者のほとんど全てが男性であることに気がついた。要するに図書館には本を読んでいる爺さんは多いが婆さんがいない。これはちょっと不思議なことではなかろうか。

 その原因だが、高齢の女性は同年齢の男性に比べて知的好奇心が若干劣るという残念な理由もあるかも知れない。知的好奇心とは、「とりあえず毎日の生活に直接関係のない事柄でも知りたいという欲求」だから、毎日の生活に心を砕いている女性には、なかなか図書館に行くモチベーションは上がらないのかも知れない。

 かくして高齢の女性は、家に居つく。家を占拠すると言ってもいいだろう。そして、仕事をリタイアして毎日、家にいるようになった夫に「図書館にでも行ったら?」と軽く圧力をかける・・・。おやおやこれは私の近未来?

[1] http://www.city.kita.tokyo.jp/chuo-tosho/bunka/toshokan/index.html

                                        (Dec. 2014)

目次に戻る