敦煌

  2017年5月27日から30日まで、国際会議で敦煌に行ってきた。敦煌は中国甘粛省の西の端に位置する人口14万人ほどの町である。もう100キロメートルも西にゆけばウイグル自治区になる。歴史上、シルクロードの起点に栄えたオアシス都市であり、西域支配の拠点でもあった。中央政府の勢いが盛んな時は漢民族が支配したが、勢いが衰えると吐蕃、西夏など周辺の異民族に支配されるということを繰り返してきた。ただし、現在の市街は昔とは別のところに再建されたものだそうだ。

 この国際会議は、日本と中国でほぼ毎年交代で開催されている比較的小規模の研究集会だ。私は現在、東京工業大学の研究室で行われている超高速分光実験の紹介と理論の話をした。



 二日目の午後にエクスカーションが組まれていた。行き先はもちろん、莫高窟(ばっこうくつ)である。ホテルからバスで30分ほど、砂漠の中の道路を運ばれて、最初に着いた所が「莫高窟数字展示中心」という建物。「数字」というのは「デジタル」というほどの意味であるらしい。ここで大きなプラネタリウムのような劇場に入れられ、敦煌の歴史と莫高窟に関する映像作品を見学した。予習である。

 お勉強が済むと再びバスに乗り、さらに20分ほど移動する。やっと砂漠の中に小高い丘が見えてきた。いよいよ莫高窟である。

 莫高窟は5世紀から15世紀まで、約千年にわたって造営されてきた仏教遺跡である。全部で734の石窟があるそうだが、公開されているのはそのごく一部である。日本語の上手な女性が私たちを引率して、公開されている窟を案内してくれた。この方はこの仏教遺跡の研究者なのだそうだ。日本の大学にも在籍したことがあり、その時は新宿に住んでいたという。

 一同このガイドさんに引き連れられ、ゾロゾロと見物してまわる。石窟には戸締りの鍵がかけられている。ガイドさんが、持っている鍵で扉を開き、中に入れてくれる。外の暑さに比べ、中はひんやりとしている。夏には修行で籠るのも悪くなさそうだ。

 ここには北魏、北周の時代から隋、唐、五代、宋、西夏、元にいたる歴代の仏像、壁画がある。残念なことに、見物の時間が限られていて、一つ見終わるとガイドさんが鍵をかけ、さっさと次の窟に移動してしまうので、気になった仏像や壁画を見直しに戻るということができない。

 私は美術館や展覧会ではいつも「気に入った作品を一つお前にやる」と言われたらどれにしようかな〜、と考えながら見てまわることにしている。そして気になる作品があると何度もそこに戻ってくる。それが私のやり方なのだが、それができないのでフラストレーションがたまる。

 それでも印象に残った窟がいくつもあった。後で調べると西魏時代の第249窟らしいが、ここは壁画が素晴らしい。阿修羅像や風神雷神それに異国風の飛天が描かれている。風神雷神と言えば俵屋宗達の屏風絵の傑作をすぐに思い浮かべる。それに比べると、こちらは素朴だが原型(archetype)のもつ迫力がある。

    反弾琵琶


 もう一つ気に入ったのは第112窟。こちらは吐蕃時代(中国では唐時代)のもので、やはり壁画が面白い。「感無量寿経変楽舞図」というらしいが、壁一面に大勢の仏様やら坊さんやら異国の神様らが描かれ、なにやら目出度い雰囲気だ。

 ガイドさんが懐中電灯の明かりを当てて説明してくれる。手に楽器を持った一団が何か演奏している真ん中に、胸乳もあらわな伎楽天が踊りながら琵琶を弾いている。それが背中に担いだ琵琶を後ろ手に弾じるというアクロバット演奏だ。ガイドさんによると「反弾琵琶」というらしい。I さんは「ハード・ロックですね」とコメント。ジミ・ヘンドリックスかよ。

 この反弾琵琶のモチーフは、敦煌市のシンボルになっていることを後から知った。実際、目抜き通りのロータリーには、大きな反弾琵琶の伎楽天の像が立っている。



 ホテルに帰って夕食の後、今度は観劇に出かける。午後8時を過ぎても外はまだ昼間の明るさだ。再びバスで砂漠の中の道路を運ばれると、なにも無い所に突然、巨大な建築群が現れた。その一つが劇場兼演奏会場だ。他は何だか分からない。何もこんな砂漠の真ん中に劇場を作らなくてもいいじゃないかと思うが、よその国のやることは分からない。どうも建設バブルの一つじゃないのかしら?

        砂漠の中の劇場

 実は何を見せられるのか直前まで知らなかった。渡された切符には「絲路花雨」と書いてある。実際は「絲」ではなくて簡体字なのだが多分「絲」だろう。どうやら音楽舞劇のようだ。開演前の前奏に喜多郎の「シルクロード」が流れたのでビックリ。
 
 ほとんど満員の盛況で、子供連れで来ている家族もいる。照明が暗くなり、鑑賞上の注意らしき音声と画面が出る。録音、録画はしないように、と読める部分がある。いよいよ「絲路花雨」が始まった途端、あちらでもこちらでもスマートフォンを高く持ち上げて撮影を始めたので思わず声を出して笑ってしまった。

 舞劇の内容だが、これがなんと昼間見た「反弾琵琶」にまつわる物語だった。一言でいうとあの絵が描かれた経緯に、モデルとなった支那の女性とペルシャかどこかの王様とのロマンスを絡めた勧善懲悪劇。細かいこと言わず、大音量の音楽と大仕掛けの舞台効果とアクロバティックな群舞を楽しめばいいのだろう。何だか習近平政権の一帯一路政策の宣伝を見せられているような気もするが。

 

 観劇を終えて外にでると、ようやく日が暮れていた。昼間は摂氏36度の暑さだが、陽が落ちると涼しい風が心地よい。バスで市内まで戻り、そろって夜市見物に出かける。カフェテラスで皆さんと青島ビールを飲んでいたら、日付が変わってしまった。


                                        (June 2017)

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