定義集
新規エントリー項目:
あ行
- 愛
高見順によれば「全ての国語辞書は愛に始まり女(をんな)に終わる」のだそうである。よって、少し苦しいが、本定義集も「愛」から始めることにする。
実験技術が進歩しても「モノづくり」だけは、職人芸の世界である。そのせいか、結晶成長の専門家には奇人が多い(ような気がする)。この道一筋30年のS先生は語る。
「結晶の育成は、何といっても愛情が大切です。愛情があれば、結晶はそれに応えてくれます。可愛いもんです。んだども、まだ、本当に満足できる結晶は作ってねえっす」
と最後はお国なまりの出てしまったS先生であった。(これを「愛の結晶」という。)
- アングラ情報
おもに懇親会および飲み屋で入手可能な貴重な情報。
瞬発力を売りとする理論屋は実験家の流すアングラ情報に敏感でなければならない。しかし統計によれば、その約7割はガセネタであることも事実だ。
- 位相
O教授は、アト秒オーダーの光位相制御を用いて分子振動波束に複数の位相情報をビットとして焼きつけ、読み出す技術を開発した。これを「量子バーコード」と名付けたO教授のいわく、
「位相はカネになる!」
実際、特別あつらえの量子波位相に特許権が設定される日も遠くないだろう。
- 引退
悲しいことに、研究の第一線から身を引いた方がよい時が、誰にもやってくる。これは必ずしも年齢には関係ないようだ。次のような徴候が現れたら、潔く後進に道をゆずるべきである。
○理論家の引退の潮時
熱力学や電磁気学の「新理論体系」を唱えはじめたとき
○実験家の引退の潮時
指先が震えてダイヤルの微調整ができなくなったとき
○それでも引退しない実験家の引退の潮時
指先が震えてダイヤルのつまみが掴めなくなったとき
- 薄皮饅頭
球形量子ドットの外側を、エネルギーギャップの小さい半導体物質でくるむと、電子や正孔は球殻に閉じ込められ、面白いことが起きる。私はむかしこの電子状態を計算し「量子薄皮饅頭」と名付けた。しかし、薄皮饅頭の英語訳がどうしても分からず、論文には書けなかったのを残念に思っている
(Y. K. and N. Saito, Solid State Commun. 84, 771 (1992))。
- 生まれたての赤ん坊
物理学上の新発見。
コイルに取り付けた電源のスイッチを入れたり切ったりすると、その瞬間、隣に置いた回路に電流が流れる現象(電磁誘導=発電の原理)を発見したファラデーが、ある貴族(貴族の奥方という説もある)にその実験をしてみせたところ、その貴族は
「面白いね、ファラデー君。だけどこれが何の役に立つのかね?」
と言ったという。電気のない現代文明など考えられないから、今から見るとこのセリフそのものが強烈なギャグになっている。これに対してファラデーは
「閣下、生まれたばかりの赤ん坊は、いったい何の役に立つのでしょう?」
と答えたことになっているが、これは少し出来過ぎだ。
- XES
X線発光分光法(X-Ray Emission Spectroscopy)のこと。エックスイーエスと読む。逆さに読んではいけない。
Tさんは、3本のX線ビームを用いたX線非線形光学を提案し、これをXXX XES(トリプルエックス・エックスイーエス)と名付けた。これなどはゆめゆめ逆さに読んではいけない。
- SIT
(1)自己誘導透過(Self Induced Transparency)のこと。媒質中を適当な波形の光パルスが通るとき、非線形光学効果により吸収が抑制され無減衰で透過する現象。光による信号伝送に役立つと言われている。
(2)自己招待講演(Self Invited Talk)のこと。国際会議で、組織委員自らが自分を招待講演者に指名すること。ぜんぜん役に立たない。
- SBEとBSE
半導体ブロッホ方程式 (Semiconductor Bloch Equation) と牛海綿状脳症 (Bovine Spongeform Encephalopathy)
のこと。どちらも流行性があり、どちらも筆者の好みに合わないと言う以外は何の共通点もない。
- SPE
自己論文掲載編集者(Self Publishing Editor)のこと。2008年11月のNature誌によれば、Chaos, Solitons
and Fractalsの責任編集者の何某は、2008年だけで60篇の自分の論文をこの雑誌に掲載したそうだ。SPEは論文数をかせぐ究極のテクニックかも知れない。 しかし60篇とは・・・。
何某は来年早々、責任編集者を辞めさせられることになったという。
→論文数
- error bar
実験家の良心の証(あかし)。
とは言え、小さくあらまほしきはerror barである。error barの中の点を結んで、いかなる曲線でも描けてしまえそうな実験データとか、error
barの下端がx軸を貫いて第4象限に出てしまっているようなスペクトルを見せられると、思わずたじろいでしまう。そして「正直な人なんだなー」と思って眺めている。
- 黄金律
Golden Rule. 本来は「自分の欲するところを他人にもなせ(マタイによる福音書7:12)」というキリスト教の根幹になっている原理のことであるが、今ではさまざまな使われ方をしており、「金儲けの黄金律」とか「白人美女と結婚するための黄金律」などというとんでもないものまである。
物理の世界では、もっぱら「フェルミの黄金律(Fermi's Golden Rule)」と限定詞つきで使われる。普通、論文中で公式などを提示する時は必ず出典を引用するのが決まりだが、フェルミの黄金律だけはそうしない。どこに書いてあるのか誰も知らないからだ。これは摂動による単位時間あたりの遷移確率を表わす公式である。式そのものは簡単だが、その含蓄は意外に深く、量子力学のエッセンスが詰められている。まさにGolden
Ruleの名にふさわしい。
- 王様
(1)教授。しばしば「裸の」が暗黙の内に省略されて使われる。
(2)独創的なアイディアを発信しているごく少数の人々。こちらが本義。
王様が土木事業を始めると、人民が仕事にありつける。(ドイツの諺)
か行
- 海外逃亡
外国出張。
- 重ね合わせの原理
これが量子力学のかなめの一つであることには誰も異論がないだろう。某研究室のセミナーで、量子ドットを用いたqubitの作製が話題となったとき、
「重ね合わせの状態をどう実現するかが問題です」
という講師の言葉に、元気良く手を上げて
「同じものを二つこさえて、上からギュッと重ね合わせたらええんとちゃいます?」
と言ったのは4回生のH君である。あのなあ・・・。
- 肩の凝る研究室
私たちの研究室は、今、スタッフにも大学院生にも4回生にもやけに背の高い人が多い。彼らにはさまれてディスカッションしていると、私は絶えず上を見上げていなければならず、肩が凝ってたまらない。Feynmanのパートンモデルのもとになったスケーリングを提唱したBjorkenはたいへん背の高い人だったようで、Feynmanはよく
"You are the greatest physicist ! " と言ってからかっていたそうだ。今度、このジョークを一発かましてやろう。
- 関西連合
O大学Y教授を中心に設立が画策されていた関西地区物性研究者の非合法組織。我が大阪府立大学支部は「背赤後家蜘蛛一家」を名乗る予定であったが、その後に起こった独立行政法人化の動きの中で、関西連合構想は全く別のものに変質してしまった。
- 関西連合(承前)
テレビを見ていたら、O大学中枢部の先生が「関西連合」構想について語っていたので驚いた。発信源は同じか?しかし、「関西連合」と聞いて、他の地域の人たちがビビりゃせんかなあ。
- 観測の理論
「生きたネコと死んだネコの重ね合わせ状態」というのは確かに悩ましい問題だが、車を運転する人ならよく分かるはずだ。スピード違反はお巡りさんに観測された瞬間にスピード違反になるのであって、観測されるまでは「スピード違反の私」と「スピード違反なんかしてない私」の重ね合わせ状態である。これは物理的には間違った説明だが、心理的には正しい説明といえる。
- 眼力
物凄く分解能の悪いスペクトルの中に、小さな肩があるのを見つけだすには眼力を必要とする。しかし、「ある、ある」と言っているうちに、誰の目にもあるように見えてくるのは恐ろしい。
- 幾何学的位相
言われてみればそうだなあ、と気付くが、それを知ったところでほとんど何の役にも立たないシロモノ。
少し説明を加える必要があるかも知れない。あるとき、散乱問題のS行列が非可換幾何学的位相とみなせることに気がついた。縮退した電子状態間を断熱的にポテンシャルをon-offして接続するのがS行列だから、これは自然な発想だ。たとえば、1次元の量子トンネル効果に現れるS行列はsu(2)-幾何学的位相の一種である。よろこび勇んで学会で発表したら*、「最近、Newtonがよく似たことをやっている」と教えてくれる人がいた。R. G. Newtonは散乱理論の大家で、私には懐かしい名前である。調べてみると、まったく同じことをやっているのでがっかりした**。しかし、この発見がその後、何かの役に立ったという話を全然聞かない。
その気になって考えてみると、実は幾何学的位相は特別のものじゃなくて、可換、非可換、断熱、非断熱を問わず、いたるところに見出せる。私は「Geometrical
Phase Everywhere」と論文の表題まで決めているのだが、役に立たないものについて論文を書いたものかどうか迷っている。
(追記)「役に立たない」ということを科学的に説明する必要があるかも知れない。それは一般に「幾何学的位相」はredundantな情報に過ぎなくて、何の拘束条件にもなっていない、という意味である。拘束条件なら、変数を減らして問題を解く上で役に立つのだが。 ま、面白いことは面白いですが・・・。
*Y. K.「散乱問題における非可換Berryの位相」1997年日本物理学会秋の分科会(神戸大学)8a PS34.
** これはR.G.Newton, Phys. Rev. Letters,
72, 4074 (1994) にある. 教えて頂いてよかったと感謝している。
- 畸人
畸人の正しい定義は「あまりにも健康な、あるいは、世に先駆けた常識を備えているために、世の中の因習と衝突する人」である。独りよがりの不毛な主張を繰り返すような人は単なる「変人」であって畸人ではない。物理学界には畸人が多い。変人もいる。
- 机上の空論
理論家の作る理論の大部分。砂上の楼閣。
しかし、大抵の理論家は、自分の理論と実験が合わないのは、ハミルトニアンのとおりになっていない物質の方が悪いのだと考えている。理論家である私が言うのだから間違いない。
- 気体分子運動論の勝利
マクスウェルの理論によれば、気体の粘性は絶対温度の平方根に比例して高温で大きくなる。この一見常識に反する結論は、しかし実験(マクスウェル自身も行った)で確かめられ、気体分子運動論の正しさを決定的にした。大阪で暮らすようになって、夏の空気が確かにねっとりと粘っこくなるのが分かり、私もマクスウェル理論の正しさを確信した。
大阪の残暑恐ろし・・・。
- 共鳴
振動数の等しい発音体を並べておいて一方を鳴らすと他の一方も音を発する現象。
レゾナンス。おお、なんという美しい響き!
共鳴現象は研究者の間でも観測される。本当に音を発しているのはごく僅かの人だけで、大半の研究者はにぎやかに音を立てているようで、実は共鳴して鳴っているだけだったりして。・・・冷や汗。
- 共著者
(1)共同研究者であって論文に名前を連ねている人
(2)単にぶらさがっているだけの人
業績の評価が世知辛くなって、論文の数(目方)を稼ぎたい人が増えてきたせいか、やたらと共著者の数の多い論文が、物性物理の分野にも目立つようになってきた。しかし、何といっても目にあまるのは高エネルギー実験の分野である。著者名だけでまるまる1ページを費やす論文もまれではない。なお、私の知っている、この世で一番下らない、コケること請け合いの論文は、Phys.
Rev. Letters 79, 959 (1997)[Errata]である。
有名な理論家であるK教授は、この種の多くの共著者からなる論文では、貢献の度合いに応じて、大相撲の番付表を参考にして横綱クラスから序ノ口クラスまで、名前の活字の大きさを変えることを提案している。そうすると、大部分のぶらさがっている連中の名前は、ナノメートル・サイズになるので、STMで観測しないと読めないようになるであろう。
- 勤勉手当
大学の給料が、まだ現金で支給されていた頃、数学者のH先生は、ボーナスを奥さんに渡さず、こっそりポケットマネーにしていた。
「俺たちみたいな大学の教師に、勤勉手当が付くわけないだろ」
というH先生の言葉を、奥さんは完全に納得して信じていたらしい。
- 空集合
学生時代に論理学の講義で、「空集合に関する陳述はすべて真」と約束して、全く矛盾の無い体系が作れることを知り、目からうろこが落ちる思いがした。(もちろん、「すべて偽」としても同様である)これ以来、空集合に関する陳述にひっかかって悩まされることがなくなった。
「UFOの動力は反重力エンジンなんです」(はい、そのとおり)
「世界政府が実現すれば戦争はなくなる!」(はい、はい、そのとおり)
物理のモデルを作るときは、とりあえず適用範囲が空集合にならないように気をつけている。
- 計算
有名な理論家K教授は、若い頃「本質病」という病気にかかっていた。これは、物理法則はその本質が重要なのであって、方程式の中に現れる√2だとかπだとかは、波動関数や場の演算子にくらべればとるに足らないゴミみたいなものと思えてくる病気である。K教授がようやく論文を書けるようになったのは、√2やπのようなクズどもを省略せずに計算をするようになってからである。
だからK教授は今でも計算が苦手である。セミナーで、K教授が黒板に向かい少し複雑な積分計算を始めた。おっと、たちまち行き詰まってしまったぞ。冷や汗をかいて考えている。と、K教授はいきなり黒板拭きで数式を全部消してしまい、振り返って叫んだ。
「諸君、はっきり言おう。こういう積分の値を知る一番よい方法は、岩波の数学公式集を見ることである」
V. Weisskopfは、CERN会長も務めたことのある偉い理論物理学者だが、やはり「本質病」患者で計算が苦手だったらしい。有名なWeisskopfの式というのがあって、それは
i = - i = 1 = - 1
というのである。Weisskopfは大学院生を指導して、いちはやくラム・シフトの計算をしたが、計算ちがいを恐れてぐずぐずしている間に、Schwinger、Feynmanに先を越されてしまった。
「ノーベル賞は、あなたの信念に対して与えられるのだ」
と口惜しそうに回想している。
- 計算する
理論家の業。理論の目的は計算ではないけれど、理論家は計算しなければならない。もっとも、最近は計算しかしない「理論家」が多すぎるような気もするが。
- 計算物理
理論というには能天気で、実験というには無責任な第3の物理学。この言葉が登場した頃、実験の大御所U先生は「理論のグラフにerror
barがある!ハッ!」と怒り狂っておられた。隔世の感がある。
- Gay-Lussacの実験
私は、かなり長い間、Gay-Lussacの実験はGay氏とLussac氏の共同研究だと信じていた。だって、Joule-Thomsonの実験というのも、あるじゃないですか。Gay-Lussacがひとりの人間の名前だと知ったときは、思わずギャッと叫んでしまった。
欧米人にはこのての厄介な名前が多い。Longuet-HigginsもGoeppert-Mayerもそれぞれひとりの名前である。Gell-Mannもそうだ。このことから次のような逸話も生まれる。
HardyとLittlewoodは、ともに英国の著名な数学者であるが、生涯にわたって共同研究を行い、Hardy-Littlewoodの名で知られる論文をたくさん書いた。辛辣な皮肉屋であったドイツ人数学者のLandauは、初めてHardyとLittlewoodに会ったとき、「やあ、私はHardy-Littlewoodは一人の人間だとばかり思っていた」と言った。
現代の物性物理でいえば、強相関系のスペクトル理論で知られるG-Sのコンビがこれに近いかも知れない。私は、ある国際会議で初めてG氏に会ったとき、Landauのジョークを言ってやりたい誘惑にかられた。
- 撃墜
舞い上がっている講演者を、1発の質問で撃ち落とすこと。
オーバーヘッド・プロジェクターが普及する前は、学会発表にはスライド・プロジェクターを使っていた。論争になっているテーマの学会会場には、ライバルの講演を撃墜するために、反論用のただ1枚のスライドを、背広の内ポケットにしのばせて、静かに座っているスナイパーがいたりした(O大学Y教授の談話)。激しい時代だった。
→ハイジャック
- ゲーム感覚で物理を
K大学の数学者M氏は、あるところで、数学はドラクエに似ていると悟ったと書いている。(M氏は頭文字Kで始まる大学ばかりを転々としている、どう見てもただ者ではない人物である。)
「アスコリアルツェラの定理を憶えた。解析のレベルが2アップした。 収束部分関数列のスペルを憶えた。マジックポイントが5アップした。」
なるほど、この調子でやれば物理の研究も楽しくなりそうだ。君の使命は、襲いくる難問を撃ち破り、全てのハミルトニアンを対角化してしまうという「夢のユニタリー変換」を手に入れることである。
「DMRGをマスターした。HPが3上がった。計算違いをして叩かれた。防御力が5下がった。投稿した論文がacceptされた。やった!面クリだ。」
ちなみに、M氏が上の発言をした時、嫌そうな顔をした代数幾何学者のSというのは、私の旧友である。
- 研究スタイル
研究者の美意識または金勘定にもとづく研究テーマの選択と研究遂行の形態。
物性物理の研究を始めた頃、何かある分野で決定的な論文を一つ書いて、かっこよく立ち去るのが理想の姿だった。シェーン、カムバック!うう、しびれるぜ。
しかし、私ごとき平民に、それは到底ゆるされない研究スタイルであることは、すぐに思い知った。
- 講義
教養部の学生だった頃、「カントの批判哲学を論ずる」という唄い文句の講義があったので聞くことにした。老教授のいわく
「カントを知るためには、無論、デカルトを知らねばならぬ。デカルトを理解するには、当然、スコラ哲学の知識が前提となる。スコラ哲学を論ずるにあたって、十字軍の影響を無視するわけにはいかぬ」
というわけで講義は十字軍の文化史的意義から始まり、悠然たるペースで進んでカントのカの字にも達せずに終わってしまった。私は、これこそ大学の講義だ、とその時思った。
- コーシエン
土地の広さを測る単位。1コーシエン=39,600平方メートル。関西地区でしか通用しない。ちなみにわが大阪府立大学中百舌キャンパスは約12コーシエンである。
- 懇親会
学会や研究会で一番大切なセッション
さ行
- サイクルヒット
若手研究者Kさんの打ち明け話によると、Kさんの目下の目標はPhysical
Review 5種目全制覇(すべてに論文を書く)なのだそうだ。Kさんは物性理論・統計力学が専門なのでA, B, Eは楽勝だが、C(原子核)とD(素粒子)はかなり苦しそうだ。これにPhysical
Review Lettersを加えて全制覇達成の日は、サイクルヒット完成のお祝をしてあげよう。
- 最後のひとこと
会議の終了間際の一番最後に発言し、決定事項に注釈を加えて総括することで、自分の存在感をアピールすること。どうあっても「最後のひとこと」を言わなければ気がすまぬ、という人が複数いる会議は、定義上、いつまでも終わらない。「賢い人」が多くて、「民主的」に運営されることの多い物理屋の会議では、しばしばこういう事態が発生する。私は、ある研究所の運営会議で「最後のひとこと」合戦が1時間半続いたのを目撃している。
- 最密充填
無限空間に、一様な大きさの剛体球を詰めるとき、密度を最大にする方法は無数にあり、fcc構造とhcp構造はそのうちの二つであるということは、物性物理の教科書のはじめに書いてある。たしかに、球を積んでゆく様子をみれば、別に証明してもらわなくても納得できる。これが、境界で囲まれた有限空間であったり、詰めるものの形状が簡単でなかったりすると、一般に最密充填問題はとても難しくなる。
米国の学生が、狭い部屋(電話ボックス)に人間をギューギュー押し込んで、最大、何人詰め込めるか?という最密充填の実験をした報告がある。男性ばかりの組み合わせや、女性ばかりの組み合わせよりも、男性と女性を適当な割り合いで混ぜた時が充填率最大であったという。これはよく分かる。
(補遺)fccの充填率0.7405が最良値であろう、ということはケプラーが1611年に指摘していたが、厳密な証明は1998年になって、T.C.Halesが膨大な計算の末に初めて成功したようである。N.J.A.Sloane,
Nature, 395 (1998) October. うーむ、ためになる定義集だ。
- 座長の心得
これさえ守れば座長は務まる三ヶ条
その1. 遅刻せずに会場に現れる
その2. 登壇者の講演中に居眠りしない
その3. あくびもしない
- 自信
有名な理論家であるK教授の所に、実験家が実験データを持って相談にやって来た。K教授は、それは私の理論で説明できる、と言ってキャビネットから論文別刷を取り出すと、これを読むようにと実験家に渡した。数日後、同じ実験家がやって来た。「あのー、先日のデータは実験に間違いがありまして、もう一度測定しなおして見たら逆の結果になったのですが・・・」 K教授は立ち上がり、「それもある」と言って、キャビネットから別の論文別刷を取り出して実験家に渡した。
- 実験家と理論家
永遠の恋人にして永遠のライバル。
1964年、エコー衛星との電波通信のために組み立てたマイクロ波アンテナの予備実験をしていたベル研のペンジアスとウイルソンは、正体不明の熱雑音の存在に悩んでいた。これが宇宙創成時のビッグバンの名残りであると正しく見抜いたのは、相談を受けたプリンストン大学の理論家ディッケである。ペンジアスとウイルソンはこの業績により1978年のノーベル物理学賞を受賞したが、ディッケは受賞を逃した。(ほら吹きガモフによって既に予言されていたという事情はあるが・・・。)この歴史的事実は物理学上の「発見」とは何か、ということについてわれわれに省察を迫る。
どうせ理論屋の評価なんてそんなものさ。グスン。
- 実験と一致する
フォン・ノイマンはセミナーで、講演者がスライドを示しながら、いかにして実験値と理論曲線を合わせたか、を熱心に説明しているのを聞いて「少なくとも同一平面上には存在する」と呟いたそうである。
- 実験と矛盾しない
実験データとは合わない、もしくは、実験の解析などテンから考えていないときに理論家が愛用する遁辞
- 実験と良く一致する
実験値と理論値が、同一平面上にあるだけでなく、同一曲線上にもあること。次元が一つ下がっただけだから大したことではない。
- 締切り その1
たしか直木三十五だったと思うが、「流行作家になるための三ケ条」というのを提唱していた。非常にありがたい教えなので紹介しておこう。
その1. 持ち込まれた仕事は全て引き受ける。
その2. 締切りは守る。
その3. 作品の出来映えは一切気にしない。
私もこの教えをケンケンフクヨーしているが、如何せん、第2条が守れなくなって来た。
(追記)三ケ条の提唱者は直木三十五ではなくて、林不忘(「丹下左膳」の作者)であることをTさんが教えてくれた。感謝して訂正します。
- 締切り その2
O教授は、国際会議の講演申込み締切り日の翌日になっても、「まだ間に合う」と言ってabstractを書いていた。確かにアメリカと日本では時差があるので、電子メールかFAXで送れば、まだ間に合うのだ。(締切りは勿論、現地時間である。)物理の世界も、ニューヨーク市場と東京市場の時差を利用して利ざやを稼ぐ「先物取引き」の世界に似てきた。
- 締切り その3
いつも締切り真際に青くなってやっている私を、女主人(妻)は
「締切りが来ることは分かっているのに。馬鹿だね」
と叱る。私は
「プロの将棋指しを御覧なさい。最善手は一目で読めているのに、ギリギリまで粘るのがプロなんです。私も秒ヨミの魔術師と名乗ろうかと思います」
と答えたが
「あなたはズボラなだけよ」
と一蹴されてしまった。
- J. Irrep. Exp. Res.
Journal of Irreproducible
Experimental Resultsの略称。以前から発刊が噂されている実験家待望の論文誌。
- 朱を入れる
文章を添削すること。
有名な理論家であるK先生が若い頃、論文を書いた。それを大先生のM教授に読んでもらったら、原型をとどめぬ程に添削されて返ってきた。K先生はそのとおりに書き直し、念のため、もうひとりの大先生T教授に読んでもらった
。 すると再び原型をとどめぬ程に朱を入れられて返ってきた。
- 省エネ物理
半導体表面にあるドナーの束縛エネルギーは、バルクでの束縛エネルギーの何分の1になるか?ただし、波動関数の外部への染み出しも、鏡像力の効果も無視する。答えは4分の1である。何故ならバルクでの2p関数の片割れがSchroedinger方程式の厳密固有状態になるから。ということを書いたLevineの論文(Phys.
Rev. 140, A586(1965))を読んだときは笑ってしまった。それなら、表面が直角に交わっている結晶の稜の上や、頂点の位置にあるドナーの束縛エネルギーは、それぞれ、バルクでの値の9分の1と16分の1になることもすぐに言えるが(∵それぞれ、3d状態と4f状態の片割れが厳密な基底状態になるから)、投稿してもacceptしてもらえないだろうなー。
球形量子ドットの中心に+電荷のある「閉じ込められたドナー」の固有状態も、なーんも計算しないで求まる。例えば、ドットの半径が有効Bohr半径の2倍のとき、基底状態のエネルギーはバルクでの値より3/4Ryだけブルーシフトする。ただし、Ryはバルクでの束縛エネルギーである(∵2s状態が基底状態になるから)。これは論文に書いた(Y.K.,
Phys. Rev. B38, 9797 (1988))。
- 省エネ物理(承前)
前項を書いていたら、任意の角度で交わる半導体表面のエッジ上にあるドナー電子の固有状態が厳密に求められることに気がついた。とくに、基底状態の束縛エネルギーは、交わりの角度をφとするとRyφ^2/(
φ+π)^2になる。φ=πのときがLevineの結果に対応する。こういうエッジ・ドナーは、臭化銀の感光作用に関係しているらしい。 論文にまとめて試しにフィズレヴってみたら、なんと通ってしまったのですね、これが。構想三日執筆四日の大論文である(Y.K.,
Phys. Rev. B62, 15334 (2000))。
→Phys. Revる
- 助手
(1)仕事の手助けをする人
(2)大学で教授、助教授、講師の下の職名
(3)ときに、無能な教授の天敵
1980年代から90年代初頭にかけて、T北大の物理教室は恐いところだった。なぜなら、そこには助手がいたからである。大きな国際会議の組織委員長をしてしまうような人とか、新規物質の創製で、有名な科学賞を取ってしまうような実力者が何人も、助手でゴロゴロしていたのである。80年代にT北大の物理で助手を張っていた、といえば、そのスジではかなりの顔である。
- 助手(承前)
断っておくが、私は怒っているのである。B研究所の助手だったSさんは、「車に乗せてもらうときは、助手席には乗らないようにしている。車が事故を起こしたときに ”助手席に乗っていたS助手が重傷” などと書かれたらたまらないから」と、ある所に書いていた。4半世紀近くも昔の話である。それ以来、大学当局も文部省も、この封建的・前時代的呼称を全く変えようともせずに放置してきた。「助手」などという大学にしか存在しない身分呼称が撤廃されぬ限り、大学改革などまともに出来るとは思えない。
- シンポジウム
饗宴。古代ギリシャで、通例会食に続いて行われた酒を酌み交わしながら音楽を楽しみ談論に興じた集い。Plato対話篇の一つの表題にもなっている。と、学のあるところをお見せしたが、なに、研究社の英和大辞典を見ながら書いているのだ。
シンポジウムは学会の華でもある。私は、かってシンポジウムのテーマとして「あの話はどーなった?」というのを提案したことがある。世間を騒がせてくれた面白いけれどちょっと怪しい話を一堂に集めて、もう一度みんなで楽しもう、もとへ、しっかり検証してみよう、というのである。賢明なる世話人諸氏により、即、却下されてしまったのは残念だ。
→J. Irrep. Exp. Res.
- 信頼感
学会の会場で、私は実験の大家K先生と理論の権威T先生と3人で、立ち話をしていた。最近、量子ドットの実験を始めたK先生が、ある物理量のサイズ依存性について質問した。私は頭の中で暗算を始めた。T先生が即座に「それは○乗に比例するでしょう」と答えた。しばらくするとK先生から論文の別刷が届いた。その中で、件の実験結果が示され、according
to T・・・ theory としてT先生の答えが紹介されていた。私は、立ち話でのコメントが、T・・・ theoryとして引用されてしまう人の信頼の厚さを思わないわけにはいかなかった。
- 睡魔
学会や研究会などでは睡魔とも闘わなくてはならない。しかし「これは重要な講演だからしっかり聞いておこう」と思う時にかぎって眠くなるのは何故だろう?逆に、つまらない話だからゆっくり眠ってやろう、と思うと眼が冴えて眠れなくなってしまうのも実に不思議だ。
セッションの初めから終わりまでゴーゴーいびきをかいて眠っている奴もいる。きっと彼にとっては全部重要な講演だったのだろう。
- 数学的帰納法
「いちど許せばずるずる許す」と定義したのは、亡くなった数学者の小針あき宏氏らしい(未確認)。
- 数学と物理学
自然法則は、たしかに数学という言葉で書かれているが、数学と物理学はまるで違う。このことを納得するには多少の年季を必要とする。「一般相対性理論はリーマン幾何学の応用だ」と考えているような人は、物理屋になるのは止めた方がよい。多分、良い数学者にもなれないだろう。
場の理論が「行き詰まっている」と云われていた頃、数学的に厳密な場の理論の公理系を組み立てていこう、という一派があった。いわゆる「公理論派」であるが、結局、相互作用のあるモデルで面白い結果は何一つ出て来なかった。「公理主義者達の、素粒子物理学に対する貢献は、任意の正数εより小である」などとおちょくられていた。
- 数学と物理学(続き)
物理の学生が卒研の発表会で、モデルから導かれる方程式を議論していると、真面目な数学者のK先生は決まって
「その方程式の解の存在は証明されているか?」
と質問する。・・・・そう来るか。
- 数学と物理学(まだまだ)
ヒルベルトはある時期
「物理学は物理学者には難しすぎる」
と見得を切って物理にも手を出したが、今日、「物理学者ヒルベルト」の業績を記憶している人がどれほどいるだろうか?
物理学の公理化(23の問題中第6問題「物理学の諸公理の数学的扱い」)は、まあジョークでしょう。
- 数学と物理学(補遺)
誤解を招くといけないので急いで言っておくが、私はいわゆる数理物理学を否定しているわけでは全くありません。厳密解も尊敬しております、ハイ。しかし、物理をなぞるだけの本当につまらない数学もあるのだ。(思わず力が入ってしまったゾ。)要するに発見があるかないか、センスの問題だと思う。
- 前衛
階級闘争や芸術運動で時流のさきがけとなって活動するもの。
物理の仲間の一人が、音大出身の女流作曲家と結婚した。あるとき、私達友人一同は、細君のお仲間の「作品発表研究会」に招待された。奥さんとそのお友達の作品は、どれもとても前衛的だった。帰り道で私達は、お返しに、絶対にあの奥さんを我々の研究会に招待すべきだ、と話し合った。
た行
- 体育会系研究室
私達の研究室のメンバーは、どういうわけか、スタッフにも院生にも体育会系がやたらと多い。空手のセミプロみたいな男(師範代)とか、元ボクシング部のキャプテンで典型的なファイター・タイプだった、というのとか、M2の今も現役の短距離ランナーで走っているとか言うのがゴロゴロしている。セミナーは、全員「押忍!」の挨拶で始まる、というのは嘘であるが、コンパの話題はいつもアニメで始まり、格闘技で終わる。(「かかと落とし」は防げるか?)これほど殺伐とした話題で盛り上がるコンパも珍しい。
しかし本当は皆、心優しいジェントルマンだから、安心して遊びに来て下さい。
- 第一原理計算
「原子番号だけをインプットして、パラパラと原子をばらまいてやれば、後は計算機が自動的に計算してくれます(よって理論家の大半と実験家の一部は失業する)」と、過激な思想を布教して回っている人のことを第一原理主義過激派という。
どこまでが第一原理と呼べるか、また、いったい幾つの第一原理があるのか、は大きな問題であるが、誰も深刻に議論しない。私は、「第一原理計算」をしているある研究者が、
「この計算では9個のパラメータを調節しています」
と口走ったのを、確かに聞いたことがある。
→非経験的電子状態計算法
- 第一原理計算(補遺)
少し説明しておく必要を感じる。第一原理計算は確かに役に立つし、今では物質科学ではなくてはならない技術である。しかし私は、何かが正確に計算できるようになったら、そこで理論家の役目は終わると考えている。間違うことのできない理論家の
話は退屈だ。第一原理計算を道具として駆使して、物質に関する深い考察を加えている優れた理論家もわずかながら存在するけれど・・・。
一方、メカニズムの分からないとても面白い現象を前にして、いきなり「第一原理計算」を始めるのは止めたほうがいいんじゃないかしら?
- 大河ドラマ
個人の生涯や一家族の歴史などを描いた、長期にわたる大規模なドラマ。NHKの看板番組。
学会で大河ドラマをやっている人もいる。「○○相転移に関する○○理論 VII」などとやっているが、前回までの荒すじ、だれも覚えていない。
- ダイヤモンド
O大学のY教授は、アモルファス・カーボンに魔法の光をあててダイヤモンドにしようという「灰とダイヤモンド」ならぬ「煤からダイヤモンド」計画の立案者である。
「ダイヤモンドの話になると、居眠りしていた人がパッチリ目を覚しますね」
と言っている。
→単位系
- 立つ
筆者の前任校だったT北大学は重厚長大を重んずる学風だった。とりわけそれを感じたのは、ある院生の学位論文の副査になって審査委員会に臨んだときである。主査のE先生は「立たないじゃないか」と大いにご不満だった。長年の研鑽の結果である博士論文なのだから、机に立つくらい分厚いものであるべきだ、というご意見である。その頃、T北大学の物理で学位を取るのは本当に大変だったのである。
Phys. Rev. Lettersは、もとはペラペラの週刊誌なみの薄さだったが、最近は掲載論文数が増えて厚くなってきた。そのうち立つようになるだろう。
- 旅役者
流行の、最先端の研究テーマになると、一部の有力な、あるいは有名な(P値の高い)先生のもとにお金も人も集まり、講演依頼も集中することになるのはやむを得ない。その結果、あちらの研究会こちらのシンポジウムと、いつも同じ顔ぶれが並ぶ。まるで旅役者が一座を組んで、日本全国、興行して回っているように、見えないこともない。(某君いわく「先生、全国ツアーと言って下さい」)
- 多忙な人
友人のS君は、いつも前のめりになって歩いているほど忙しい人である。何年か前の年賀状には「昨年は外国出張8回、国内出張25回しました」と書いてあった。添乗員か、あんたは。
スイス人のH教授は360編以上の論文を共著で書いている。H氏にメールを送ると、即座に返答が返ってくるが、その発信場所は絶えずヨーロッパ各地を移動している。現地時間ではどう考えても深夜か早朝のはず、という時もある。H氏は不眠不休でヨーロッパ中を放浪しているのかも知れない。
かくいう私も、歳相応に忙しくなってきた。2、3年前までは、t の2乗に比例して仕事の量が増えると感じていたが、最近では t の
exponential で増えている。多項式時間では処理できない問題を抱えているようで、恐怖を感じる。
多忙が いそがしいーッ!
- ダボハゼ
(1)沙魚科の小魚の総称
(2)何にでも跳びつく研究者
有名な理論家K教授のことを「ダボハゼ」と呼んだのは実験家のKさんである。K教授は誉められたと勘違いしているが、そのココロは「どんな餌にも食いつく人」なのである。このタイプの理論家にはつぎのような特徴がある。(i)怪しい話が大好き (ii)おおむね計算は苦手 (iii)ヒゲを生やしていることもある (iv)研究を始めると、まず魅力的な論文の表題を考える (v)一発逆転は常に可能と考えている (vi)「この研究でストックホルムへ行こう!」と叫んで学生をけしかける (vii)「これは金儲けになるんじゃないか」と夢想して、突然、特許広報などを調べ始める。
K教授は何度も毛バリにつり上げられて痛い思いをした。それでも懲りずに、美味しい餌を求めて、今日も泥の中を這い回っている。
- 単位系
O大学のY教授はMKSY単位系という単位系を愛用しておられる。最後のYはYenである。Y教授に言わせると、半導体物理も「作ってナンボ」の世界なのである。Y教授がT北大学の助手をしていた頃に作った統計熱力学の演習問題には、答えの単位がYenになるものが多かった。部屋の温度を1度上げるのに必要なガス代金を求めさせる問題には、東北瓦斯株式会社の料金表がついていた。
- TOE
森羅万象の理論(Theory of Everything)の基礎方程式がψ=φであることは昔から囁かれている秘密である。
- 定義集
あなたの読んでいるこれ。
これを読んだある友人がもらしたという感想
「彼、ここまで追い詰められているのか・・・」
同じく、親戚筋の、ある人物の感想
「おまえ、ヒマなんだなー」
- 定理
現在、少なく見積もっても、年間約1万個の数学の定理が発見されているという。このことを知って、数学者に対する尊敬の念が少し揺らいだのは事実である。
- 定量的・定性的
一般に定量的理論は定性的理論よりエライと考えられている。ある研究会で、理論家が実験データと理論曲線がよく一致している、と言って一つの図を示すのを見たことがある。たしかに理論値は実験データと重なっていたが、理論曲線が下に凸で極小をとっているのに対し、実験点は明らかに上に凸の分布を示していた。そのことを指摘された講演者は何も答えられなかった。私は、定量的に実験と一致するが、定性的には一致しない理論もあるのだと知った。
- 哲学と物理学
有名な理論家K教授は哲学が嫌いだ。「哲学を論じるヒマがあったら計算しろ!」がK教授の口癖である。若い研究者のM君がうっかり、飲み屋でK教授を相手に哲学論議を始めてしまった。K教授は酔うとベランメー調になる。
「ごたくを並べやがって。てめえも理論屋の端くれだろう。言いたいことがあったらハミルトニアンを立ててシュレーディンガー方程式で言ってみろ」
「ぼ、ぼくの専門は散逸系なのでハミルトニアンは無いんです」
K教授によれば哲学者とは「鼠」と言えばいいところを「外延はげっ歯類の一種で、内包はチューチュー鳴いて天井裏を駆け回る小動物」などと言う輩であり、「人生いかに生きるべきか?」と座り込んで考えているうちに年とって死んでしまう連中なのだそうだ。
- 電子
電子についてどのようなイメージを抱いているか、は人により様々である。小さな「黒い」点、ぼんやり広がった雲のようなもの等々。「上向きと下向きの矢印」という人もいる。
- 電子と正孔
有名な理論家K教授は、「私のようなベテランになると、固体の中で電子や正孔が何を考え、何をしているか、手にとるように分かる」と豪語している。K教授によると、互いに引かれあう電子と正孔に、いろいろと邪魔が入ってややこしくなっているのが固体物理の全てであり、論文は1編の恋愛小説なのだそうである。
大学院生の某君の呟き「電子同志が引き合って起きる超伝導は、やはり妖しい世界なのか」
- 天地創造
私は新しいモデルの提案を、ひそかに「小さな天地創造」とよんでいる。すぐに潰れてしまう天地もあるけれど・・・。モデルをたてるのは王様の仕事。それを解くのは平民の仕事。数値計算は兵隊の仕事。(冗談ですよ、勿論)
- 突撃隊
(1)ナチス親衛隊の別称
(2)某大学某研究室の4回生。「当たればノーベル賞!」のかけ声のもとに突撃して行くが、生還した者はいない。
- トリビアルな
(1)ささいな、つまらない
(2)(数学的に)自明な
Feynmanはどこかで、「証明されない定理は定理ではないし、証明された定理はトリビアル(自明)である。だから数学者はトリビアルな事しか研究しない人たちである」という意味のことを言っている。これは勿論、ジョークだけれど、年に数万個も発見されているという定理の大半は(1)の意味でトリビアルに違いない。
線形代数のベクトル演算
a = b + c
はトリビアルだが、波動関数の重ね合わせの式
|a>= |b>+ |c>
は、トリビアルどころか少なくとも私にとって永遠の驚きである。
な行
- 中抜き研究所
さる有名大学の有名教授が定年退官するときに、「ワシらのような能力の高い名誉教授の働く場所を作れ」と、当時の文部省に設立を働きかけたという噂がある研究所。所員は退官教授と、その手足となって働く助手だけとし、生意気な助教授クラスは置かない。それで「中抜き」という。定年はない。ところで、この研究所には医師と看護婦が常駐し、各教授室にはナースコールがついている、というのがこの話のオチである。
- 謎
世の中にはどうしても解けない謎がある。前にいた大学で、私は理学部と工学部の学生に複素関数論を教えていた。前任者から引き継いだ教科書は、アメリカのどこかの大学の先生が講義用に書いたものの訳書だった。私はアールフォースで格調高くやりたかったんだが、こちらはペーパーバックで何しろ安い。講義が始まり、教科書を初めて読んでみて私はたまげた。関数列の収束のところに「各点ごとの収束」は説明してあっても、どこをひっくり返してみても「一様収束」の概念が出てこないのだ。ねえ、そうしたらどういうことになるか、わかるでしょう?一様収束でなければテーラー級数の連続性すら出てこないはずじゃないか!ところが、この本では絶対に証明できないはずの定理が、次ぎからつぎへと証明されてしまうのだった。私は焦った。一体、どうやって一様収束を定義せずに、関数論を組み立てることができたんだ?この本は、今でも私の本棚に「解けない謎」として残っている。
- 名前
私が、珍しい名前(姓)のおかげで、ずいぶん損をしてきたことは御理解いただけるであろう。一層悪いことに、どうやら私の名前は外国人にも発音が難しいらしいのだ。ある国際会議で話をしたときは、座長がどうしても私の名前を読み上げることが出来ず、四苦八苦した挙げ句、笑って誤魔化されてしまった。招待講演者の名前ぐらい確認しておけってんだ。
もっとも、これはお互い様で、子音中心の欧語の人名には、私達日本人には到底、発音できそうにないものが多い。私も論文を引用したことのあるSzczytko(ズットコ?)さんには、一度お目にかかって「自分の名前を早口で3回言えるか?」と聞いてみたい気がする。(某国には子音だけで出来た名前もざらにあるという!)逆に、名門、伊井(ii)さんなどは、日本人には何でもないが、欧米人にとっては相当へんてこな名前なのではなかろうか?(伊井さんごめんなさい。)
- 名前(続報)
つい先日あった国際会議では、休み時間に座長がわざわざ私のところまでやって来て、「何と発音するのか?」と尋ねた。私は丁寧に教えてやった。しかし、いざ本番で私の紹介になると、自信なさそうにムニャムニャ言っていたが、とうとう「自分で名前を言ってくれ」と投げ出してしまった。オイ、コラ!
- 生データ
時々、実験家から生データを見せてもらうことがあるが、理論を考える勇気が挫けてしまいそうになる。これが論文になると、どうしてあんなにスムーズな曲線になるのか不思議だ。
- 2準位系
究極の単純量子系。であるが最近、出世してqubitと改名した。
有名な理論家K教授は2準位系が好きで、昔からやっている。ある研究会で講演するとき、座長に
「2準位系の大家 K先生」
と紹介されて、好い気持ちだった。おちょくられたんじゃないか、と気がついたのは、後になってからである。
- 2勝1敗
実験の解析をしている理論家は、2勝1敗の勝率を割り込むと実験家の信用を失う、という説がある。6割7分は、プロの勝率としても高いと思う。
- 贋金造りの方法
(1)理論家が実験の解析をするとき、連続スペクトルをもつ状態からの寄与を処理するために連続状態を短冊状に分けて少数の離散準位で置き換える方法。分解能の悪い実験データなら結構これで誤魔化せる。
(2)一般に似て非なるもので置き換えて困難な計算を回避する方法。
言葉の由来は紙幣贋造の古典的手口から来たと言われている。すなわち、N 枚の千円札のそれぞれから、その一部を細い短冊状に切り出し、それらを寄せ集めて貼り合わせ、新しい1枚と少し寸の詰まったN枚、合わせてN
+ 1 枚を作り出すという牧歌的手法である(マネをしないでね)。 N → ∞ の極限で N → N+1 の変換は厳密に成立するはずであるが、N
= 10 ぐらいでやってしまうから、皆、見破られて捕まってしまった。昭和30年代の話である。
ちなみに、刑法第百四十八条によれば通貨偽造は無期または三年以上の懲役だが、これを使ってしまうと偽造通貨行使でさらにもう一翻ついてしまうので注意しよう。
- 2番手主義
トップ・ランナーの後ろにつけていて、ゴールが見えた瞬間、パッと前に出るのが2番手主義の王道である。知人のN教授は、ある時ニコニコ笑いながら
「私は2番手主義でいきます」
と宣言した。一見、謙遜のようで、実はすごい自信の表明であることが、ちょっと考えてみればすぐ分かる。実際、N教授は優秀な人であるけれど。
- 捏造
理論は全部捏造だ、という意見もある。
「先生、理論曲線と実験値がどうしても合いません」
「それではハミルトニアンにこの項を付け加え、調節パラメータを10個に増やして計算し直しなさい」
「先生、今度は合わせられました」
「やったな。日本の夜明けは近い」
- 熱力学第2法則の使い道
物理法則は、なにしろ法則なのだから定理よりエライ。Physics Lettersという雑誌には、ときどき奇抜な論文が載るが、昔、熱力学第2法則を用いて、不等式 相加平均≧相乗平均 を証明した、という論文が載っていた。恩師のT先生が見つけて、大喜びで教えてくれた。
- 飲み屋
物理をやるのに最適の場所。であるかどうかは意見の分かれるところだが、飲み屋から生まれた偉大な発見はある。理論ではファインマンの経路積分、実験ではグレイザーの泡箱を挙げておけば十分だろう。下らない発見もごまんとなされているに違いない。
は行
- 背後霊
背後霊は、それに取り憑かれた人が書く論文の著者欄で、背後に必ず名前を連ねている。元指導教官、または元ボスというケースが一番多い。元指導教官で元ボス、というのが最も強力な背後霊となる。
- ハイジャック
(1)輸送中の物品(おもに密輸品や禁制品)を強奪すること
(2)飛行機などを乗っ取ること
(3)他人の講演を乗っ取ること
他人の講演が終わった後の質問時間に
「この話に関連して、ちょっと一つだけOHPを使わせて下さい」
とか何とか言って前に出て行き、すっかり話題をサラッてしまう、というのがハイジャックの常套手段である。他人の講演中にいきなり前に出ていって、気に入らないOHPに書き込みをしてしまうスイス人のH教授のようなのは、まさに「強奪」である。「ハイジャック」は「撃墜」よりは、高度なテクニックとされている。
→撃墜
- パーコレーション
(1)浸透、濾過
(2)確率論上の概念。たとえば結晶格子上の各格子点に、一定の濃度pでランダムに原子をばらまいたとき、ある原子が結晶全体に広がるクラスターに属する確率
P(p) をパーコレーションの確率とよぶ。ボンドについても同様に定義できる。一般に、P(p)が有限の測度をもつための
臨界濃度p_cが存在する。
(3)風通しの良さ
筆者は学界の風通しの良さを測るために、各研究者の書いた論文の共著者同志をボンドで結んでいったとき、どのようなネットワークが形成されるか調べてみることを夢想したことがある。ただし、単著でしか論文を書かない人は孤立特異点として除外しておく。研究者の了見の狭さは驚くほどだから、物性物理に範囲を限ってみても、多数のクラスターに分裂してしまうのではないかと恐れている。
- 発見
研究者の目的は「研究」ではなくて「発見」である。ある現象の研究者は無数にいても、発見者はただ一人だ。一度でも発見の喜びを味わったら、研究者であることをやめる事は出来なくなる。私は、ひたすら発見をしたいと願っている。たとえ殺人死体でもよいから、私は第一発見者になりたい。
- 場の理論
有名な理論家K教授は若かった頃、量子場の理論を学んで深く感動した。どれほど感動したかというと、ガールフレンドとデートの最中に
「僕も君も場に過ぎないんだ」
と口走ってしまったほどである。たちまちガールフレンドに振られてしまったK教授は、場の理論は女性を口説くには適切な話題ではないことを痛感した。
- 歯ブラシ研究
重箱の隅をつつくような発展性のない研究。歯ブラシのようなものをいくら研究改良しても何も新しいものは出てこない、というところからできた言葉。
- 歯ブラシ研究(追記)
Tさんがインターネットで次のような記事を見つけて知らせてくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マサチューセッツ工科大学の研究チームが、米国の人を対象に「これなしでは生活できない発明品は何か」という電話アンケートを取ったら、歯ブラシが文句なしの1位になった。2位以下は車、パソコン、携帯電話、電子レンジだった。全米歯科協会のリチャード・プライスさんは「当然の結果だ。歯は毎日使うもの。車やパソコンなら取り替えがきくが、歯はそうはいかない」と話す。歯ブラシの発明は意外と古く、全米歯科協会によると、1498年に中国の皇帝がブタの剛毛を骨に植えて作ったことがわかっている。このタイプの歯ブラシは人気を呼んだが高価だった。経済的に余裕のない家では歯ブラシを家族で共有していたという。研究チームは、歯ブラシが1位に選ばれたことについて強い関心を持っている。一般の人は「偉大な発明は複雑なものであってはならない」と、考えているからだそうだ。(CNN)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
恐れ入りました。
- パラドックス
(1)一見、筋が通っているようで、矛盾した結果に導くような陳述
(2)一見、常識に反しているようで、実は深い真実を物語っている陳述
かって、ある身近な知人が「大阪の人の言う事は信用できない」と私に言ったことがある。その人は大阪の人だった。これを「大阪人のパラドックス」とよぶ。
しかし、大阪の人は容易に他人の言葉を信用しないから、大阪では「振り込めサギ」の被害が断然少ない、というのは本当のことらしい。
物理の世界では、(2)の意味のパラドックスの発見と解決こそ前進の原動力である。多くの場合、これは我々の目がいかに節穴だったか、ということを物語る。
- パラメータ
理論家の魔法の杖
- パラメータ数増大の法則
理論のモデルに含まれるパラメータの数は、時間の経過と共に増大し、決して減少することはない、という法則。9個のパラメータを含むモデルで、10個の実験データを再現し得たとき、それが良い理論であるかどうか、は悩ましい問題である。
- P=log hνの法則
光物性研究者の「押しの強さ」や「声の大きさ」は、扱っている光のエネルギーの対数に比例する、という法則。Pはpower,
pressure, presence, performanceのPである。この値の大きな人のことを「P値が高い人」という。赤外、可視、真空紫外からX線まで、ホラ、よくあてはまるでしょう。中には、この法則から大きく逸脱して、波長の選択を間違えたのじゃないかと思える人もいる。
- P. A. M. Dirac
天才ディラックの逸話はどれも、彼の「寡黙さ」と関係している。彼がどれくらい寡黙だったかというと、会話の中で、ほとんど「Yes」と「No」しか言葉を発しなかった。もっとも、晩年にはボキャブラリーが少し増えて、時には「I
don't know」と言うこともあったという。
講義の後、ディラックが「何か質問はあるか?」と尋ねた。ひとりの学生が立ち上がり、
「(3)式から(4)式を導くところが分からなかったのですが・・・」
と言った。ディラックは
「それは質問ではなくて陳述にすぎない」
と答えた。
プリンストン高等研究所にディラックが滞在していた時、ある研究者がディスカッションをしてもらおうと部屋を訪れ、自分の研究について説明した。その男の長い話が終わると、黙って聞いていたディラックは立ち上がり
「郵便局はどこにあるんだろう?私は手紙を出しに行かなければ」
と言いながら出ていってしまった。
P.A.M.D.の "Quantum Mechanics" (Oxford University Press) は、10代末期の頃の私にとってバイブルだった。(Schiffなんて軽蔑していたもんね。)しかし、最初にこういう本を読んでしまうことの不幸については、当時はまったく思い至らなかった。
- P. A. M. Dirac (続き)
プリンストン高等研究所の教授を長く務めたAbraham
Paisの自伝 「物理学者たちの20世紀」(原題:A Tale of Two Continents, 朝日新聞社刊、杉山滋郎、伊藤伸子訳)を読んでいたら「簡潔で、歯切れがよく、婉曲的な言葉はなくて、一つ一つの話題を徹底的に論じる」ディラックの話し方の例として、次のような会話が紹介されていた。
相変わらずのヨーロッパ流儀で、私はお昼にはいつもサンドウィッチを食べていた。食欲旺盛だったので三切れを食していた。これがつぎのディラックとの会話につながる。私の返事と彼の次の質問との間に、ぜひ三十秒ほどの間をおいていただきたい。
ディラック:いつも昼にサンドウィッチを食べているの?
パイス:はい
デ: いつも昼にサンドウィッチを三切れ食べているの?
パ: たいてい
デ: いつも昼に同じ種類のサンドウィッチを三切れ食べているの?
パ: いいえ、その日の気分によります。
デ: 何か決まった順序で食べているの?
パ: いいえ
- 非可積分の物理量
独立変数が2つ以上ある微分形式では、2点間の線積分値が積分経路に依存することがありうる。これを「非可積分の微分形式」という。非可積分微分形式に適当な関数を掛けて可積分にすることもできる。たとえば、巨視系の微小変化に伴って出入りする熱量dQは非可積分であるが、これを系の温度Tで割った量dS=dQ/Tは可積分量(エントロピーの微分)となる。
私は、現在、ある女子大で非常勤講師として熱力学の講義をしているが、お嬢さん方に「非可積分の物理量」ということをなかなか理解してもらえないで困った。何しろ、ここが熱力学のヘソみたいなものだから、いい加減には済まされない。そこで苦しまぎれに次のようなたとえ話をしてみた。
「今、ある家庭の預金の一ケ月当たりの変化量をdQとしてみましょう。dQは、当然その家庭の収入xの関数でしょうが、同時に、子供の多い家庭では預金に回す余裕がないでしょうから、子供の数yの関数でもあるでしょう。そこで、同時に結婚した二組みのカップルの10年後の預金量Q=∫dQを比べてみると、たとえ、初めと今の給料xと子供の数yが、二つの家庭で同じであっても、いつ給料が増えたか、いつ子供が生まれたか、という家族の歴史の違いによって預金の量に違いが出るでしょう。つまり、預金dQは非可積分な物理量です。」
というと、皆さん、分かった分かったと、うなずいてくれた。私は、何か違うことを教えてしまったのではないか、と少し不安である。
- 引き出しの中
「戸棚の中の骸骨 (a skelton in the closet)」というと「外聞をはばかる家庭内の秘密」という意味だが、研究者の引き出しの中にも他人には見せられない物がいろいろつまっている。再現性に自信が持てないけれどとても面白い実験結果、そのうち取りまとめようと思っているうちに時代遅れになってしまった研究、なぜかエネルギー保存則に合わない実験データ、タッチの差で先を越されてしまった論文の原稿、孤立した計算結果の数々・・・。研究者の引き出しの中には涙がつまっている。
- 非経験的電子状態計算法
実験で得られた経験的数値を一切使わずに、電子状態を計算する手法。実際にこの計算法を使いこなすには、数多くの経験を必要とする。
→第一原理計算
- ひっかける
実験家が装置の性能限界ギリギリで測定したり、裏ワザを用いたりの工夫を凝らして微弱なシグナルを捉えること。最近では、高性能の実験装置が普及して、測定に名人芸を必要としなくなったため廃語となりつつある。大阪の戎橋(えびす橋)近辺では全く別の意味で用いられるので要注意。
- ひっかける(承前)
前項を訂正しておく必要があるようだ。今でも、最先端の実験では名手による職人芸が必要とされるらしい。研究室が移転した途端に、大事なシグナルが出なくなってしまった、という話もよく聞く。引っ越しの方角が悪かったとみえる。まあ、こういう時はお払いでもしてもらうより仕方がないですね。
- ファインマン・ダイヤグラム
言わずと知れた、R.P.Feynmanの考案になる粒子間相互作用の図形的表示法である。これは計算簡略化の手段であるが、麻薬性があるらしく、あまり耽溺すると、どんな事柄もファインマン・ダイヤグラムなしには考えられなくなるから恐ろしい。
最近、知り合った筑波の某研究所にいるロシア人のM氏は、中毒患者の一人である。M氏は研究所のスパコンを1ヶ月間(?)回し続けて、ファインマン・ダイヤグラムの足し上げをやり、クーロン相互作用をする電子と正孔の固有状態を計算した人である。(あのー、それってワニア励起子のことじゃない?)
M氏と議論していると、すぐに「ちょっと待て」と言ってファインマン・ダイヤグラムを書き始める。物理的に明らかなことでも、それに対応するダイヤグラムが見つからないとひどく不安らしい。「おお、あったぞ。これだこれだ。よし先を続けろ」
M氏の目下の関心は、励起子ポーラロンの基底状態を厳密に求めてしまうことである。M氏は力のある人である。
- Phys.Rev.る
Physical Review誌に投稿すること。Solid State Communications誌に投稿することはSoli.Com.(そりこむ)と言う。「この仕事はフィズレヴる前に剃り込んでおきましょう」のように使う。
- フェムト秒で
急いで。「この仕事、フェムト秒でやって下さい」のように使う。T大学K教授の近辺から広まったと言われている。
- 物理学会
(1)社団法人日本物理学会のこと
(2)全国の物理研究者が心待ちにしているお祭り。ワルプルギスのサバトとも言う。毎年、春と秋の2回、日本各地の大学の回り持ちで執り行われる。
物理学会がやってくると、ボサボサ頭にうつろな眼差しで「エレクトロンが・・・、エレクトロンが・・・」と意味不明の会話にふける怪しい男女達で、町はいっぱいになる。日本中の大学や研究所の片隅にひっそりと棲息している、物理屋と呼ばれるいささかクレージーな人種が、これほど大量に、かつおおっぴらに集まれるチャンスなんて滅多にあるもんじゃない。みんな完全に気分はhighである。普段は眠っているような静かな町の路線バスが、この異星人のような連中で占拠されているのを見て、乗り込んできたばあさんが目をむいてステップから転げ落ちたという話は実話である。
彼らは、一人でいても電車の中や喫茶店や公園のベンチなど、いたるところで講演予稿集を広げてむさぼり読み始めるので、すぐに識別できる。西日本のある小都市で学会が開かれたときのこと、私の友人(断じて私自身ではない)が、近くの温泉街のストリップ劇場にしけこんだところ、客席に、ルームライトの薄明かりで講演予稿集を読んでいる男がいたということである。
聞くところによると、同じ学会でも各種医学会が開催される都市では、「歓迎。○○医学会様御一行」と書かれた看板が町中に掲げられるそうであるが、物理学会ではついぞそんなものにお目にかかったことがない。所詮、地元に落とすお金の桁が違うのだ。それどころか、住民のあいだでは次のような会話が囁かれてれているらしい。
「おい、ばあさん。また物理学会が来るとよ」
「アラ、やーですねえ」
「履物、盗られねえように気ィつけなよ」
- 物理定数
プランク定数や光速度や万有引力定数などの物理定数の値が、地球上でも、火星上でも、およそ観測しうる限り宇宙の至る所で同じと考えて、何の矛盾も生じないというのは驚くべきことである。
そこで、こういった物理定数の値を、何としても計算ではじき出したいという野心家が現れる。歴史上有名なのが微細構造定数の謎である。微細構造定数がなぜ約137分の1であって、それ以外の数値ではないのか、多くの真面目なおよび不真面目な議論が重ねられてきた。137を2倍して1引くと水の凝固点の絶対温度になるから、というのはEdingtonの説である。2倍するのは陽子のスピンが1/2だからであって、1を引くのにもちゃんと理由がある(馬鹿馬鹿しいから書かない)。
むかしPhysics Letters (また出たっ!)に、代数幾何(?)の難しい公式をひねくって、ある高次元多様体の体積を計算すると、ゼータ関数やらπの4分の1乗やらの組み合わさった複雑な式が出て来て、これが137.04・・・という値になる、という論文が掲載されたことがある。3編ほどたてつづけに同じような論文が出たが、残念ながら後が続かなかったようだ。
さらに驚くべきは光速度 c = 299,792,458m/s の謎である。これは何と公式 c = 2πlog103 で与えられるのだ! 実際この値は 2.99784126 となって、相対誤差1万分の1の精度で一致する。位取りや単位の違いなど気にしているようでは大物になれないっ!
なぜ 3 かというと地球は太陽系の第3惑星だからであって、2π はもちろん地球が丸いからである。しかし、私は常用対数の出て来るところが、この公式の最も凄いところだと思う。
- Prog. Theor. Phys. Null Sets
Progress of Theoretical Physics on Null Setsの略。発刊が噂されている理論家待望の論文誌。
- 文体
一時、簡潔なヘミングウエイの文体で論文を書こうと努力していたこともあった。今は吉田健一の文体に戻ってしまった。
「結晶中に希釈分散させられた局在スピンが遍歴電子と相互作用する結果高温では相変わらず無秩序状態であることは当然であるとしても、しかしある温度より低温では強磁性的秩序を現わすかまたはスピングラス状態が実現するかそのどちらであるかそれともそのどちらでもないかという問題は実験的検証がいまだにむずかしいのでこれを理論的に論じようとすればパラメータの不定性の大きさがやはり理論的研究を困難にしているという事実はそのとおりとしてもそのことにいまさらのように気づくというのではあまりにも消極的態度といえばいえるので、しかしかならずしもそうではないかもしれないという事実にも注意を払う必要があるので響子は常にそれを意識していることに自分自身で気がついているようで、しかしもしそうだということが本当だとすれば、それはやはり彼女の人生に影を落としていると考えたほうが自然といっても間違いではないのでそれは必ずしも意味がないことではないと光子には思えるのだ(どこかで混線してワケが分からなくなってきたゾ)」
- 兵隊
大学院生。(今は王様という説もある。)この下に「突撃隊」がいる。
→突撃隊
- 平民
私も含めた大多数の研究者。
- 忘却力
書類の締めきりや会議の予定などを忘れる能力のこと。「最近、物忘れがひどくなった」と言わないで「最近、忘却力が強くなった」のように使う。
友人のT君は、「教授になって無責任感に目覚めた」と言っている。「忘却力」と「無責任感」がそろえば、研究者にとって鬼に金棒である。
ま行
- マカロニの穴
学生時代にクラスで「マカロニの穴はどうやって開けるのだろう」ということが大問題になった。議論百出した中で、マカロニの芯を押し出して抜いた部分がスパゲッティになるのだ、と言い出す奴が現れた。もし本当なら「世の中に生産されるマカロニの数とスパゲッティの数は等しい」という美しい定理が成立するのだが・・・。
- マッドサイエンティスト
Wikipediaでは「狂える、もしくは少なくとも常規を逸したところのある科学者」ということになっている。この定義に従うと、筆者の知人のかなりの人数が後半の部分に該当してしまうんだが・・・。
偏見によれば、独創的な研究をするためには、多少なりともマッドなところがないとダメのようだ。J.
R. マイヤーはオランダ商船の船医として東インド諸島へ航海した時、患者の静脈血の色が寒冷地のそれより鮮やかだったことから熱力学第一法則を思いついたという。筆者のごとき凡人には血液の色とエネルギー保存則がどう結びつくのか見当もつかない。マイヤー氏もかなりマッドなお方だったんじゃなかろうか。この際、科学者の資質を評価する基準としてマッドネス指数(M値)を提案しておきたい。
SF作家 堀晃氏の怪著「マッド・サイエンス入門(新潮文庫)」によれば、マッドサイエンスの三種の神器は、タイムマシンと人造人間と美女の解剖らしい。しかし、クローン犬だとかサイボーグ兵士だとかマッドな発明が次々に現実のものとなり、昔なつかしい正統派マッドサイエンティストは絶滅した。
- 見ぬもの清し
ことわざ。なまじ物事の裏側を知らない方が、こころ穏やかに暮らせるということ。
私の横でX線分光の実験家MさんとHさんが、ビールを飲みながら話していた。
「横軸補正はどうしています?」
(横軸補正??何だそれは)
「イ◯ールでやってます」
(データ処理ソフトの名前らしいな)
「マウスでドラッグすると動くでしょう?」
「いくらでも動きますね」
(おいおい)
「アッハッハ」
「アッハッハ」
何も聞かなかったことにしよう、と私は思った。
- 名講義
(1)聞いている時は良く分ったような気がするが、後になってみると何だか分からなくなる講義。
(2)聞いている時はさっぱり分からないが、後になってじわじわと分ってくる講義。
聞いている時によく理解できて、後になって何の疑問も湧かない講義というのは、要するに易しいつまらないことを話しているのだ。
筆者が3回生の時、量子力学の講義はK先生が担当だった。Schiffの教科書でゴニョゴニョと進んでいたが、ある日突然、K先生はウイグナー表示の話を始められた。後になって、K先生はちょうどこの頃、ウイグナー表示に関する論文を書いていたことを知った。今ならありえない無茶苦茶な話だが、この講義は案外、名講義だったのかも知れない。
- 命名法 その1
重要な現象や物質や公式などに、発見者として名前が冠せられるのは、科学者にとって最高の栄誉の一つである。例 コーシーの積分定理、ヒッグス・ボゾン、パイエルス転移、ファインマン・ダイヤグラムなど。Phys.
Rev.やJPSJのあちこちに「○○ effect」や「○○ equation」(○○には自分の名前が入る)の活字が載っている日を夢見たことのない人があろうか・・・。
自分の発見に自分の名前をつけてもらうための「戦略」がある、と教えてくれた人がいる。何か発見したら、出来るだけ長たらしい、舌を噛みそうな名前をつける。double-charge-transfer-induced
-vibrational-rotational-coupled-mode-excitation effectとか何とか。そして、論文を書くたびにdouble-charge-transfer-induced-vibrational-rotational-coupled-mode-excitation
effectと繰り返す。するとその内、他の人は○○ effectと君の名前で呼んでくれるようになるよ、というのである。その前に、何か発見することが先決だと思うけれど・・・。
追記:この人名に因んだ命名のことをeponymという。パリティ17巻10号64ページ(2002年)に土井恒成氏による解説がある。土井氏によると、あまり馴染みのないeponymは、哀れ、次第にもとの普通名詞に置き換わっていく傾向があるそうだ。アメリゴ・ヴェスプッチの名をとったアメリカとか、ロムルスに由来するローマまで来れば立派なものだが。
- 命名法 その2
私が生まれたとき、父親は私を「桃太郎」と命名しようとしたが、親戚一同の猛反対で思いとどまった。人生の危機なんて、どこに転がっているか分かりゃしない。危ないところだった。
若い友人のT君夫妻に待望の男児が生まれた。T君夫妻は、はやばやと名前を決めて、「○○ちゃん、○○ちゃん」と呼んで可愛がっていたが、役所に届けを出す寸前になって、実家から「その名前は字画がよくない」とクレームがつき、急遽、別の名前に変更してしまった。そして今度は「□□ちゃん、□□ちゃん」と呼びはじめた。突然、名前が変わって赤ん坊が戸惑うぜ。
私は、女の子が二人生まれたら、「光子」と「響子」と名付けるつもりだった。「フォトンちゃん」と「フォノンちゃん」である。(「陽子(プロトンちゃん)」もあるけどね。)しかし、残念ながら男の子ばかりだった。ルミネッセンスの研究に生涯の情熱を注いだS先生のお嬢さんのお名前は「ルミ子」である。これは綺麗だ。
や行
- 有効数字
物理をやる上で、有効数字とかorder estimationの概念は非常に重要である。一方、毎年、科研費などの締めの時期になると、配分額の最後の1円までピタリと使い切らなければならない。これは、物理のセンスには真っ向から対立するので、神経を逆なでされるような気がする。もっとも、有効数字で経理をしたら、どんぶり勘定になってしまうが。
我が家の買い物で、女主人(妻)が衣類や家電製品の値段を、これはいくら、これはいくらと最後の桁まで記憶しているのには驚嘆する。私はといえば、有効数字一桁さえ覚束ない。
- 良い量子数
学生時代に量子力学の講義で「良い量子数」という言葉が出てきたとき、「お前は悪い量子数だ」と言って、叱る真似をしていたのは現T大学のW教授である。
- 欲情的論文
NatureやScienceに投稿して掲載されるためには、論文は十分sexyに書かれていなければならない。これは、アメリカで活躍している知人のK氏が教えてくれたアドバイスである。sexyというのは、論文の文体だけでなく、物理の中身も関わってくる話だろう。Nature,
Scienceはともかく、私も、読む人に欲情を催させるほどの論文を書いてみたいものだ。
ら行
- 量子籤
有名な理論家であるK教授は、量子力学の原理を応用した籤 quantum
lottery の提唱者である。これこそ究極の確率法則に従う籤であり、15年後には第一勧銀から売り出される宝くじは凡て量子籤になるであろう、と予言している。もし実現すれば、量子力学のギャンブルへの応用の最初の例になるであろう。
- 理論家
(1)実験の分からない研究者。「実験家」が理論の分からない研究者であるかどうかは不明。
(2)空集合に関する理屈をこねまわしてお金を稼ぐサギ師
- 理論家の道具 その1
B研究所の大学院生だった頃、私達の理論研究室は最上階にあった。ある時、屋上にクーリングタワーが据え付けられ、そのうなり声と振動が、終日響いてくるようになった。T先生がカンカンに怒って事務室に抗議しに行った。帰って来られていわく、
「実験家にとっての実験装置と同じく、われわれ理論家にとっては、この頭が仕事の道具なのだから、それを大切にしてもらわなければ困る、と言ってきました」
私には、T先生が「実験家はまるで頭を使っていない」と言っているようにも聞こえ、可笑しかった。
- 理論家の道具 その2
ある講演会で使ってみたけれど全然受けなかったジョーク。「物理の理論屋には、用いる研究手段によって二つのタイプがあります。一つは、主にコンピューターを使って研究をするタイプです。もう一つは、私のように、主に頭を使って研究するタイプです。」
- 励起状態
物理用語には、素人さんを当惑させるものが多い。私は昔「色中心の励起状態」を研究している、と言って家人の信用を失った。O大学S研究所のY教授は、「不純物の置換侵入(カナで読んで下さい)」をやっている、と言って同じ憂き目を見たそうだ。「ホモ接合の研究」なんかも、かなりアブナイね。
それゆえ、電車の中で、うつろな眼差しをして次のような会話にふけっている男達がいたら、それは物理屋の集団である可能性が高い(W大学K教授の実話にもとづく)。
「いくら励起しても色中心のシグナルが出ないんだ」
「ブツは?」
「ブツはむにゃむにゃ(怪し気な名前)」
「はなぐすりにむにゃむにゃ(ヤクの名前)をドーピングしてみたら?」
「いや、ヴァージンでなきゃダメだ」
「やはりヴァージンでないとひっかからないだろう」
(註)成長させたままで、不純物注入などの加工を施されていない結晶をvirgin
crystalという。
→ひっかける
- レフェリーを泣かせた男
(この物語は全てフィクションであり、実在のいかなる団体および個人とも関係ありません)
有名な理論家K教授も、若い頃は血の気が多かった。K教授は、一部関係者の間で、「レフェリーを泣かせた男」として知られていた。
K教授が国内のある専門誌に投稿した論文に、不運なレフェリーがいちゃもんをつけて来たことから話は始まる。K教授は、ただちに戦闘を決意した。
「喧嘩のやり方を教えてやる。良く見ておきな」
K教授は、共著者であった大学院生に言った。大学院生は青くなって震えていた。
「ふっ、間抜けなレフェリーめ」
K教授の顔に不敵な笑いが浮かんだ・・・。
(ここから先は、残酷な描写が続くので、一部カットします)
K教授は×××××レフェリーの言葉尻をとらえ×××揚げ足を取り×××××締め上げ××××急所をグサリと××××××。××××××無知を暴きたて××××完膚なきまでに××××××血祭りに上げた。
結局、編集委員長の取りなしで、レフェリーが泣きをいれて謝罪し、戦いはK教授側の全面勝利に終わった。
その後、学会の会場などで、互いに会釈をかわしてすれ違うとき、レフェリーだった男が「このヤロー」と心の中で呟いているのを、K教授はぜんぜん知らない。
(完)
- ロードマップ
目的達成のためのスケジュールを、定量的に、時系列に従って描いた予定表。
凄まじいのは、半導体業界のロードマップである。素子の微細化・集積化に向けて、神の声によって世界標準のロードマップが作られ(2003年までに100nm!)、結晶成長、リソグラフイーのための光源、光学系、レジストなど、全ての関連業界のロードマップがそれによって決まる。一旦、決まると到底無理と思われる目標でも、こけつまろびつ、よってたかって実現してしまうのである。しかも、1年、2年は前倒しで。人間、金が絡むとどこまで勇敢になれることか!
よく知られているように、光の波長より細かい構造は、光リソグラフィーによっては原理的に作れない。しかし彼等なら、軟弱な物理法則など蹴散らしてロードマップを実現してしまうだろう。
- 論文数
研究者または研究グループの生産力を示す定量的指標。その有効性はやや疑わしい。
多くの人は論文数と学問への貢献度とのあいだには、ほとんど相関がないということを頭では分っているのだが、論文数信仰の呪縛を逃れることは難しい。年に2本しか論文を書かない人より、20本の論文に名前を連ねている人の方が生産的な感じがするから。
論文数を誇ることにあまり意味がないことは、「俺はアインシュタインより沢山論文を書いた」と自慢している男の滑稽さを想像すれば分かるだろう。ただし、一定のペースで論文を発表し続けることは、良い仕事をするためにも必要なことだけれど、それは別の話だ。
恩師のT先生は、あるときしみじみと
「論文の数は少ない方がいいですね」
と言われた。これがわれわれ弟子共にとって大変なプレッシャーになっていることは御理解頂けるだろう。
ところで、有名な理論家K教授は「論文数を問題にするのなら、論文に含まれている数式の数も評価の対象に入れよ」と息巻いている。K教授に言わせれば、もちろん、たくさん数式の並んでいる論文ほどエライのだ。「とくに3重積分などは価値が高い」とK教授は語る。
- 論文被引用件数
研究者の財産につく利息。
業績評価がますます細かくなって、論文リストだけでなく、掲載誌のimpact
factorと被引用件数まで提出させられる時代になって来た。そのうち、「その論文を引用している論文の掲載誌」のimpact
factorまで勘定に入れるようになるだろう。現に、政府高官になられた先生は「同じ引用でも、論文の始めの方に引用されているのと、終わりの方とでは価値が違う」とおっしゃっておられるそうだ。
「論文の被引用件数は、その分野の研究者の数を反映しているだけだ」というコメントをときどき見かけるが、これが正しくないことを指摘しておこう。もし、ある分野の研究者の数N(t)が一定の定常状態にあったとしたら、1年間に
ある特定の論文が引用される回数はNによらない一定値になることはすぐに分かる。引用する側の論文数とされる側の論文数がどちらもNに比例するからだ。もっとも、これは全ての論文が凡庸な論文で、確率的に物事が決まるという乱暴な仮定に基づいているけれど、基本的には正しい。そこですぐに気がつくことは、肝心なのはNではなくてその増加率dN(t)/dtだということである。ある年に5編しか論文の書かれなかった研究テーマで、その3年後に500編の論文が発表されるようになった場合(こんなことは物理の世界ではザラにある)を想定すればすぐに分かるだろう。実際、膨大な被引用件数を誇る有名論文の多くはこのパターンにあてはまる。研究は「最初にやること」が全てなのだ。
- 論文リスト
研究者の財産目録。
Sさんはポスドクの頃、お見合いに論文リストを提出した。
T大学のK先生のHPに掲載されている論文リストは凄い。300編近く論文を書きまくっているのは立派だが、リストのお終いの方には、「これは○○に掲載されているはず」とか、「□□にrejectされて書き直したが、その後どうなったか不明」などと注釈のついた行方不明論文がたくさん並んでいる。
HPの論文リストの中で、Phys. Rev. LettersとNatureとScienceに掲載された論文を、ネオンサインのように光らせるのはやめて頂きたい。
わ行
- 割り算
講義でベクトル解析を教えている。本日、試験をしたら、ついにベクトルで割り算をするやつが現れた。うーん。君、ベクトルで割り算は出来ないんだよ。掛け算なら2つ(内積と外積)もあるんだけどね・・・。
波動関数で割り算するのもやめてね。
- をんな
定義集を「をんな」で終わらせるのは非常に苦しいのだが・・・。
男性のやる物理と女性のやる物理とで違いがあるか、と聞かれたら、これは全く何の違いもないであろう。しかし、夫婦ともに高名な生物学者であったD先生御夫妻は、夫は卵子の研究、妻は精子の研究、と専門領域を分けておられたそうである。(畑正憲氏の著作による。)ああ、苦しかった。
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