二つの実験

   年末恒例の「今年の漢字」は、早くも「嘘」に決定!

とウソをつきたくなるような昨今のニュースの数々である。騒ぎになるまで私は名前も知らなかった「日本のベートーベン」の一件はどうでもよろしい。滑稽なだけだ。マスメディアの造る「くさいシナリオ」には要注意、というのが教訓といえば教訓だが、どうせすぐに忘れてしまって、大衆はまた騙されるだろう。

 これに対してSTAP細胞の騒動のほうは深刻だ。あまりにも個性的なヒロインの言動に、研究者は仰天、理研の上層部はうろたえ、日本中が振り回されている感がある。データの切り貼りと使い回しの発覚だけで、「善意」であろうがなかろうが(註1)、論文は即アウトだと思うが、本人にはそれが分からないようだ。

 あのNature論文にはおかしいところがある、という情報は、2月の下旬にはインターネットの2チャンネルやブログやツイッターを通して、かなり広まっていた。なにか問題が生じたときに、その分野で深い知識を持った少数の専門家が検討を加えること(専門知)に対して、一般の市民を含む不特定多数が、なんらかの方法でそのテーマに関する総合的な知識を積み上げてゆくことを「集合知」とよぶのだそうだ。今回の事件は、その「集合知」の威力が、インターネットの普及とあいまって遺憾なく発揮された最初の例になるかも知れない。

 「集合知」の構築には、発生生物学の専門家が実名や匿名で情報を提供しただけでなく、ITに詳しい人がコピペを見破ったり、図の使い回しを画像解析から明らかにしたりして貢献している。こうして、くだんの論文はその主要部分がほとんど無価値であることが、あっと言う間に周知されてしまった。シニアの共同研究者たちは、自分がとんでもない論文の共著者になってしまったことに気づいて蒼ざめたことだろう。この急速な展開に対して大手新聞社を中心とするマスメディアの動きは遅く、理研の動きはそれよりさらに鈍かったように感じる。
 
 なお、今回のNature論文を実名で早くから批判し、その後の展開を「集合知」の観点から3月3日の時点で「総括」してしまった慧眼の士がいる。詳しくはこちら
http://blog.fujioizumi.verse.jp/?eid=247
上に述べたことは、ほとんどこの難波紘二先生のブログ「ネットの威力」の受け売りである。

 

 研究というのは定義上、誰もやったことのない新しいことをやらなければ意味がない。新しいことと言っても闇雲にやるわけではなくて、それまでの知識の上に仮説を立てて、それを実験により確認するわけだ。こうして「既知の領域」を少しずつ広げてゆく作業が、日頃、多くの研究者のしていることである。ときに大きくジャンプすることがあって、とりわけ大きなジャンプに対してはノーベル賞が与えられたりする。
 
 いずれにしても、未知の領域へ手探りで歩み出すわけだから、間違いをしないように、また恣意的な要素が混じりこまないように、研究の実行とその記録には厳格な手続きが定められている。その手続きのほとんどすべてについて、ものの見事に違反しているのが今回のNature論文の研究ではなかろうか。

 良心的な実験家にとっても、実験の間違いを逃れることがいかに難しいか、ランダウ門下の物理学者ミグダルが例を挙げて示している。これは私の駄文「誇りと良心」や「造化弄人」にも書いておいた。意識的な捏造ではなくても、仮説に合致する「よいデータ」を得たいという欲望から逃れることは難しい。その誘惑に負けると、実験データの管理・解析がルーズになる。私が駆け出しの研究者だったころ、ある大学の研究室から出る実験データについて、私と親しい関係にあった別の実験家が、注意するように、とそっと教えてくれたことがある。要するに「データが甘い」ということだ。実験家の評価は、こういう具合にアンダーグラウンドで伝わるのだ。


 ところで、今回のSTAP騒動と同時進行で、私が勤めている研究室で行われていた実験の一つが急展開した。ある手法を用いた測定で面白いデータがとれた。ビジュアルにも綺麗な結果だ。実は主宰者のN先生のアイディアで大学院生のH君が長いこと予備実験を重ねてきた。卒業寸前になってやっと狙っていたデータが取れたのだ。自分の身近でこういうことが起こるのを初めて見たので、私は非常に面白い経験ができた。N先生との合作で簡単な理論もすぐにでき、実験曲線の特徴をよく再現した。こういう時、研究室全体が高揚感と緊張感につつまれ、一種独特の雰囲気になる。

 一番印象に残ったのが、論文発表までの研究主宰者の捌き方である。自分にも覚えがあるが面白い結果が出ると、だれかほかの研究者に先を越されるのではないか、と急に心配になるものだ。研究室のメンバー全員に箝口令が敷かれ、論文投稿を急ぐ気持ちと間違いをしたくないという気持ちのせめぎ合いになる。こういう先例のない新しいタイプの実験では、再現性の確認がまず絶対条件になるが、同じ実験を繰り返しても、試料や実験装置の状態が微妙に変わるので全く同じデータが取れることはまずないから厄介だ。今回の実験では、一連の時系列データを取るために10時間ほどかかる。これを何回か繰り返して間違いではないという確信を得たうえで論文を作り速報誌に投稿(註2)。さらに論文がレフェリーに回った後も、もう一度、再現実験を繰り返した。

 私は「理論に合ってるからいいんじゃないですか?」と軽く言ってしまいそうになるのをグッとこらえた。

 

(註1) 法律用語の「善意」には倫理的な意味合いはない。「善意の第三者」といったら「事情を知らない人」というほどの意味だ。

(註2) S. Hayashi, et al., Measuring Quantum Coherence in Bulk Solids using Dual Phase-Locked Optical Pulses , Sci. Rep. 4, 4456 (2014).


                                        (April 2014)

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