アルト・シェンクと仮面舞踏会

 私が高校生のころ、東京池袋の繁華街のはずれに西武系列のスケートセンターがあった。建物上階にはボウリング場やレストランもついていて、評論家風にいえば高度経済成長期の新しい大衆娯楽施設として大いに賑わっていたのだ。

 ある理由から、私はこのスケートセンターには出入り自由に近い特権を持っていた。それでクラスメートを引き連れて、放課後にはよく滑りにいったものである。これでもシティボーイだったんだぜ、イエーィ。 池袋だけど。

 アイススケートで使用する靴には、目的に応じてスピード競技用のロング、ホッケーそれにフィギュアの3種類がある。ロングは刃が一番長くかつ低く、底辺が直線状である。氷との摩擦による抵抗を少なくするためである。これに対してホッケー用の刃は短くて高い。一番の特徴はエッジの底辺がやや弓なりに湾曲していることだ。そのために氷面とは一点で接触することになり、ホッケー競技に必須の急転回や急加速、急減速ができるようになっている。フィギュア用はエッジが特に鋭く削られており、前の部分にストッパーがついている。これで華麗なジャンプや回転が可能になる。私が使用したのはセミロング(ハーフスピードとも)の靴である。ロングは危険なのでスケートセンターでは認められていなかった。

 アイススケートでは、まずクロスを覚えなければならない。これはカーブで曲がるときに体を傾斜させ外側の足を前方から内側に入れて一瞬、足を交差させる技術である。普通、走るときには人間はこのような動作はしないので、最初は少し勇気がいる。しかし一度クロスを覚えてしまえば、あとはいくらでも楽しくリンクを回り続けることができる。滅多に転ぶことはない。

 ジャンプや回転などはしなかったが、後ろ向きのスケーティングも出来るようになった。平地で人間が自力で出せるスピードという点では、スピードスケートが最高だろう。また後ろ向きに高速で走るという経験ができるのもスケートならではの面白さである。スケートには自由がある。

 リンクの真ん中では、小さな女の子がフィギュアのジャンプや回転の練習をしている。その周りを流れる人ごみを巧みに縫って、ホッケー靴の兄ちゃんがカッコよく走り抜けていく。私のクラスメートが、一緒に連れてきたガールフレンドと手をつないで滑っている。そういうのを横目で見ながら、私は黙々と滑り続けた。

 大学に入ると、以前ほどには頻繁にスケート場にかようこともなくなってしまった。それでもスケート競技をテレビで見るのは好きだった。札幌冬季オリンピックでの超人アルト・シェンクの滑走は忘れられない。1万メートル滑走でラップがぜんぜん落ちないのだ。凄かったぜ、あれは。


 最近は、フィギュアスケートの放送をテレビでよく見ている。現在、日本は男子も女子もフィギュアの分野は絶好調である。苦労された先人の皆さんには失礼だが、フィギュアスケートは日本人には体型的にも無理なんじゃないかと思ったりしたものだが、いまは次から次ぎへと有望な新人が現れて楽しませてくれる。彼ら彼女らは手足が長くてスマートなだけではなくて根性があり、切磋琢磨してめきめき成長していくのが目に見える。競争原理が組織を強くする良い例だろう。物理の世界もこうあって欲しいものだ。

 技術的には男子フィギュアが圧倒的に面白いが、おぢさんとしては女子フィギュアのほうに、より関心がある。わたし浅田真央ちゃんのファンです。彼女の精神力の強さには感服するし、女性としての天性の優美さが素晴らしい。才能を持った少女がおとなの女性に成長していく過程を、テレビの画面を通じて見物できるのだから贅沢なことだ。

 皆さんは、この人の手の表情の美しさに気づいているだろうか?彼女がショートプラグラム「仮面舞踏会」のドラマチックな音楽に乗って滑り始めた瞬間、両手が水鳥の羽のように羽ばたくのを見て電気が走った。人は羽ばたくこともできるのだ!それ以来、彼女の演技を見るとき、どうやら私はいつも手を見ているらしい。

 
真央ちゃんの「仮面舞踏会」の演技もアルト・シェンクの1万メートルの滑走も、同じ時代を生きるものだけが見ることのできた一瞬の特権だったのだろう。


                                        (Dec. 2012)

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