シンガポールという国

  シンガポール共和国はマレー半島の先端、赤道直下に位置する都市国家である。マレー半島とはジョホール海峡で隔てられた島国でもある。国土面積は東京23区とほぼ同じで、人口密度6,430人/km2は国としては世界2位。ただし都市としては平均的で、たとえば東京23区は14,389人/km2である。人口構成は華人(74.1%)、マレー系(13.4%)、インド系(9.2%)およびユーラシア系(欧州・アジアの混血)からなる多民族国家である。

 シンガポールは、1824年にイギリスの植民地に組み入れられた。イギリスはシンガポールを東南アジア植民地支配の拠点とし、海軍と陸軍をおいて要塞化していたが、太平洋戦争初期に日本軍の攻撃により陥落した(山下・パーシバル会談)。日本によるシンガポールの支配は1945年8月の敗戦まで続いた。その間、日本軍による華人殺害事件(シンガポール華僑粛清事件)が起きている。日本の敗戦後は、イギリスが支配権を回復したが、マレー半島における植民地搾取を続けたイギリスに対する反感が根強くあって、独立運動が続いた。まずマレーシア連邦内の自治領として独立。その後、1965年にマレー人優遇策をとるマレーシア連邦から分離独立を果たした。この時の建国の父がリー・クアンユーである。

 今年のCLEO-Pacific Rimは7月31日から8月4日まで、シンガポールで開催された。会場はベイエリアのサンズホテルに付属するコンベンションセンターである。私も参加して口頭発表を行ってきた。CLEOはレーザー関連のマンモス国際会議の一つであるが、どちらかというと基礎科学よりは応用に中心がある。今回は日本からの参加者は数少なく、中国から来たと思われる研究者(またはシンガポール国内の華人)が圧倒的に多い印象だ。

 シンガポールは初めてだったので、会議の空き時間に見物して回った。言うも愚かなことだが、赤道直下なので湿度が高く猛烈に暑い。街は驚くほど清潔で、落書きやゴミのたぐいは皆無。移動の手段としてはMRTと呼ばれるメトロが便利だ。電車の中で立っていると、必ず席を譲ってくれる。有りがたく座らせてもらうが、少し複雑な心境だ。そういえば電車の中や街頭には若い人が多く、老人をほとんど見かけない。英語が普通に通じるが、Singlishという激しくナマった英語があるそうだ。 学校では英語と母国語(中国語、マレー語、タミル語など)の2言語が必修となっている。

 東南アジアの一角にシンガポールのような国があることは、奇跡のような現象だ。2015年の国民一人当たりの国民総所得はアメリカ合衆国に次ぎ世界第9位で、アジアでは最高の高所得国である。知識集約型製造業、金融業、サービス業、交通運輸業(国内最大の企業はシンガポール航空)、港湾事業などの産業が盛んである。

 地図を見れば分かるが、シンガポールは地理的にASEAN諸国の中心に位置する。実はオーストラリアにも近い。シンガポールが、資源の豊富なマレーシア連邦から追放されて独立した時、リーダーが国の将来を見据えて何を考えたか想像してみる。おそらく東南アジアと世界を結ぶ拠点(Hub)として生きるしかないと考えたことだろう。こういうことを決めるのが政治家の役割なのだ。まず、産業を興し国を富ませ国民に富を分配すること。

 

   植物園内Orchid Gardenのラン

 

 シンガポール政府は、この方針に忠実に国を運営してきた。徹底したエリート教育を行い、高度人材を呼び寄せ、国土まですっかり改変してしまった。現在、シンガポール島の植生すら一変し、かっての面影を残していない。わずかに世界文化遺産である植物園の一部に「熱帯雨林コーナー」として保護されているだけだ。シンガポールは、熱帯雨林の一角に出現した幻想の都市国家なのである。

   ベイエリアからのスカイライン

 

  サルタンモスク内部

 

 

  ヒンズー教寺院内部

 

 しかし、多民族国家であることを反映し、市内にはチャイナタウン、リトルインディア、アラブ街などもあって面白い。イスラムのモスク内部は静寂に包まれているが、ヒンズー教寺院は外も内も偶像だらけで、読経の音もドンガラガラとまことに賑やかである。

 今回は短い滞在だったが、また来てみたい国だ。それにしても、もう少し涼しい季節は無いものか?

 

 


                                        (Aug. 2017)

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