昭和の残像 2017年夏

荒川へ行く道

    

 こどもの頃、夏には友達と荒川放水路まで虫取りや魚釣りに行った。十条から赤羽まで行く道は、岩槻街道である。道の両側には、古ぼけた商店や民家などが点在しており、全くの田舎道だった。十年ほど前から、道路の拡幅工事が始まり、古家が取り壊されていく。


化石

   

 50年前にタイムスリップしたような懐かしさと気恥ずかしさを覚える。これに太った資本家のイラストが付いていれば完璧だ。


お富士さん

   

 毎年、7月1日の富士講の祭礼に合わせて縁日が立つ。左の写真いちばん奥の突き当りに、私の母校 北区立荒川小学校がある(開校明治6年)。その前が富士神社である。お富士さんが来ると、もうすぐ夏休みだ。


蝉しぐれ

    

 八月の雨の中で蝉が鳴いている。今日は公園に子供たちもいない。

 

一枚の写真

 

  昭和38年、大学に入学した年の夏休みに、妙高高原の池ノ平にあった東大寮で部活(TSG)の合宿をした。それから50年後に再会したK君が、この時撮ったという上の写真をくれた。横幅50センチほどの木枠に貼った展覧会用の写真である。K君は当時、写真のサークルにも所属していた。
 写っている人物は私らしい。前方は「いもり池」である。池ノ平では、午後になるといつも黒姫山から深い霧が下りてきた。私たちは、午前中は物理や数学の輪講をし、午後はこのいもり池で舟遊びをした。私は軽い偏頭痛持ちだった。

 


                                        (Aug. 2017)

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