新入生諸君へ
 
 また大学の新年度が始まった。 キャンパスは新入生を迎えて活気にあふれている。
 
  もう10年以上も前に学科主任だったときに、求められて「工学部ニュース 」という学部の広報誌に寄稿した文章が見つかったので、そっくりコピペして再録しておくことにする。いま読むと居直りともとれるような発言をしていておかしいが、基本的には私の考えは変わっていない。

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新入生諸君へ

                                      数理工学科 教授 萱沼 洋輔

 新入生の皆さん,まずは入学おめでとう.かっては新入生だったこともあり,また,数多くの新入生を迎え入れ,卒業生を送り出して来た側の一人として,諸君がやって来た大学とはどういう所か,私見を述べてみたい.少しは諸君のカルチャーショックを和らげるのに役立つかも知れない.

(1)大学の講義はつまらない

 工学部の先生の大半は,「自分は教師というよりは研究者だ」と思っている.研究者といっても,諸君がまっさきに習う力学や微積分や線形代数の研究をしているわけではない.「自己組織化ニューラルネットワークによるカテゴリー分類手法」だとか,「2次元モデルによるトランサム船尾近傍の自由表面流場」だとか,「高分解能オージェ分光法により測定されたBF3分子の内殻励起状態での原子移動」だとかについて研究しているのだ.

  研究は人を夢中にさせる魔力を持っているし,研究者の世界には,全精力をあげてやっていないとすぐに第一線から脱落してしまうという厳しさもある.要するに,持てる情熱の100%を講義のみに注いでいる先生は,いないわけではなかろうが,そう多くはない.ここが高等学校までの教育と大学での教育の違うところだ.教えることに生活をかけている予備校の先生などとは,土台,勝負にならない.

  もちろん,大学の先生だって,何とか分かってもらいたい,と思って講義をしているし,そのためにいろいろ工夫を凝らしている.しかし,「おもしろおかしく話を聞いて,自然に学力が身につく」ような講義を期待するのは,はじめからあきらめた方がよろしい.まじめな先生の講義であれば,上手とはいえなくても,学問そものの面白さを何とか学生に知らせたい,という気持ちが伝わってくるだろう.

(2)大学の講義は難しい

 大学の講義がつまらないと感じられるもう一つの理由は,それがよく理解できないからかも知れない.理解できなくなってしまうのは,知らなければいけない事柄が,急に広く深くなっているのに気付かないからである. Aという講義の内容を完全に理解するためにはBという講義の内容を理解していなければならず,Bという講義の内容を理解するためには・・・,という具合できりがない.しかも,往々にして,講義Bは講義Aより後で開講されたりする.

  いうまでもなく,大学のカリキュラムというものは,極力こういうことが起こらぬように作られているのだが,ベルトコンベアーのように,その流れに乗ってゆけば,全てが段階的に理解できるような完全無欠のカリキュラムは未だに存在しないし,そんなものは永遠に作られないだろう.
 「先生,それはまだ習ってません」
 「今,教えてるじゃないか」

 これはたしかに悩ましい問題だが,その都度,なんとか頑張って乗り越えて行くしかない.分からないところを自分で調べ,友達に尋ね,なんとか通過する.数人で一つの本を輪講(交代で講義しあって解読してゆく勉強法)するのもよい.講義だけが勉強の場と思わぬことである.

(3)先生に質問しよう

 それでは払った授業料のモトはどこでとるのか?先生に質問するのである.講義中であれ,講義の終わった後であれ,チャンスを見つけて質問する.たいていの先生は,よほどの事情がない限り,学生の質問を歓迎するはずだ.それは,学生の質問が,自分の話していることが皆に受け入れられているか,興味を持たれているか,を知る目安になるからだ. 講義をしていて,何の反応も無いのが一番こたえる.

  研究室まで押しかけて行って質問するのは,さらに好ましい.それに,度々質問して,顔と名前を覚えてもらえば,当落すれすれの単位を出してもらえる(かもしれない).「一度顔を見知った相手は,なかなか斬れるものではありません」と昔の刺客も言っている.

(4)それでも大学の勉強は難しい

 残念ながらそのとおり.理工学というのは,とりわけごまかしの効かない学問である.人類が長い年月をかけて築き上げて来た成果を,4年間でマスターして,卒業研究までにその分野の最先端まで,曲がりなりにもたどり着かなければいけないのだから,思えば呆然とする.

  高等学校までの教育は,文部省によってしっかり「たが」がはめられていて,勉強する範囲もここからここまで,と決められている.大学にもカリキュラムが無いわけではないが,それはそのまま未知の領域に接しているのだ.大学では,なぜ研究者が同時に教育もやらねばならないか,という理由がそこにある.未知の世界の探検ほど心躍ることはない.工学部の勉強はたしかに難しいが,その努力が裏切られることはないだろう.


   1999年大阪府立大学工学部ニュースに記載


                                   (April 2011)

 

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