東海道新幹線の車窓から

 今、仕事で月に一回半程度の割合いで新幹線に乗り、東京と大阪の間を行き来している。国鉄(当時)の東海道新幹線は、1964年に東京オリンピックに合わせて開業された。私が初めて新幹線に乗ったのがいつだったか、もう思い出せないが、東京・大阪間だけでも二、三百回は往復している勘定になるだろう。

 現在では、東京・大阪間は、「のぞみ」ならば2時間30分程度で移動できる。2時間30分というのはなかなか微妙な時間である。業務から解放された貴重な時間とも言えるし、耐え忍ばなければならない退屈な時間ともいえる。この2時間30分をどう過ごすか。

 カバンから論文を取り出して読むこともあるが、ビジネスマンや家族連れの乗客たちの中で、英文の論文を広げて読むというのは妙に緊張して、どうもあまり具合がよくない。パソコンを開いてなにやら作業をしている人もいるが、私はそれほど忙しい人間じゃない。居眠りすると、目覚めてから頭が痛くなるたちなので、これもあまりよろしくない。結局、車内販売のコーヒー(ときにビール)を飲みながら車窓を流れる景色を眺めて、いろいろなことを漠然と考えて時を過ごすことが多い。

・愛鷹山と富士山

 東海道新幹線の楽しみの一つは、沿線に四季おりおりの美しい日本の風景が見られることだ。これはあまり言われていないが、もっと強調されてもよいことではないかと思う。中でも、天気の良い日には富士山が見られるのは楽しみの一つ。これはもちろん新富士駅の近くが絶景ポイントだが、皮肉なことに、そのあたりは製紙工場の密集地で、富士山を背景にもくもくと煙を吐く煙突が林立している。

 富士山の姿が見える範囲は意外と広いのである。大阪から東京に向かう列車で、右前方に、つまり海側に一瞬、富士山が見える場所があるのをご存じだろうか。ほとんどの乗客は気づかないが。

 大阪に向かう列車で東京を出ると、まず丹沢の山なみが関東平野の向こうに見え、それから小田原で箱根山、そして三島の近くで富士山が見えてくる。ところが三島市からは富士山は見えないのだ。なぜか?愛鷹山(あしたかやま)が三島市と富士山の間に立ちふさがっているのである。もし、愛鷹山がなければ、市内から絶景の富士山が見えるはずなのだが・・・。愛鷹山は立派な山には違いないが(註)、一度、三島在住の人にどう思っているのか、本音を聞いてみたいものだと思う。

・静岡県

  いっちゃ悪いが、静岡県は図体の大きいわりに存在感が少ない県だ。富士山があるだけだ。だいたい、あんなに大きいのに「のぞみ」の停車駅が一つもない。退屈のあまり、新幹線は2時間30分の大半の時間を、静岡県を通過することに費やしているのではないかという気分になる。静岡県をワープできたら、どんなに時間短縮になるだろうと、くだらないことを考える。

・浜名湖

 浜名湖は明るい。しかし空虚で少し退屈だ。

・関ヶ原と伊吹山

 大阪へ向かう列車が大垣を通過してしばらくゆくと、ひなびた風景の両側から丘陵が迫ってくる。関ヶ原である。日本史上、最後で最大の合戦の行われた古戦場の真ん中を新幹線は走っているのである。この狭い土地に東西両軍合わせて十数万の将兵が、ひしめき合って戦ったのだ。主な武器は鉄砲だったが(当時の日本は世界最大の鉄砲保有国)、最後の決着は白兵戦によらざるをえなかったにちがいない。合戦の当日は雨模様だったそうだ。きっと、ぬかるみの中で泥だらけの男たちが戦ったのだろう。勝敗は半日で決した。

 列車が森林の中に入るとすぐに関ヶ原トンネルである。ここが岐阜県と滋賀県の境になっている。それよりも美濃と近江の国境と言ったほうがよさそうだ。

 トンネルを出ると右手に伊吹山がそびえている。セメント会社に削られて、上のほうは段々畑のようになってしまったが、それでも大きくて立派である。伊吹山は夏がよい。大阪から東京へ向かう列車でここを通ったとき、「夏の旅伊吹を移る雲の影」と駄句をひねった。

・比良山系と琵琶湖

 冬から早春にかけて天気のよい日だと、琵琶湖の対岸に雪を頂いた美しい比良の山なみを見ることができる。ところが肝心の琵琶湖がほとんど見えないのが残念だ。実は線路は琵琶湖の近くを走っているのだが、平地なので見えない。高架にしてくれていたら、もしくは、もう少し湖の近くに線路を敷いていてくれたら、富士山にも劣らぬ絶景ポイントとなっていたはずだが、そこまでの余裕はなかったのだろう。

・瀬田の唐橋

 大津の町にはいると、瀬田川を渡る。有名な唐橋が懸っているのが見える。琵琶湖マラソンのコースは、以前は唐橋を通って皇子山陸上競技場に向かって折り返していた。NHKテレビの中継のアナウンサーがこのあたりで「唐橋を制するものは天下を制す」と、毎年同じことをいうのがおかしかった。かくいう私も「瀬田から出れば月上がり(下から出ればつけあがり)」とか「瀬田の唐橋 雪駄に唐傘」と、毎回同じ地口を思い出している。

・天王山

 京都を出ると大阪も間近だが、最後の楽しみが大山崎である。ここは明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の合戦の地である。天王山のすそ野が隘路になっていて、桂川、宇治川、木津川の三つの川が合流して淀川になる。また、東海道新幹線、東海道本線、京阪電車、阪急京都線それに名神高速道路までもがよじれあうように近くを走っている。いかにも交通の要衝だということがわかる。
天王山の中腹の木々の間に、赤い洋館の屋根が見える。これは大山崎山荘である。一部が美術館にもなっていて、モネのコレクションなどがある。

・グリニャール反応の・・・

 もう一つ楽しみがあった。新幹線が新大阪駅に近づくと、周囲は町工場や小さな家々の立て込んだ大阪らしい町並みになる。電車が速度を落とし始めるころ右側の窓から、「グリニャール反応の○○化成」と書かれた看板を屋根に掲げた工場が見える。グリニャール反応?何だそれは?業界では有名な反応なのかも知れないが、一般にはあまり知ってる人はいないだろう。まあ、仕事に一生懸命なのは分からないでもないが・・・。もし「トポロジカル絶縁体の○○工業」とか「アハラノフ・ボーム効果の○○電産」なんて看板が立っていたらと想像すると可笑しい。実は私は毎回、このグリニャール反応の看板を見るのが楽しみなのだ。頑張れよ。

 長々と書いてきたが、こうしてみると、すべて大阪に向かう列車の右手つまり山側の景色であることに気づく。こちらは2列席である。これからしばらくは新幹線の車窓から、次第に深まってゆく新緑を眺めるのが楽しみになる。


(註) 「寒月ガカカレバ君ヲシヌブカナ 愛鷹山ノフモトニスマウ」 (井上靖 あすなろ物語)


                                           (April 2012)

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