細部の真実らしさ

 小説を読む楽しみの根本は、なんといっても日常を離れて、作者の紡ぎだす物語の世界にひたることだろう。物語とは壮大な「嘘」である。その嘘を支えているのは、実は細部における「真実らしさ」なのである。細部の真実らしさに支えられて、読者は物語の世界を旅してゆけるのだ。これは小説の技法としては基本中の基本だ。

 小説と政治を同列に論じるのは適切じゃないとは思うが、私は政治家の仕事も多少、小説家に似たところがあると思う。古今東西を問わず大政治家と呼ばれた人々は、まだ世の中に存在しない制度や仕組みを構想し実現させた人達と言ってよいだろう。利害調整に駆け回るのは小物政治家の仕事である。

 例によって、出典は正確に記憶していないが多分「わが闘争」の中で、アドルフ・ヒトラーがおよそ次のようなことを言っていたと思う。
「大衆は小さな嘘を決して許さないが、大きな嘘には寛容である。自分たちには恥ずかしくてとても言えないような壮大な嘘を、大衆は許すばかりか、むしろ喜んで受け入れるのだ」

 安部首相をヒトラーと比較するのは、全く穏当を欠くということは承知の上で、近頃の政権のゴタゴタを見ていて、このヒトラーの言葉を贈りたいという気が、時にする。安部さんには、何としても実現したい構想があるはずだ。ならば、大衆あるいは野党のケチなアラ探しを過少評価しない方がいいだろう。壮大な嘘(構想)を支えるのは細部の真実らしさなのだから。


                                        (July 2018)

目次に戻る