仙台

 1980年代から90年代初めにかけて、東北大学理学部物理学教室は、若手が多士済々で面白いところだった。物性理論グループだけを見ても、岡部豊、吉田博、佐宗哲郎、竹ケ原克彦、鈴村順三、岡田耕三などの諸氏が助手をしていた。また、助教授になっていたが、高木伸さんや酒井治さんもいた。(この人達は、今では全部転出してしまった。)

 吉田博さんが「昨日、超伝導が出ました」と言ったのは、研究室のお花見の席である。高温超伝導の騒ぎが始まるとすぐ、吉田さんは、あちこちの実験研究室から道具や材料をかき集めて来て、ゴリゴリと乳鉢を摺り始めた。吉田さんと岡部さんのいた理論部屋は、まるで化学実験室のようになった。そして実際に酸化物超伝導体を作ってしまったのである。今でこそ、高等学校の理科クラブでも作れることが分かっているが、あの当時、東北大学で最初に高温超伝導物質を作製したのは多分、吉田さんであろう。私は、自分とはまったく異質の才能を持った理論家がいることを、はっきり認識した。

 野末泰夫さんの車の中で、野末さんから「まだオフレコでお願いしますが、強磁性、出ました」と教えられた時も驚嘆した。後にIBM科学賞の受賞につながった、ゼオライト中のアルカリ金属磁性の研究の始まりである。

 高橋隆さんが、角度分解光電子分光で酸化物超伝導体のフェルミ面近傍の電子状態を明らかにしたのは、これより少し前であったろうか?

 これらのニュースを、私は当の本人から、ほとんど発見のその場で聞いたのだ。皆、助手だった。こういう大学が、他にどれほどあったろうか?80年代から90年代の初めにかけて、東北大物理で助手を張っていた、といえば、その筋では、かなりの「顔」のはずである。

 東北大学と仙台の町は切り離せない。城下町仙台の昼間の顔は、清潔な杜の都であるが、夜になると、一部かなり淫靡な街に変貌するらしい(私はよく知りません)。国分町あたりでは、杜の都に似つかわしくない「ピンクちらし」が、あちこちに散乱している。全裸の、またはほとんど全裸の半裸の(ああ、ややこしい)おねーさんが、にっこり微笑んでいる、例の名刺より少し大きめのカードである。

 あるとき、研究室の忘年会があり、皆で国分町の飲み屋で飲んでいたら、隣の吉田さんが
「カヤヌマさん、これ、私からの贈り物」
といって、何かをくれた。(吉田さんは、よく物をくれる人である。)見ると、どこで集めたのか、大量のピンクちらし。数十枚にもなろうか。私は
「や、これはうれしいね」
とありがたく頂戴し、しばらく、美女達のナイスバディを鑑賞してから、背広の内ポケットにしまった。そして、そのまま忘れてしまったのがいけなかった!

 それから数日して、東京の実家で新年を迎えるために、家族全員、新幹線で帰京することになった。仙台駅の切符売り場で、私は妻と子供達を従えて、切符の自動販売機の前に並んだ。順番が来て、背広の内ポケットから財布を取り出したとき、何かがバラバラとこぼれ落ち、足もと一面に散乱した。半裸のおねーさん達が笑っていた。
 妻の顔が引きつった・・・。
 我が家における夫および父親の権威が、これを境に完全に失墜したのはいうまでもない。吉田さん、俺はあんたを恨んだぜ!

 しかし、仙台はよい街である。私は今でも、仙台と東北大学が好きだ。