正装しないでサラダを食べた

 外国語を原語でスラスラ読める人は別だが、普通は海外で出版された本は翻訳があればそちらを読む。私も海外ミステリーなど仕事関係以外の外国の本は、ほとんど翻訳にたよっている。そうなると訳者の技量が決定的に重要になってくる。一番よい翻訳は、翻訳だと感じさせないものだろう。逆説的だが、訳者の存在を忘れさせるのが名訳である。

 ところで世の中には誤訳というものがある。翻訳があるかぎり誤訳はなくならない(註)。寺田寅彦が、誤訳についておよそ次のようなことを書いている。
「誤訳は原語に戻してみると意味が分かることがある。『正装しないでサラダを食べた』などはその例だ。」
 寅彦はこれだけしか書いていないので、初めて読んだときは何のことだかわからなかった。あるとき、サラダを食べていて突然、その意味がわかった。

 一読して意味がよくわからない訳はほとんど誤訳と思って差し支えない。学生時代にボーヴォワールの「第二の性」を読んだ。なにしろ実存主義大流行の時代だったから、サルトルの同伴者の彼女の本もかじってみたのだ。ところがアナタ、これが第一行目から徹底的に(当時のセリフではテッテ的に)わからないのですね。いったい何の話をしているのかさえわからずチンプンカンプン。わたしは恐れをなして途中で投げ出してしまった。一行も理解できなかった本というのは、後にも先にもこれだけである。多分、翻訳者にもまったくわかっていなかったのだろうと、今なら思う。

 誤訳は語学力の不足というより、多くは常識または想像力の欠如によるのだ。最近、新聞の書評欄で高い評価を得ているトマス・H・クックの新作ミステリー「ローラ・フェイとの最後の会話」を読んだ(村松潔訳 早川書房)。その中に物語の舞台となるアメリカ南部の田舎町の描写があり、「ツツガムシやクズ、アメリカヤマゴボウの分厚く繁茂する茂み」というくだりがあった。ツツガムシが繁茂?? ピンと来たので寅彦の手法を適用してみた。

 ツツガムシ(chigger)をgoogleで調べるとchigger weed(またはbutterfly weed)というのがあって、「米国東部と南部に自生するオレンジ色の花をつける多年草」とある。これですね!これなら私も知っている。ミシガンに行ったとき見たし、絵ハガキも買ってきた。

 翻訳者の名誉のために言っておくと、訳文は全体には読みやすくて問題ない。ツツガムシが繁茂、と書いてへんだと思わないのはいささか困るが。ただし、小説そのものがなんとも陰々滅滅とした話で面白くない。書評なんてあてにならない。

 こんなのは良いほうで、もっとひどい、誤訳とすらよべないのが機械翻訳である。マイクロソフト社の機械翻訳システムは「宇宙天啓データベース」という。もちろんこれも機械翻訳。かつては、そのサポートページに「断続的に絞首刑が発生します」と書いてあった。今では少し進歩して「神秘が明らかになりますデータベースG.2が断続的にハングを可能性があります」となっている。
http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=kb;JA;74586

 最近の例では「アインシュタイン その生涯と宇宙 上下」(武田ランダムハウスジャパン、二間瀬敏史 監訳)が有名だ。上巻はいいが下巻がめちゃくちゃで、たとえばこんな凄い訳文がある。

「ボルンの妻のヘートヴィヒに最大限にしてください。(そのヘートヴィヒは、彼の家族に関する彼の処理、今や説教された頃、彼が「自分がそのかなり不幸な回答に駆り立てられるのを許容していないべきでない」と自由に彼を叱った。)以上は、彼が目立つべきであり、彼女が言ったのを「科学の人里離れている寺」に尊敬します。」(p.41 訳文のママ)

 これを読んで頭が痛くならない人がいたらお目にかかりたいものだ。さっそく寺田寅彦の手法--原文に戻して理解する--を適用すると、「ボルンの妻のヘートヴィヒに最大限に・・・」のくだりは、Max BornのMaxを動詞か副詞と間違えたのだろうと推理できる。あとは皆目わからん。
 このほかにも「(会議で)プランクはいすにいた」というのもあるらしいが、これはもう、寅彦の手法を学んだ人にはすぐに解読できるよね。

 どうしてこんなにひどいことになったのか?機械翻訳をそのまま出版したからだ。その顛末はここに出ている。
http://gigazine.net/news/20110730_randomhouse/
ネットには、Exciteの自動翻訳に原文を入れると、これとまったく同じ訳文が出てくる、という情報も流れた。

 この話は騒ぎになったので知っている人も多いだろう。出版社もさすがに下巻の方は発売中止して回収したらしいが、逆に人気が出て古書市場では品薄状態と聞く。機械翻訳をそのまま出版した最初の例として、出版史にその名を刻んだ貴重本なのである。

 

(註)小林秀雄は東大仏文科の学生時代、ある女性と同棲し生活費を稼ぐためにボードレールの翻訳をした。彼は「誤訳は水の中に水素があるようにあるだろう」と豪語(?)している。

 

                                            (Jan. 2012)

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