フォノン嫌いとフォノン好き

 角砂糖ほどの大きさの結晶の中には、10の24乗個もの原子が整然と並んでいて、それと同じくらいの数の電子(価電子)がその上を動き回っている。これは一見、手に負えない状況のように思えるが、ブロッホの定理によって理論的に処理ができるのである。ブロッホの定理とは、要するに「ここで起きていることは隣で起きていることと同じ」ということを量子力学的に表現したものだ。彼がこれを論文[1]に書いたのは1928年、量子力学が完成した直後のことである。時にブロッホは弱冠23歳。

 


 固体物理の研究者は「フォノン嫌い」と「フォノン好き」の2種類に分類できる。ただし、ここでいう「フォノン」とは、ブロッホの定理に従う穏やかな原子の振動のことじゃなくて、もっと激しい原子の移動をともなうような運動のことだと理解していただきたい。私見によれば「フォノン嫌い」と「フォノン好き」の比率は、圧倒的に「フォノン嫌い」が多い。とくに理論家ではこの傾向が顕著である。
 

 「フォノン嫌い」の研究者にとっては、固体というのはカッチリ構造の決まった舞台であって、その上で演じられる電子の演技に興味があるのだ。無論、電子を演技させるためには、光や電場や磁場のような刺激をちょっと加えてやる必要があるが、知りたいのは基本的には基底状態とよばれる、エネルギー最低の状態や、たかだか少しだけ高いところの状態である。

 「フォノン嫌い」派としては、かわいい電子たちが芝居を演じている舞台がグラグラ動いては困るわけだ。著名な理論家のなかでは、原子の運動がいっさい係わらない電子の問題だけを研究してきた人が圧倒的に多い。実際、優秀な理論家なのに「私はフォノンが嫌いです」と公言する人がいて、最近、私はちょっとショックを受けた。

 「フォノン嫌い」の理論家は、精緻な数学的理論が好きだ。その極北にいるのは、厳密解派と第一原理主義バンド計算派かも知れない。彼らが、結晶の表面からイオンが飛び出したり、結晶の中に欠陥がボコボコ生じたりするような話を聞くと、おぞましいモノを見たかのようにそっと眉をひそめる。そして「くわばらくわばら」と小さな声でつぶやく。

 原子が規則正しく並んだ完全結晶という舞台の上で、沢山の美しい固体電子の理論が作られてきた。その根底にあるのはブロッホの定理だ。しかし、困ったことに原子は動く。ことに最近では、強度の非常に高いレーザーやテラヘルツ光源が使えるようになり、また、高エネルギーの強いX線源もできて、これらの刺激により原子が激しく動く現象がたくさん見つかり、それから目を背けることが難しくなった。個々の原子が動くだけでなくて、ときには結晶全体で大きな構造変化まで起こる。

 そこで「フォノン好き」の出番となる。「フォノン嫌い」の実験家にはスマートな紳士然とした人が多いが、「フォノン好き」のほうは体格が良くて、バイタリティーが前面に出ている人が多い(やや偏見)。なにしろ相手はブロッホの定理という規格を踏み外したやくざな現象なので、何が起こっているのか基本的に分からないのである。規格外だろうが何だろうが、力ずくで果敢に挑むしかない。研究者は研究対象に似てくる、という経験則があるがそのとおりである(完全な偏見)。理論のほうも、計算機の進歩のおかげで、大胆に数値計算に取り組む人が出てきたのは頼もしいかぎりである。しかし、自分の不勉強のせいかもしれないが、結果を見て「腑に落ちた」という印象が持てないことが多いのは残念だ。

 


 ひとつ「腑に落ちた」話をしておこう。

 電子が刺激を受けて高いエネルギーの状態に変わることを「励起」という。電子が励起された結果、局所的に原子が激しく移動して本来の位置から飛び出してしまう現象がある。そのなかで、そのメカニズムがよくわかっているのはイオン性結晶の光誘起欠陥生成である。これには伝導帯に励起された電子と価電子帯に残された抜け穴(正孔)とが、クーロン引力で結びついた励起子という擬粒子が介在している。光励起によって伝導帯に電子、価電子帯に正孔ができると、まず正電荷を帯びた正孔が、二つの負イオンを引き付けてブロッホの定理を破り局在化する。つまり、ここと隣とそのまた隣も同じ、ではなくなる。この現象を自己束縛という。自分自身が作ったフォノン(原子移動)の衣を着て、動けなくなってしまう自縄自縛現象である。このように自己束縛された正孔の正電荷に、負電荷を帯びた電子がつかまり、自己束縛励起子となる。

 面白いことが起きるのはここからである。正孔と電子と負イオンの三人の登場人物の間には葛藤がある。電子は正孔が好きだが、負イオンは大嫌いだ。正孔は電子も好ましいが、負イオンのほうがもっと大好きで別れる気はない。矛盾を抱えた三人が、狭い空間に押し込められている。そこで電子は、負イオンを追い出して、するりとその抜けた結晶格子の穴に入り込んでしまうのである(F中心の完成)。一方、正孔のほうは電子と別れて、追い出された負イオンにくっついて出ていく(H中心の完成)。こうして一つの励起子から二つの格子欠陥 F中心とH中心 が生まれる。あるタイプの結晶では、このドラマは10のマイナス12乗秒程度の超短時間に進行する。

 と、まるで見てきたことのように話したが、たくさんの奇妙な実験結果が、このストーリーによって初めて統一的に説明できたのだ。それを「理論模型」という。ここにはさまざまな「パラドックス」が隠されている。電子と正孔は、引きあうばかりではなく、ときには激しく反発しあう。イオン結晶は、広がった波動関数からみれば中性の舞台だが、自己束縛によって波動関数が格子間隔と同程度の大きさに局在化すると、正と負の電荷の並んだつぶつぶの構造が見えてくる。きわめて安定と思われる結晶にも、激しい不安定要素が内在しており、電子励起状態でそれが顕在化する。

 このストーリーが確立されたのは1980年代の後半である。1978年に豊沢先生によって書かれた驚くべき先駆的論文[2]には、完全結晶での電子励起状態と、欠陥対ができた不完全結晶の基底状態とが、一つの断熱ポテンシャル上でつながり、前者から後者へと事態を進める駆動力が上に述べたメカニズムであることが、物理の言葉で明確に示されている。この論文を読むと、私は、結晶という舞台の一部に過ぎないように思われていたイオンが、突然、役者に変身して、物陰から躍り出てくる場面を見るようで感動する。

 そして、こういう論文の書けた人にとって、「フォノンが好き」だとか「嫌い」だとかは、まったく関係ない話だったろうと思う。


[1] F. Bloch, Uber die Quantenmechanik der Elektronen in Kristallgittern, Z. Phys. 52, 555 (1928).

[2] Y. Toyozawa, Proposed Model of Excitonic Mechanism for Defect Formation in Alkali Halides, J. Phys. Soc. Jpn. 44, 482 (1978).  国際会議での発表は 1974年。


                                        (Nov. 2012)

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