泳ぐ人

 若いとき、無駄な力をいれずにクロールを泳ぐこつを覚え、体力の続く限りいくらでも泳げるようになった。水泳はだから好きなスポーツだった。とりわけ好んだのは、夏の終わりの頃の誰もいないプールで、ひとりでいつまでも泳ぎ続けることである。水の浮力で肉体が重力から解放されると、心も解放されるような気がした。

 小説の中でも、登場人物が泳ぐ場面は記憶に残っている。

 夏目漱石の「こころ」は、学生の「わたし」と「先生」が、鎌倉の海水浴場で出会う場面から始まる。沖に出て浮き身をしている先生の周囲を、若く屈託のない「わたし」が泳ぐ。強い夏の太陽が二人を照らす。
 先生は美しい奥さんと二人でひっそりと暮らしている。東京に戻った「わたし」は、先生に惹かれ近づくが、先生は長い遺書を残し自殺する。先生を死に至らしめたのは、逃れがたいエゴの苦しみである。この沈鬱な魂の物語が、夏の光に溢れた海浜の場面から始まるのは象徴的である。
 
 もう一つ忘れがたいシーンが、カミユの小説「ペスト」に出てくる。カミユは、ナチス・ドイツ占領下での市民の抵抗を、ペストに襲われたアルジェリアの都市オランになぞらえて描いた。主人公の医師リューをめぐり、輪郭の際立った印象的な人物が何人も登場する。彼らの多くは、封鎖された町でペストとともに生活するあいだに変貌を遂げる。その中で、終始平静な態度で抵抗を組織するのがタルーである。
 タルーは少年の頃に検察官である父親を否定して革命に身を投じた。しかし、革命の側にも理不尽な殺人-死刑があることを知り、これを受け入れることを拒否する。こういう人間に残された道は、放浪する求道者になることしかないだろう。実際家のリューと理想主義者タルーは、ペストに対する絶望的な闘いの中で心を通わせる。

 二人はある夜、町を抜け出し、海で泳ぐために港の突堤にゆく。
「人間は犠牲者たちのために戦わなければならない。しかし、それ以外の面で何も愛さなくなったら、戦うことに何の意味があるんだい?」
とタルーは言う。二人は、ひととき世間からもペストからも解放されて、生暖かい夜の海を泳いでゆく。

 リューは生きのびたが、タルーはペストに斃れる。リューとその母親に看取られ一晩の苦痛に満ちた闘病の後、息を引き取る。そのベッドの傍らで、リューの母は、ありがとう、いまこそすべてはよいのだ、というタルーの声を聞く。

 私は「こころ」を高校時代に、「ペスト」は大学に入ってから読んだ。時代は激しい政治の季節だった。そして私は泳ぐことが好きだった。

 

                                        (Nov. 2009

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