夏空と群論

 毎年、夏になると思い出すことがある。

 大学に入った年の夏休みのことだったと思う。私はTSGというクラブに入っていて、友達数人と量子力学の勉強をしていた。そこで同種粒子系の波動関数の変数の交換と統計性の関係を知った。二つの粒子の変数を入れ替えた状態の波動関数と、もとの波動関数との間にどういう関係があるか?入れ替えて+1の因子がつくときがボース統計で、-1ならフェルミ統計である。

 このとき、絶対値が1でさえあれば、任意の複素数ξが係数になっても構わないのではないか?と考えたのだ。2回同じ交換を繰り替えせば、もとの状態と変わらないからξ×ξ = 1 。 だから、ξ = 1 (ボース統計)とξ = - 1 (フェルミ統計)しか存在しない、と教科書には書いてあるが、もとに戻らなければならない必然性はない。入れ替えるというのは物理的操作だから、入れ替えたことの影響が残っていても悪いことはない。

 それでξを絶対値が 1 の一般の複素数としたときに、どんな性質が出てくるか考え始めた。まだ第2量子化を知らなかったので、生成消滅演算子を使わず、長たらしい波動関数で考えた。ちょうど群論の勉強もしていたので、群の表現の問題に持ち込んだ。残念なことにノートも何も残っていないのだが、何か結果が出たと思う。

 このとき、私は家の庭で、竹製の縁台に寝転んで、木の葉と夏の空を眺めながら、ひたすら考えたことを覚えている。

 大学に戻って、まだ最後まで筋の通った理論になるかどうか分からなかったが、途中の結果をSに話して相談した。Sは高校時代から、自分の数学を創り始めているような男だった。私の説明を聞くと、即座にSは「その模型では、矛盾が生じないのはξ =± 1 の場合だけだ」と言って、群論の簡単な定理からそれを証明した。私ががっかりしていると「あー 萱沼の夢が逃げてゆく」と言って笑った。

 私の夢は潰えたが、真似事ながら自分で物理を考え始めたという喜びは残った。高校では大学受験という枠に縛られて、数学も物理もまったく退屈な科目だった。とくに数学は、基礎もあやふやならその先の展開も見通せないつまらない授業しかなかった。私は大学に入って、ようやく自分で自由に考えることを始めたのだ。

 今になって思うと、私はまだこの先十年のあいだ、模索と彷徨を続けることになるのだが、この年の夏休みに、縁台に寝そべって見あげた夏空の記憶は長く残った。

 このとき私の考えたことは、いわゆるパラ統計というカテゴリーの話らしいことを後に知った。どうして自分の理論はうまくゆかなかったのか、いまだによく分からない。



                                        (June 2015)

目次に戻る