わが人生とちいさな仲間たち

 子供のころから生き物が好きだった。小学校に上がる前は、まだ家(祖父母の家)の近所には麦畑なども残っていた。親に聞いた話では、遊びから帰ってきた私の服のポケットからは、ミミズやらダンゴムシやら得体のしれない生き物がぞろぞろ出てきて大変だったそうだ。あるとき畑を耕していたおじさんが、モグラの死骸を藁しべで縛ったやつを私にくれて
「かあちゃんに料理してもらえ」
と言った。私が胸をワクワクさせながら、それを家に持って帰ると、祖母と母親がたまぎるような悲鳴を上げたのをよく覚えている。

 トンボの羽を半分だけむしって、低空飛行しかできなくさせたり、足長蜂の巣を落としたり、残酷なこともずいぶんやった。

 小さな生き物との付き合いも、大人になるにつれて遠くなってしまった。身の回りから急速に自然が消えていったし、ほかに心を占める諸問題が、まあたくさん出てきたわけだ。



 結婚して子供が生まれると、生き物との付き合いはまた復活した。子供を持ってよいことの一つは、幼いころからの人生を追体験できることだ。子ゆえの悩みも尽きないが。

 長男がまだ幼い時に東京から仙台に引っ越したので、自然がまた身近になった。南向きの丘の上の古い家に住んだ。家の中にはいつも小さな生き物がいた。プラスチックやガラスの水槽が5、6個もあって、子供と一緒にいろいろなものを飼っていた。

 シュレーゲル青蛙の綿菓子のような卵を採ってきて、オタマジャクシから小さな蛙になるまで観察し、庭に放したこともある。子供の頃、クチボソと呼んでいたモツゴやオカメと呼んでいたタナゴは、玄関においたガラスの水槽で飼っていた。幼虫から育てたクロアゲハの羽化を見たこともある。

 大学や公園の池でイモリがとれた。次男がカヤヌマイモジロウと名付けたやつがいたが、だんだん数が増えて、ついには10匹ほどになったのでどれだか分からなくなってしまった。

 ある年の夏、居間の電燈のコードと天井の間にオニグモが巣を作った。生きた虫を巣に乗せてやると飛びつく。虫だけでなく刺身の切れ端も食べる。それがとても面白い。私たちと一緒に暮らすことになったオニグモは、どんどん大きくなっていった。私は、そのころ亡くなった美貌の女優イングリット・バーグマンを偲んで、妻には内緒でイングリットと名付け、可愛がっていたが、ある日彼女はプイといなくなってしまった。

 仙台から堺に移るとき、たくさんいたイモリのほとんどは池に放ち、2匹だけつれてきた。彼らは長生きしたが(推定10歳以上)、あるとき不注意から死なせてしまった。



 子供たちも成長し、とうに生き物に興味を示さなくなった。孫はまだいない。私はいま、一人で大学の宅舎に住んでいる。来年度以降に取り壊されることが決まっているので、住人もほとんどいなくなり、夜などは帰ってくると真っ暗だ。

 私の住んでいる部屋には、ハエトリグモがいる。この夏に生まれたらしくまだ小さい。壁に止まっているショウジョウバエに、そっと近づき飛びつく様子が面白い。しかし餌にありつくチャンスはほとんどなくて、彼はいつも飢えている。飢えて一人で壁を這いまわって獲物をさがしている。

 もう秋も深まったある夜、台所に出ると床の上に大きなゴキブリがいた。窓も開けないのになぜゴキブリが入ってくるのか?長年、不思議だったが、そのわけが最近分かった。玄関ドアの隙間をくぐって出入りしている現場を見たのだ。宅舎に住人がいなくなり、ゴキブリも食糧難になって部屋から部屋へ餌を求めて歩いているらしい。

 ゴキブリと目が合った。私もゴキブリも動かない。虫好きの私もゴキブリだけは嫌いで、見つければ必ず退治してきたのだが、なぜか殺す気になれない。私は黙って引き返した。

 今、私はハエトリグモとゴキブリと暗い宅舎で暮らしている。


                                           (Nov. 2012)

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