ミステリーと論文

 ミステリーの構成には「一筋型」と「合流型」がある。「一筋型」は探偵役の主人公の行動や意識の流れにしたがって、一筋の時系列として話が展開する。チャンドラーやロス・マクドナルドの有名な作品の多くがそれで、これらは一人称の文章である。また、クリスティのように三人称であっても、結局は一筋の流れに沿って展開するものも多い。

 これに対して「合流型」はすべて三人称である。冒頭で互いに異なる複数の人物の行動が、並列的に断片的に語られる。読者には、最初はそれらのエピソードの意味が知らされない。読み進むにつれて、無関係と思われたそれらの断片が、互いに関連していて、殺人という一点に向かって集約されてくることがわかる。これは文学的にはやや「高級な」手法であって、読者には緊張を強いることになる。その分、決まった時の効果は大きい。この手法はデクスターなどが愛用している。クリスティにもある(「ゼロ時間へ」)。

 

 投稿していた論文がレフェリーのコメント付きで返されてきた。実は返ってきたのは半年ほど前で、いつもながらちょっと嫌な気分で、そのまま放っておいたのである。最近、少し暇ができたので、それを取り出してレフェリーコメントを読んでみた。

 まっさきに「途中で別のハミルトニアンの話になって意味が不明である」というようなことが書いてある。あれれ、と思って論文のほうを読む。短い論文なのである。たしかに議論の途中で突然、別のモデル・ハミルトニアンの話に変わっている。

 この論文では、ある現象と別の現象とが、見方を工夫すると実は同じ構造をした一つの理論によって説明できる、ということが示されているのである。よく読んでもらえば、「合流型」の話になっていて、最後にアッと驚く仕掛け(それほどでもないか)になっているのだが、レフェリーにはその緊張に耐えることができなかったと見える。

 頭を冷やして考えると、どうもこの頃、ミステリーの読みすぎだったらしい。論文にもミステリー同様「謎の提示」と「その解決」という基本形がある。しかし論文は合流型ではうまくないようだ。現在、単純な一筋型に書き換えて再投稿の準備中である。註)

 ところでこの文章も「合流型」になっていることにお気づきだろうか?


註) Y. Mizumoto and Y. Kayanuma, Role of a Nontrivial Quantum Phase in the Dynamical Band Gap Collapse, Phys. Rev. A 86, 035601 (2012).

 


                                        (June 2012)

目次に戻る