夏の始まり

 7月の中旬に、大阪府堺市の大阪府立大学に出張した。新大阪駅で地下鉄御堂筋線に乗りかえ、終点の中百舌鳥駅で降りて地上に出ると、猛烈な大阪の暑気が襲ってきた。大学へ至る近道の旧高野街道には、早くもクマゼミの鳴き声が降り注いでいる。20年以上前に、仙台から大阪に引っ越して初めての夏を迎えた時に、もっとも強い印象を受けたのが、この耳を聾するようなクマゼミの大合唱だった。

 

 三日間の仕事と打ち合わせを済ませて東京に戻ると、まだ梅雨空が続いている。今年の東京は梅雨明けが遅いようだ。まだ蝉も鳴いていない。

 7月16日の土曜日は、東京ではお盆の明けである。私が二階の自分の部屋で仕事をしていると、下で女達の声がする。にぎやかな声は妹のようだ。それが私を呼ぶので下に降りていくと、妻と私の母と妹、それに義妹が玄関の前に集まっている。これから送り火を焚くと言う。新暦の7月にお盆を済ませてしまうのは、東京と関東の一部の地方だけではなかろうか。これは以前から不思議に思っていた。東京の人間がせっかちだからだろうか?

 すでに焙烙(ほうろく)の上のおがらには火が点けられている。昔は夕方に送り火を焚いていたのだが、だんだんその時間が早くなって今日はまだ真昼である。これもせっかちのためかと思う。夕闇の中でほのかに燃える送り火はおもむきがあったし、亡き人のことを思い出して少ししんみりもしたのだが、真昼間ではサバサバしたものだ。仏さんたちもさっさと浄土へお帰りください。

 

 私はこのとき
「送り火や おんなばかりが残る家」
という俳句とも川柳ともつかぬ句を思いついた。だが、それは黙っていた。言えばきっと猛烈なブーイングを受けただろう。それに「おんなばかりが残って」いるのは、私らより一つ上の世代のことだ。私の世代では、今日はたまたま男は私一人だっただけだ。

 いつものとおり、おがらがくすぶる焙烙を順番に跨いで渡り、最後に束ねたミソハギを水に浸して、それで火を消しておしまい。

 

 お盆も終わり、ようやく東京で蝉の声を聞いた。東京の蝉はこの時期、ミンミンゼミである。



                                        (July. 2016)

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