模倣と共感

 今年の夏、脳神経科学・医学分野の本をたて続けに3冊読んだ。V.S.ラマチャンドラン著「脳のなかの幽霊」(山下篤子訳、角川文庫)、マルコ・イアコボーニ著「ミラーニューロンの発見」(塩原通緒訳、早川書房)、オリヴァー・サックス著「火星の人類学者」(吉田利子訳、早川書房)である。どれも大変面白い。脳というものがいかに驚きに満ちたものであるか、近年の発見を知ることができる。

 ひとことで脳神経科学といっても、この三人の著者のスタンスはそれぞれ異なる。研究対象が脳ということになれば、固体物理学や地球科学のように、純粋に客観的あるいは「自然科学的」ではありえないことはすぐに想像できるだろう。そこには自我の問題とか、意識の問題が必ず関係してくる。

 三人の中で、もっとも「自然科学寄り」なのがイアコボーニである。ラマチャンドランとサックスは臨床医である。ただし、彼らの対象はいわゆる「精神病」ではなくて、器質的原因つまり生物学的な脳の損傷に起因する障害である。ラマチャンドランはインド出身で、アメリカで成功した医師であり脳科学者である。いかにもアメリカ的なユーモアの中にも、インドの文化的背景を隠そうとしない。オリヴァー・サックスはロンドン生まれでコロンビア大学教授。サックスには、治療(というよりはむしろ救い)の一手段としてキリスト教と芸術への深い信頼が感じられる。

 この小文で内容豊富な三冊の本の紹介をすることなど到底不可能である。ここではイアコボーニによるミラーニューロン発見の話題と、サックスによる自閉症に関する話題を私の感想(独断)も交えて紹介しておく。この二つの話には関連がある。


 ミラーニューロンは、1980年代にパルマ大学のジャコモ・リゾラッティをリーダーとするグループにより発見された。最初に見つかったのはブタオザルの脳の中である。サルの大脳前頭葉の運動をつかさどる部分(F5運動前野)に、プローブ電極を差し込んで実験をしている最中に、偶然見つかった。研究員の一人が、ある物体(伝説によればソフトクリームとも落花生とも言われている)を掴もうとしたとき、サルの脳内で運動野のニューロンの発火信号が観測されたのである。

 ここで重要なことは、サル自身はなにも運動を起こしてはいなかったことである。つまり、人間の動作を見るだけで、ものを掴むという同じ動作をつかさどるニューロンが活性化したのである。それまでは、脳は感覚野と運動野(およびそれをつなぐ認知系)とにわかれ、完全に役割分担がなされているというドグマが支配的だった。ミラーニューロンの働きは、感覚野と運動野の両方にまたがるものである。

 ミラーニューロンの存在は、人間においても確認された。人間を研究対象とするときは、脳を開いて電極を差し込むわけには行かないが、微弱な磁場を測定する技術(fMRI)が進み、観測が可能になった。ミラーニューロンは「ものまねニューロン」であるが、肝心なことは、それが生まれつき備わったものであって、学習によって生じるものではないということである。実際、生後41日目の赤ん坊が、母親の動きに応じてミラーリング(ミラーニューロンの発火)をしていることが確認されているという。もちろん、その後の学習によって強化されてゆくのだが。

 これが凄い発見だということは誰にも分かるだろう。実際、今日にいたるまでミラーニューロンをめぐって、様々な研究が展開されている。当然のことながら、単に脳科学の分野にとどまらず、より広い文化史的な問題にも関連してくる。

 私たちが、「他人の心がわかる」と感じるのはなぜだろう?テレビの画面で、津波で肉親を失った人の表情やしぐさを見て、なぜ泣くのだろう?これは昔から哲学者を悩ませてきた難問だった。これまでの理論的説明では、自分の行為と自分の気持ち(これは自分には分かる)との「類推」によって、他人の行為からその気持ちを推し量っている、というものである(類推理論)。しかし、実際に私たちはそんなにまだるっこしいことをしているとは思えない。ミラーニューロンの発見によって、この「類推理論」も必要がなくなった。じっさい、私たちは瞬時に気持ちを共有できるのである。

 ミラーニューロンは、文化の伝承や社会生活の潤滑化にも重要な役割を果たしているだろうということも容易に想像できる。また、もう一つの難問である言語の発生にも光を投げかける。言語の始まりは身振りだと考えられているから。「心が通いあう」とか「以心伝心」とか、ふだん何気なく使っている表現にも、深い真実が隠されているようだ。


 イアコボーニの本では、自閉症(autism)についても一章が割かれている。自閉症は人種や文化的背景にかかわりなく、約1000人に一人の割りで発症する精神的障害である。自閉症は1940年代にハンス・アスペルガーとレオ・カナーによって独立に、初めて記載された。比較的軽度のもの(アスペルガー症候群)から深刻な知的障害をともなう重度のものまで多岐にわたるが、その特徴を一言で言えば、周囲の人との心理的共感やコミュニケーションに困難を生じる発達障害の一種である。(私はこの問題の専門家ではないので、不正確な記述を行う可能性がある。詳しくは必要に応じて、それぞれ、正しい情報を入手していただきたい。)

 自閉症の原因は、正確なところはまだ分かっていない。初期には母親の育て方が悪い(冷たい母親説)とか、テレビの垂れ流しが原因だとかいう後天的環境説が有力だった。小児自閉症は、子供が社会性を獲得する2歳前後で顕在化する。慈しみ育ててきたわが子が、可愛い盛りに自分の理解できない世界に行ってしまうという悲しみに加えて、母親たちは社会的な非難の目にさらされるという二重の苦しみを受けてきたのだ。
 
 
現在では、自閉症はすくなくともその本質において、何らかの器質的要因による先天的障害であることが分かっている。器質的要因が具体的に何であるかは、残念ながらまだ確定していないようだ。

 イアコボーニらは、自閉症の要因にミラーニューロンの異常(傷害や機能不全)が関係していると睨んでいる。彼の妻で発達心理学者のミレッラ・ダプレットは小児自閉症の専門家で、子供を対象としてミラーニューロンの活動と社会的能力との関連を調べている。自閉症の子供は、他人の心理状態を自分の心理に映し出すことができない。いわば「心の鏡」が壊れた状態にあるのだという。


 オリヴァー・サックスの「火星の人類学者(An Anthropologist on Mars)」にはSeven Paradoxical Talesという副題が付けられている。前作の「妻を帽子と間違えた男」と同様に、脳神経の損傷(先天的または後天的)に起因する重い障害を負った7人の患者たちの、不思議な生活が紹介されている。ただ、今回は著者は病院の診療室にやってくる「患者」を診察するのではなく、積極的に「往診」に出かけ、彼らと生活をともにして理解を深めようとする。サックスは自分を、「神経学的な偶然によって引き起こされたひとびとの変容を、フィールドワークにより観察する人類学者のようなもの」であり、「人間経験のはるかな極限の地まで往診する医者」であると言っている。そして「健常者」からみれば悲惨な、とも形容できそうな彼らの置かれた条件こそ、彼らのアイデンティティと創造力の源泉なのだ、という認識を得て帰ってくるのである。

 「火星の人類学者」というのは、最後に紹介される7人目の患者の話につけられた小題目にもなっている。その意味はあとで分かる。
 
 サックスは、あるとき友人の自閉症研究者に、彼女が知っているもっとも素晴らしい自閉症の人物に会うことを勧められる。その人物テンプル・グランディンは、動物行動学の学位を持ったコロラド州立大学の女性准教授である。彼女は、いわば自閉症からカミングアウトした人物として有名である。1988年に「我、自閉症に生まれて」という自伝を出版している。この本によって、彼女はわたしたちのうかがい知れない「あちらの世界」の貴重な証言者になったのである。

 幼いころ、テンプルは混乱と混沌の世界に生きていた。母親の腕の中で、おびえた小動物のようにからだを硬直させ爪をたてた。わめき散らし、大便を周囲に塗りたくった。耳は調節の効かないマイクロフォンのように大音量で鳴ったという。

 学校に行くようになって、幸運にも忍耐強い教師に出会い、混沌の世界から抜けだす手がかりを得た。常人にはない集中力を発揮して勉強した。この集中力が、彼女を自閉症の世界から救い出した。今でも彼女は起きているかぎり、問題を考え続けることができる。しかし、周囲の級友とはなじめなかった。テンプルには、周りの友達が、自分にはわからないテレパシーを使って、驚くような速さで互いに連絡し合っているように見えたという。

 テンプルは牛や豚の屠殺精肉施設の設計の世界では権威者である。人間の心はわからないが、彼女には動物の心がわかるらしい。動物たちは、軽く触れられるとおびえるが、強く抱きしめられると安心するという。テンプルは家畜たちが、その生の最後まで恐怖心を抱くことなく旅立って行けるように心を砕いている。

 テンプルは自閉症から治癒したわけではない。生涯、自閉症のままだろう。サックスとの会話で、なにか言い間違いをすると、長いセンテンスを最初から完全に繰り返す。気配りを働かすことができず、恥じらいとか躊躇いという感情に無縁である。恋愛感情はまったく理解できない。心底正直で、疲れを知らず働き続けることができる。

「私の心はコンピューターのCD-ROMに似ています」とテンプルは言う。「頭の中にあるマシンで、全部仕事ができるのです。でも、いったん再生し始めたら全部を再生しなければなりません」

 彼女は、自分が自閉症であることを完全に理解している。彼女には、周囲の人間の心が読めないが、長い間の学習によって膨大なライブラリーを脳の中に作りあげ、それを参照して適切な行動をとることができるようになった。テンプルはそういう自分を「火星の人類学者のようだ」という。これは火星人の人類学者が、地球上で人類の行動パターンを研究している、という意味にもとれるし、その逆の意味にもとれる。

 サックスは、この本の中でミラーニューロンに関しては一言も言及していない。しかし、テンプルと数日間の行動をともにした報告を読むと、私には自閉症のミラーニューロン仮説がますます正しく思われてくる。


 空港まで車でサックスを送ってゆく途中で、テンプルはハンドルを握りながら宗教について語り始める。人格的な神は信じないが自分の死後に何かを残したいのです、と言って突然、目から涙をあふれさせる。サックスは驚嘆する。

 空港で車を降りてテンプルと別れるとき、サックスは「あなたを抱きしめさせてください。おいやでないといいのですが」と彼女に尋ねる。

『そして彼女を抱きしめた---そして彼女も私を抱きしめてくれた(と思う)』

                                (Nov. 2011)

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