本当は怖い民主主義

  私の父は、私の知るかぎりおよそ選挙というものの投票に、一度も行かなかった。

 「おれの一票と、そこらのおばちゃんやあんちゃんの一票が同じ価値とは、どうしても納得できん」

というのが、その明快にして乱暴な理由だった。その父が、ある年の国政選挙で、近くの小学校に設けられた投票場に行ったことを母から聞かされ、私は驚愕した。近所のおばちゃん達と一緒に並んで、投票箱に票を入れる父親の姿がまったく想像できなかった。父はその直後に体調を崩して入院、病に侵されていることが判明し、半年後に亡くなった。

 

 先日の都議会議員選挙では、都議会自民党が惨敗し、「都民ファーストの会」が大勝した。民進党も惨敗に近い負けだったから、安部自民党政権に対する都民の忌避感情が、都政のレベルで鬱憤晴らしをしたのであろうと想像できる。そもそも都知事選挙で小池百合子氏の当選に最大のアシストをしたのは、石原慎太郎の無思慮な放言だったと思う。

 その小池都知事の、有権者の目に分かりやすい「悪玉」をつくり、二者択一を迫るという政治手法もそろそろ底が見えてきていた。築地市場の移転問題で、都議会議員選挙直前まで政局を引っ張ってきたが、どうにも持たなくなり、豊洲と築地の二股案を打ち出した時、私はこれで小池旋風も終息するに違いないと思った。ポピュリスト政治家にとって一番困る状況は、有権者の意見が真っ二つに割れたまま、膠着してしまう場合だろう。二股案は多くの場合、最悪の選択だ。

 だから、私は選挙の結果を知ってビックリしたのである。おそらく、小池都知事自身も、各党の政治家も、皆さん驚いたことだろう。そうなった理由は、上に書いたとおり、安部政権に対する否定的な感情、いわゆる「空気」であろう。

 しかし、冷静に考えて、安部政権が何か大きな失政をおかしたわけでもないし、違法行為が明らかになったわけでもない。自民党所属議員や一部の閣僚が失言・失態をさらして腹は立つが、そのことで国民が大きく損失を被ったわけでもない。

 

 一部の政党とマスメディアの内部に、何としても安部首相を政権の座から引きずり下ろしたいと考えているコアな勢力があることは間違いないだろう。私はいま、昼の時間に在宅していることが多くなったので、昼飯を食べながらテレビのワイドショーなるものを見る機会が増えた。同じ時間帯に、民放のほとんど全局で同じような内容の放送をしており、芸能人のスキャンダルと同じノリで、政治の話を「分かりやすく」教えてくれる。毎回、登場する解説者の顔ぶれも同じ。うっかりすると乗せられてしまうが、少し考えるとおかしなことも多いことに気づく。

 日本は「報道する自由」がほぼ完全に認められ、行使されているとてもよい国だと思うが、裏を返せば「報道しない自由」も完全に認められ行使されている。(たとえば今の中国や北朝鮮には「報道する自由」はおろか「報道しない自由」も存在しないこと注意しよう。)この二つの自由を使い分ければ「事実」だけを素材として、どんな結論に誘導することも可能だろう。具体的な例は挙げないが、テレビのワイドショーやニュースの中で、「何が報道されていないか」を時に考えてみることは、頭の体操にはなる。それくらいは頭を使っていただきたい。

 

 自由投票に基づく議会制民主主義は、人間が手にいれた政治体制の中で最悪ではないと思うが、最善であるかどうかは大いに疑問だ。いま、世界的にみても自由投票の結果がビックリするような政治的流動を各国で引き起こしている。一方で、狂信者が引き起こす戦争や無差別殺戮は終わる気配もない。民主主義は狂信者であることを、そのことだけをもっては排除できない。ヒトラーは、暴力を威嚇の手段としては用いたが、ワイマール体制下で合法的に政権を奪取したのである。

 それほど極端な話ではなくとも、今の日本で、また中学生並みの総理大臣や、不景気完全放置の無策な政権が再現される可能性はある。これは恐怖だ。民主主義は怖い。


                                        (July 2017)

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