ミシガン

 平成23年6月26日から7月1日まで、米国ミシガン大学で開催されたルミネッセンスの国際会議(ICL'11)に出席した。行きも帰りもTさんと同じ飛行機だった。ついでに言っておくと、私の妻もついてきた。


 ミシガン大学は、Ann Arborという小さな町にある州立大学である。公立大学ながら米国有数のエリート校で、卒業生にはJ/ψ粒子を発見したサミュエル・ティンや、デビッド・ポリツァーをはじめとするノーベル賞受賞者が何人もいる。授業料は州外の出身者だと、年間3万7千ドルという高額に達することでも有名。また、アメリカン・フットボールの強豪校である。青色の地に黄色いMのマークが目印で、応援の掛け声は Go Blue!


 キャンパスはとても綺麗。芝生の上では昼間はリスが走り回り、夜は蛍の光が明滅している。同じ公立大学ながら、わが大学とどうしてこうも違うのだろうか?隣接するダウンタウンと大学キャンパスの間に境界がなく、自然につながっているのもよい。ちょうどSummer Festivalの最中で、夜はキャンパスで映画鑑賞などやっている。

 会議では、希土類の話が多く(ルミネッセンスの会議だから当然か)やや食傷気味。しかしETHのV. Sandoghdarの総合講演は圧巻だった。1個の分子や1個のフォトンを観測するという近接場光学の実験だが、たとえば1個の分子の放出したフォトンを、別の1個の分子が吸収する過程であるとか、特定の2個の分子同士のvan der Waals相互作用をルミネッセンス測定から観測したとかいう精密科学の極致のような話である。まだ若そうだが大グループのリーダーである。

 総合講演の後、日本から来た実験家の友人たちも呆然とした様子。Nさんは
「すごい話ですが、あのデータの蔭で何人の学生が泣いたことでしょうね」
と実験家らしい生々しい感想を洩らした。

 私はQuantum Betatron as a New Source of Terahertz Radiation と題するポスター発表をした。電磁誘導の原理に基づく加速器にベータートロンがある。このベータートロンをナノメートルの大きさにダウン・サイズした時どうなるかを議論したものである。この問題は、5年以上前から一人で考えている。ある種の不均一磁場中での電子の運動を記述するシュレーディンガー方程式の厳密解や、断熱不変量を見つけた。気には入ってるテーマなのだが、短報をひとつ書いただけで、なかなか本論文にならない。要するに怠けている。

   

         みかけは立派な宿舎 North Quad           キャンパスのどこにでもいるリス


 ところで宿舎は、大学内のdormitory North Quadを予約した。これは上の写真のように建物は立派だし、部屋は広々としていて文句なしだが、とんでもない問題があった。部屋の中に何も無い
のである。あるのはベッドとタオルとトイレットペーパーだけ。テレビや電子レンジや電話はおろか、冷蔵庫も電気ポットも無い。コップやハンガーすら無い。要するに留置場のようなものである(私はまだ入ったことはないが・・・)。

  これではコーヒーも水も飲めない。やむなく町のスーパーで買ったアイスクリームのプラスチック製容器などを捨てずに使った。スプーンやフォークも同様に調達。私も妻も町を歩くとき、何か持って帰って使えるものは無いか、と悪い目つきで探すようになった。日が経つにつれて、だんだん「食器類」が増えていった。妻は、どこかに落ちていたプラスチックのハンガーを拾ってきた。トホホ。ミシガンくんだりまで来て夫婦でルンペン生活をすることになろうとは・・・。

 
 会議の合間には、大学の中やダウンタウンを散歩したり、近くの付属植物園まで出かけたりして過ごした。植物園(Aboretum)と言っても、ほとんど原生林のままである。広大な植物園の道を下ってヒューロン川の岸辺まで行ける。私は川が好きである。川を見ていると上流から魚釣りの舟が流れに乗ってやってくる。ハックルベリー・フィンの物語を思い出す。

  町中やキャンパス内で道に迷って地図を広げていると、必ずと言ってよいほど、どうしました?と声をかけてくる人がいる。皆さんとても気さくで親切だ。それにしても、いつも思うのだが、アメリカにはどうしてこう肥満した人が多いのだろう。小錦クラスの体形をした男女がいたるところにいる。しかし病的な感じはそれほどなくて、結構身軽に歩いている。どうも日本人とは身体の基本構造が違うようだ。

 広いキャンパスの中には、たくさんの図書館、博物館、美術館が存在している。 そのほとんどは、個人の名前が冠せられていて、お金持ちの寄付によって建てられたものだとわかる。美術館や博物館の内部にも、個人の寄贈によるコーナーが数多く設けられている。そして入場はすべて自由であるのがうれしい。もちろん、市民にも開放されている。こういう寄付や寄贈の文化は日本にはまだ根付いていない。

 博物館や美術館も半端ではなくて、びっくりするような良いものが展示されている。私たちは、美術館、考古学博物館、自然史博物館などを連日見物して回った。とくに美術館(Museum of Art)の素晴らしさには圧倒された。ピカソにあんないい絵があるとは知らなかった。

  とにかく大学そのものが文化の中心という意識がはっきりしている。また、今回は行けなかったが、ミシガン大学には大学の施設としては全米一の規模を誇るフットボールスタジアムもある。わが大学とは比べる気にもならないが、東京大学や京都大学も情けないじゃありませんか。

 ここでTさんの提唱するアメリカ仕込みの大学経営法を紹介しておこう。それは学部と大学院の経営理念を根本的に別物にすることである。学部生の授業料はべらぼうに高くする。稼いだお金で、大学院の研究環境を充実させ、全国から優秀な院生を集める。内部からはほとんど取らなくてよい。大学院の授業料は無論タダ。また、多額の報酬と特別待遇を約束して、ノーベル賞クラスの研究者も雇用する。結果、世界的な研究成果が出始めればしめたもの。(毎年、Nature, Science!) これを大いに宣伝して、大学のネーム・バリューを高める。すると、有名大学の卒業証書が欲しい金持ちのぼんや嬢ちゃんが大挙して入学してくる。彼らは大事なお客さんだから、しっかり学費をいただいて、どんどん送り出す。稼いだお金で・・・と以下繰り返す。

 実際、アメリカの多くの大学では、学部生は高級乗用車を乗り回しているが、大学院生はボロ車と決まっているそうだ。素晴らしいアイディアだと思うが・・・。


 会議も終わりに近づき、いよいよ帰路につくことになった。Tさんと私たち、それに東京の私立大学のIさんの4人で、シャトルを利用してデトロイト空港に向かった。出国手続きも済んで、あとはシカゴまで飛んで、JALに乗り継ぐだけである。

 4年前にTさんとスペインの国際会議に行ったときのことを思い出した。帰りにマドリッドの空港で、突然、予約していた便がキャンセルになり、大変な目にあったのだ。
「あの時は大変でしたね」
「どうもTさんと一緒だと何か起きるんです」
「それはこっちの言いたいことです」

 時間に余裕があるので、空港の中をのんびり見物して歩いた。電光掲示板の出発便のスケジュールが刻々と更新されている。ヒョイと見ると、乗る予定の American Air Line シカゴ便がcancelledとなっているじゃありませんか!その瞬間、背筋を冷たいものが走った。やはりそう来るか。

 半信半疑で搭乗口まで行くと、すでに小さな行列ができていて、係員との交渉が始まっている。慌てて後ろに並んでいると、何も知らないTさんがのんびりやって来た。キャンセルになったことを告げると、あんぐり口を開けている。

 キャンセルの理由は、シカゴ空港が雷雨に襲われて閉鎖されたためである。後で分かったことだが、空港閉鎖はまもなく解除されて、ほとんど私らの便だけがピンポイントで運行取りやめになったのである。

 この後の顛末は、「大脱出」の稿に書いたことの繰り返しだから書かない。結論を言えば、American Air LineからDelta航空に変更され、とにかく帰国することはできた。荷物を受け取り、シャトルバスで別の飛行場に行かされたことまで前回と同じである。

 帰国して、私はTさんと一緒だと必ず飛行機のトラブルが起きる、と会う人ごとに話した。Tさんは、全く逆のことを言いふらしているようである。

                                        

                                                 (July 2011)

目次に戻る