麻酔と音楽

     午睡の夢から覚めると
     誰かが立ち去っていったばかりだ
     たったいま わたしのかたわらから

     なつかしい人よ!
     けれど それが誰だったのか  
     
わたしは思い出せない

             ◇  ◇  ◇

 2015年8月、転移がんのために死去した脳神経科医師でエッセイストのオリヴァー・サックスに「音楽嗜好症(Musicophilia)」という著書がある。この中でサックスは、音楽にとりつかれた人々の多彩な症例と、音楽が人の精神的・肉体的活動に及ぼす驚くような効果を、数多くのエピソードとともに紹介している。


 サックスの本には、激しい音楽幻聴を持つ人々が登場する。彼らにとって、その音楽は自分から呼び覚ますものではなくて、常に外部から、こちらの意思とは関係なく聞こえてくるものだ。しかも、時と場所を選ばず、人によっては絶え間なく音楽が鳴っていることもある。多くは知っている曲で、子供のころに聞いたことがある曲であることも多い。或る人々にとって、それは恩寵とも感じられるが、また、不随意な煩わしさでしかないという人もいる。

 私は覚醒時に幻聴を聞いたことはないと思うが、半睡半醒の状態で音楽を聞くことは時々ある。これは夢の中の音楽だが、映像はまったく伴っていないので「夢を見る」のではなく「夢を聴く」というのがふさわしいだろう。

 ドクターコースの大学院生だったころ、日曜日も祝日も六本木にあった研究所に通って研究をしていた。自分以外に誰もいない院生部屋で、計算に飽きてソファーにもたれてうつらうつらしていた時に、大音量で鳴る行進曲が聞こえてきた。私ははじめ、廊下から楽器を持った集団が部屋に入ってきたと思った。次に、窓のすぐ外を楽隊が行進して行くのだと思った。しかし、その部屋は建物の6階にあったのだ。やがてはっきりと覚醒すると、あたりは森閑として人の気配すら無かった。

 朝、目覚める直前に音楽が聞こえることもあった。多分、弦楽器で奏でられるその旋律は、常に私の知らない曲だったが、繊細で美しく、私はいつまでもそれを聞いていたかったので目が覚めないように願った。半分眠っていることを意識していたのだ。


 四十代の後半、仙台で暮らしていたころに、少し面倒な病気に罹り入院して手術を受けたことがある。その時に麻酔で朦朧とした意識の中で、手術室に音楽が流れているのを聞いた。この時はどうやら全身麻酔ではなく、脊椎麻酔だったようだ。流れていたのは私の知らない曲のようだったが、病気と手術への不安を忘れ、やすらぎに満ちた気持ちになった。(もしかしたらモーツアルトのクラリネット五重奏だったかもしれない。)

 手術は成功して私は命永らえたのだが、あのとき聞こえた音楽がいったい何だったのか、長く謎のまま残った。私は麻酔の作用による幻聴だろうと思ってきたが、その後、手術室内に本当に音楽を流すこともあるということを知り、分からなくなった。


 今年の2月17日の夜、私はすずかけ台駅前の坂道で転倒し、左腕の手首の下を骨折した。転倒してから血だらけで家に帰りつくまでの顛末は、思い出すだけでも気が滅入るのでここでは書かない。翌日、自宅近くの大学病院の整形外科に行った。X線で見てもらうと、橈骨にヒビが入り、少しずれている。このまま固まると手首が動きにくくなるというので、入院して手術を受けることにした。入院するのは別の病院である。

 手術は2月25日に全身麻酔で行われた。親族の一人が、麻酔事故で不幸なことになったので、私には全身麻酔を忌避する気持ちがあるのだが、覚悟を決めてしまうと、一つだけ楽しみなことができた。昔、あの手術中に聞こえた音楽の正体が分かるかもしれない。

 手術室まで歩いて行って、手術台の上に横になり、麻酔のための吸入器を口と鼻にあてがわれた。妙に湿ったガスだな、と思った次の瞬間、「終わりましたよ」という看護師の声で気がついた。私はストレッチャーに寝かされ、病室に向かって運ばれていくところだった。時計を見ると約1時間半経過していた。というわけで麻酔の効きが良すぎたおかげで、あの音楽の謎は未解決のままに終わった。私は、また音楽幻聴説に傾いている。

 

 麻酔下にせよ、入眠時、出眠時にせよ、意識のレベルが低下した時に、音楽が聞こえてくるのは稀なことではなさそうだ。サックス自身も、出眠状態のときに経験した音楽幻聴について書いている。私は人がおだやかに死を迎えるときにも、それがあるのではないかと思っている。その時には、許されるなら私はフォーレのレクイエムをリクエストしたい。モーツアルトのレクイエムではつらすぎる。



                                        (Mar. 2016)

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