迷子の楽しみ

 私には、旅行中にひそかな楽しみとしていることがある。それは迷子の楽しみ、正確にいえば「迷子になる楽しみ」である。

 幼い子供にとっては、見知らぬ場所で親とはぐれることは恐怖以外の何ものでもないだろう。私にはそのような目にあったという具体的な記憶は残っていないのだが、どうやら根源的な恐怖感のようなものが心の底にあるらしい。人ごみの中で、涙をこらえておろおろと親を探しているらしい迷子を見かけると、こちらの胸まで痛くなってくる。

 迷子の恐怖とは、もう二度となじみのある もとの世界に戻っては来られないのではないか、という恐れである。大人になって、迷子になる心配はなくなったけれど、どこかにその恐怖の痕跡のようなものは残っている。そして、子供の頃に、あんなに怖かった怪談や怪異譚を楽しみで読むのと似たような気持ちで、迷子になることを楽しんでいるのかも知れない。

 

 それで、外国に出かけると、好んで見知らぬ街々をさまよい歩く。大通りを外れて狭い路地の奥へ奥へと入って行く。今の朴大統領のお父さんが大統領をしていたころのソウルでも、貧しい人たちの住んでいる裏町を一人で歩き回った。まだ経済発展を遂げる前の韓国である。モスクワやサンクトペテルブルクは、迷子の楽しみにふけるうってつけの街だった。もしかしたら本当に帰って来られなくなってしまったかも知れないのだが。

 

 はじめてミュンヘンを訪れたとき、ホテルを出て街を歩き回っていたら完全に道を見失ってしまった。ダウンタウンからビジネス街に迷い込んでしまったようだ。9月の半ばのことだった。出がけには晴れて暑いくらいの陽気だったのが、急に暗くなり冷たい土砂降りの雨が降り始めた。服もリュックサックもずぶ濡れだ。後で分かったことだが、この日、ミュンヘンの夏は突然終わったのである。

 さすがにホテルに帰れるかどうか心配になってきた。お腹の下あたりに冷たいものがせり上がってくる。迷子の楽しみ全開というところだ。

 会社のオフィスのような建物の前で雨宿りしていたら、窓の中で年配の男性と女性が机に向かって何か作業をしているのが見えた。こちらは焦っているから、とにかく道を聞こうとドアを開けて飛び込んだ。
“Verzeihung”
と一応、挨拶をして 雨でぐしょぐしょになった地図を取り出し
“Wo bin Ich?”
と尋ねた。

 ずぶ濡れの見知らぬ東洋人が飛び込んできて
「ここはどこ?私はだれ?」
と叫び出したようなものだから、向こうもあっけにとられただろうと思うが、男性の方が慌てず
“Wo…bin…Ich”
と言いながら地図を眺め、指さして教えてくれた。おかげで何とかホテルに帰れたから、いまこうして日本で暮らしていられるわけだ。

 

 これに懲りることもなく、迷子の楽しみを繰り返している。今年の秋には南フランスのカシスに出かけた。国際会議に参加するためである。カシスはとても小さな町で、港に向かって丘陵がすり鉢のように迫っており、すり鉢の底にホテルやレストランの密集するダウンタウンがある。私がバスから降ろされたのは、そのすり鉢の中腹である。斜面に大きな別荘や住宅が並んでいる。空は明るいがもう夕刻だ。

 予約したホテルは近くのはずだが、これが分からなくなった。あらかじめグーグルマップで調べ、ストリートビューでシミュレーションまでしてきたのに、現地では全く役に立たないことが分かった。ホテルと言っても夫婦で自宅の一部を使ってやっているアパートメントスタイルなのである。

 重いトランクを引きずり、坂道を登ったり下ったりしているうちに、だんだん焦ってきた。時々出会う通行人をつかまえては道を尋ねるが、まずほとんど英語が通じない。フランス語で
Wo bin Ich?
を何と言うのか私は知らない。

 人間、気が焦ると極端な考えに走りがちである。これは野宿になるか、と思ったが、一度、坂を下ってダウンタウンまで出るのが確実だと気が付いた。結論として、その日のうちにホテルにはたどり着いたが疲労困憊。迷子の楽しみは疲れるのだ。

 

 なお、異国の都市で迷子になることの恐怖については、ダフネ・デュ・モーリアの短編小説があったはずだ。興味があったら、図書館をさまよって探していただきたい。


                                          (Dec. 2016)

目次に戻る