前歯


 朝、フランスパンを齧っていたら、前歯がポロリと欠けてしまった。糸切り歯の隣の歯である。痛みは無いのだが、いつまでも「前歯欠成(まえばのかけなり)」(吾輩は猫である)を名乗っているわけにもいかないので、近所の歯科医院に出かけた。親子三代続いている歯科医院である。

 歯医者の椅子は、昔は拷問台とも言った。今は虫歯の処置や抜歯では、局部麻酔の注射をして、さっさと済ませてしまうので、ずいぶん楽になった。院長である男性のお医者さんが、手際よく折れた歯の土台を立て、3回目ぐらいに仮歯を入れ5回目には本歯を入れてくれた。しかし、ほかにも悪いところが見つかって、今はそちらの修理、いや治療に移っている。容易には終わらせてもらえない。しかし、こう簡単に歯が折れるのも歳のせいだろう。

 本歯を入れたところで
「固いものを食べるときは、少し気をつけてください。たとえばフランスパンを齧るときなど」
と注意された。いや、そのフランスパンを齧っていたんです。

 思えば人間同士が、これほど顔と顔を近づけて作業をするというのは、歯医者さんぐらいのものだろう。それで私は昔、「歯医者のギャグ」というのを考えたことがある。とても短い。

 歯医者が患者の口の中を覗き込んで、一生懸命治療中。上から見下ろす目と見あげる目がピタリと合ってしまう。
 じっと見つめあう二人・・・。

 これは男同士でないと面白くない。誰に演じてもらおうか?ドリフターズではダメだ。クレイジーキャッツの谷啓と植木等がいいだろう。だけどみんな死んでしまったなあ。

 歯医者さんに治療されている最中、いつもこのギャグを思い出すので、私はちょっと困っている。

                                        (Aug. 2014)

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