リーダーたち

 2000年7月、東京都三宅村の会社役員 長谷川鴻氏は、村長選挙に立候補して無投票で当選した。その年の前半から活動を活発化させていた三宅島火山が8月に入り大規模噴火を始めた。降灰と地震、有毒な火山ガスの噴出も始まった。三宅島は、火口から海岸線までの距離が短いので、溶岩の噴出が始まれば大災害になりうる。長谷川村長は史上初めてといえる全島避難を決意。その年の9月2日から4日までの間に、最後まで残っていた防災要員を含め、全島民を本土の各地の避難先に移住させるという大事業を決行した。この日を境に三宅島は完全な無人島となった。

 その後も三宅島の火山活動は収まらず、島民の避難生活は長引いた。長谷川村長は、全島民を三宅島に連れて帰るという信念をまげず、各地に分散した島民の住居を訪ねて回った。しかし、2004年、体調不良を理由に任期途中で村長を辞任、翌年5月11日、脳出血のため死去した。享年70歳だった。

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 世の中には、心ならずも非常時のリーダーになってしまった人たちがいる。平時であれば、穏やかに平凡に生涯を送って終わったであろうものを、まるで時代に選ばれたように人々の運命を担うリーダーにならざるを得なかった人たちである。戦乱や飢饉や大災害の折には、国家のレベルから町や村の単位まで、この国のいたるところで、そのようなリーダーが生まれ働いてきた。誰でも歴史の中から、そういう例をいくつも思い浮かべることができるだろう。

 今度の東日本大震災で津波に襲われた三陸から北関東の町々では、自らも津波の被害を受けた多くの人々が、いま地域のために働いている。妻を津波にさらわれながら、役場に留まって町民のために働き続けた町長がいる。行政組織の幹部のほとんどが、死亡または行方不明となってしまったために、嘱託の身でありながら町長代行として働くことになった人もいる。野戦病院のようになってしまった病院の指揮をとる医師。地震の直後、小学校に避難してきた住民と学校にいた子供たちを、安全な高台へ無事誘導した学校の先生。

 状況の求めに応じて、誰でもその場のリーダーになれるというのは日本人の質の高さである。これは誇りに思ってよいことだろう。私が信用し尊敬するのは、そういう止むにやまれずになったリーダーだけである。人の鼻面をとって引き回すのが好きな人、権力仕事がやりたい人、単にお金があって名門の出というだけの人・・・。どこかの世界にいるそんな連中ではない。

                                 (April 2011)

 

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