子供のころ恐竜がいた
やっと字を覚え始めた息子が、熱心に恐竜図鑑を見ていたので
「お父さんが子供のころはなあ、まだ家の近所に恐竜がいたんだぞ」
と言ったら、目を丸くして驚いた。
彼がいつごろ父親のウソに気づいたか、まだ聞いたことがない。
◇ ◇ ◇ ◇
八幡山の上から、恐竜を見た。みんな遊び疲れて、それに日も暮れてきたので、そろそろ家に帰ろうとしていた時だった。
「ブロントがいる」
とキヨシが叫んだ。東の平野の方を見ると5頭ほどのブロントサウルスの群れが、南に向かって移動していた。小山のような巨体なので、驚くほど近くを通っているように見えた。八幡山の崖の上から見ても、その頭は目の高さほどの位置にあった。一頭いる小さいやつは子供のようだった。
ブロントサウルス達は、ときどき荒川をさかのぼって、上流に餌を食べに行くことがあった。今は東京湾の河口に向かって引き返していくところのようだ。灰褐色の皮膚が、夕日を浴びて赤銅色に輝いていた。
町内の年寄たちは
「恐竜の後ろに回ってはいけない」
とよく言っていた。恐竜は尻尾が危険なのだ。実際、ブロントサウルスの尻尾に跳ね飛ばされて人が死んだというニュースが、ときどき新聞に出た。
「ティラノが見てえなあ」
とキヨシが言った。残念ながら肉食恐竜は日本にはいない。
「アメリカに行けば見られるよ」
と、物知りのマサハルが答えた。
ブロントサウルスの群れが、ねぐらにむかって悠然と歩き去って行ったころには、もう日はすっかり暮れ落ちていた。
私たちも、夕餉の待つそれぞれの家に、ちりぢりに帰っていった。
これが私が野生の恐竜を見た最後になった。今では上野の動物園に、ヴェロキラプトルその他の小型恐竜が飼われているだけだ。
(April. 2015)