草石君登場

 草石成夫。新沢基栄の学園マンガに登場するキャラクター。一応高校演劇部部長。チョイ役だったが秀抜なネーミングで忘れがたい。

 われわれ日本人は本当に草石君が好きである。オリンピックの柔道、ボクシング、へたをすると競馬中継にまで草石君が登場する。NHKの素人のど自慢大会などは草石君の出突っ張りである。
 草石成夫も洗練されれば様式美となる。疑う者は歌舞伎十八番を見よ。様式美に酔うとは、しかし、考えることをやめて虚構のレールを運ばれることである。事実の世界に背を向けて約束事の世界に生きることである。例えば吉田兼好のような、おのれの観察をずけずけと述べた身もふたもない現実主義者はまれな例であって、この国ではありのままの事実を指摘した人はおおむね人気がない。人気がないどころか、政治の世界ではそういう人物は大抵、非業に斃れてきたのである。虚構から虚構へ。それがこの国の精神風土である。と続けると、話がそれて壮大な日本精神文化史論が始まってしまうが、そんなことする気はないもんね。

 今年(平成14年)の大相撲秋場所は、7場所連続休場という偉業を成し遂げた人気横綱の復帰で話題はもちきりだった。この人の兄さんは、横綱になって一度も優勝せずに引退し、しかも横綱で負け越してニコニコ笑っていた人である。兄弟が父親の後をついでこの世界に入った時から、大相撲人気は大きな盛り上がりを見せてきたが、私は衰退の始まりだと思っていた。兄弟の人気を支えてきたのは、ありうべき家庭の姿を兄弟力士の家庭に重ねあわせて応援した主婦層であろう。相撲取りが女性に人気があって悪いことはないが、家庭の論理が男の世界に入り込んできたらおしまいだ、と私は思った。その後、隠しもかねた兄弟仲の悪さや、一家全員のお馬鹿さ加減が明らかになるにつれて、さすがのマスコミも草石成夫路線を変更せざるを得なかった。
 秋場所では、怪我から復帰した横綱が必死の頑張りを見せ、勝ち星を重ねた。
「完全復活ですねっ!」
「完全復活ですっ!」
アナウンサーと解説者は声をうわずらせて叫んだが、素人目にみても、横綱の足腰は定まらず、ただ永年の相撲勘だけをたよりに闘っていることは明らかだった。その証拠に格下の千代大海相手の取り組みでは、飛んだではないか。
 優勝争いは千秋楽での横綱同志の相星決戦となった。日本相撲協会としては願ったりかなったりの展開である。
「おやおや、また草石君の登場か」
私は少しいやな予感がした。
 しかし、大方の期待に反し、ハワイ出身の横綱武蔵丸は岩のような巨体をぶつけて、軽く相手を片付けてしまった。これが現時点での実力の差である。その瞬間、一緒にテレビを見ていた妻は悲鳴を上げたが、私は久しぶりに爽快な気分を味わった。これでいいのだ。