2015年春 怒涛の懇親会

 

4月20日(月) 東工大新入生歓迎会

 町田の鶏料理店で、東工大の研究室の新入生歓迎会があった。実はこれを書いている時点(5月4日)ですでに、はるか昔のことのようで何があったか記憶もさだかでない。

 とにかくピッチャーで頼んだビールをやたらと飲みました。私は根が律儀な性格なので(意地汚いともいうが)、注文した飲み放題のお酒が余っていると申し訳ない気がして飲まずにいられないのだ。おかげで少し二日酔い。思えばこの日から懇親会の嵐が始まったのだ。

 

4月24日(金) 強光子場科学研究懇談会

 毎年恒例の横浜パシフィコでのレーザー・エクスポに合わせて、同会場で強光子場科学研究懇談会が開かれた。この研究会は毎年3回ほどのペースで行われていて、強光子場だけでなく、およそ光(中心はレーザー)に関する話題なら何でも取り上げられ、最先端の話を専門の研究者に聞かせてもらえる。今回は光イメージング技術に関する講演を二つと、レーザー関連会社2社の講演を聞いた。
 
  その後、これも恒例の意見交換会が隣接するクインズタワー内のイタリアンレストランであった。
テーブルに着くと、前に座ったOさんが、まだアルコールを飲んでもいないのに
「萱沼先生が元気でおられるのを見ると、私も元気がでます」
と言い始めた。コンニャロ、ひとを年寄扱いしやがって。

  しかし、私はこの中では確かに最年長なので、いつも乾杯の音頭だとか締めの挨拶だとかをさせられる。それで気が重い。案の定、今回も指名されたので
「昨年のノーベル賞は物理部門も化学部門も光関係が取った。めでたいことですが、望むらくは今が絶頂期ではないといいですね」
とわけの分からんことを言ってしまった。自己嫌悪で、またビールをガブ飲み。

 

4月25日(土) 打ち合わせ

 私は東大教養部の学生のころ、Theoretical Science Group (TSG)というサークルに属していた。本来は科学研究者を志す学生の集まりで、自主的な輪講を中心とした活動をしたはずだが、それよりも熱心だったのは山行であり、山や海での合宿だった。勉強はすべて忘れたが、山行や合宿の思い出は鮮明に残っている。

  私の学年の部長だったS君のよびかけで、その同期会が行われることになった。予定の会場は駒場キャンパスのファカルティ・クラブに併設されたフランス料理店。東京在住のS君とY君と私の三人が世話人となった。Sはまだ現役の数学者、Yは地震火山学者である。
 
  その下準備のための会合がこのフランス料理店であった。駒場キャンパスに来るのは何年振りだろうか。当然のことながら、すっかり様子が変わっている。くだんの料理店は木立に囲まれた洒落た店だ。ご近所の奥様方や家族連れらしいお客さんが多い。私の学生時代には、まだ駒場寮があり、ドテラを着た寮生がキャンパスをのし歩いていたものだ。
 
 用件を済ませたあとも三人で雑談がはずんだ。私はせっかちな早口である。一方、Sは昔から茫洋とした話し方をする男だったが、何だかその傾向が強まったような気がする。話を最後まで聞けば、面白くて良い話をしていることが分かるのだが、つい「結論を早く言ってくれ」と言いたくなる。
それで私は以下のようなことを話した。

 Sと私の話し方の違いは、三十数年間それでメシを食ってきた商売の違いによるところが大きい。数学では定義→公理→定理→その証明と、整然と論理を組み立てることが必要である。飛躍は許されない。それに対して、物理ではまず現象があって実験データとか観測データがある。その一方に、理論モデルがある。物理屋は、その両方をにらんで話を進めるから飛躍がある。物理は飛躍する学問である。

と話すとSは苦笑した。この日は酒は飲まず。

 

4月26日(日) 小石川高校ミニ・クラス会

 名幹事長のK君の企画で、小石川高校のミニ・クラス会があった。今回は「旧岩崎邸散策・春の鮮魚料理を味わう集い」である。参加者は途中参加も含めて7名。

 東京メトロ「湯島」駅で落ち合い、旧岩崎邸まで歩く。よい天気だ。前庭の芝生コンサートでフルートとギターとバンドネオンの演奏を楽しみ、池袋に移動。駅そばの鮮魚料理店でおいしい魚を満喫した。

 去年秋のクラス会には、私は先約があって参加できなかった。その時の話を聞いた。2次会は荒れたらしく、取っ組み合いの喧嘩(?)もあったとか。おいおい、まだ高校生の気分かよ。

 今回参加したT君とは、大学に進学した年の秋に、もう一人のクラスメートA君と3人で奥日光に登山に行ったことがある。奥日光から山越えをして、奥鬼怒温泉に抜ける予定だったが、途中で道に迷った。このとき、沢に降りるという一番やってはいけないことをしてしまった。何度も道を見失い、滝に行く手を阻まれて立ち往生した。やっと川の向こうに温泉宿の灯が見えたときのうれしさ。この話をT君にしたのだが、ほとんど覚えていないという。人間の記憶の不思議さだ。

 魚料理店を出て、有志の人間だけ数人がカラオケに行った。ただ一人の女性参加者のTさんは、かなりカラオケに熱心らしく、ダントツにうまい。私は大川栄策の「港雨」と前川清の「北ホテル」を熱唱(?)。そのあと、元水泳部のK君と二人で三次会までしけ込む。K君がサラリーマンをやめて税理事務所を立ち上げたいきさつなどを聞きながら、焼酎のロックをしたたかに飲んでしまった。

 

4月29日(水) 東大理物同期会

 昭和42年東大理学部物理学科卒業の同期会があった。場所は神保町の学士会館。世話人はS.N.君とS.Y.君である。実はこの同期会とTSGの同期会は互いに相関がある。実際、両方に出る人間が私を含めて二人いる。 
 こちらは出席者20名。当時の物理学科は定員30名だったから、出席率が高い。齢七十歳にもなると、一度会っておこうという気分にもなるのだろう。

 皆さんの現況報告を聞くと、やはり大学などアカデミアで仕事をしてきた人が断然多いが、企業やお役所に入った人もいる。大学学長のような管理職にいる人を除くと、そろそろ研究生活から完全に離れるという友人が大半になった。公私にわたり長い付き合いのK君は
「根が続かなくなった。もう思い残すことはない」
とサバサバしているが私は少しさみしい。

 たしかに私も根が続かなくなったように思う。家に帰ってくると、まずビールを飲まずにはいられないのだが、ビールを飲んでしまうと眠くなって仕事にならない。昔はビールを飲みながら平気で計算したりしていたのだが・・・。そろそろビールをとるか物理をとるか、二つのBのあいだで選択をしなければならないようだ。

 

5月2日(土) TSG同期会

 いよいよTSGの同期会当日。参加予定者は11名。同期の部員の数は大体12名〜13名だったので、こちらもほとんど全員出席だ。元部長のSが執念で連絡先を探してメールや電話で誘った成果だ。

  時間になると懐かしい面々が集まってきた。50年ぶりに合う人もいる。アメリカから一時帰国したH君は、物理学科の同期会でも会っている。九州で弁護士業をやっているK君も来てくれた。K君が原潜寄港反対のデモに行き、頭を血だらけにして帰って来たのを記憶している。

 TSGは全くの自由組織だった。一緒に活動した期間は2年間程度だったと思うが、誰にとっても強い思い出として残っているようだ。食事をしながら「近代的自我がどうしたこうした・・・」という話が出るのは昔のまま。

 最初の頃は部室もなく、古い木造の教室を借りて、いや、勝手に入り込んで輪講などをしていた。生協書籍部にDiracのQuantum Mechanicsが入った、というニュースを聞いて、S.M.君が窓から飛び出していったのを覚えている。(なぜか皆、窓から出入りしていた。)そのS.M.君は実業界に入り、数年前に物故していることを今度はじめて知った。

   年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

これで怒涛の懇親会も終わる。



                                        (May 2015)

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