困った名前-その3

 ウォホン。これから申しますことは、誰か特定の個人を念頭においているわけではありませんので、くれぐれも
「あ、俺のことを言ってやがる」
などと立腹されたりしないようお願いしたい。

 人の名前は何のためにあるか?まず第一には、その人を他の人と区別して正しく同定することが、名前の役割だということに異議はないだろう。名前の分からない人は印象にも残らない。漢字では知っていても読み方が分からないという人もいる。

 日本語には漢字の読みが一つに決まらないというとても困った問題がある。名前には姓と名があるが、とりあえずは姓ではなくて下の名前について考えてみよう。姓は簡単に変えることは出来ないが、名の方は、普通、子供が誕生したときに親がつけることが多いだろう。実際、わが子に命名するというのは、自分の経験からしても、相当、緊張を要する作業である。何しろ、その名前を一生背負っていくのだから。

 ところが、ここで「困ったこと」が起きるのである。

 一つのパターンは、親が張り切りすぎて凝りに凝った名前を考え、上に述べた「名前の第一の役割」を忘れてしまうというケースである。これは親戚家族に「教養の高い人」が多い学者さん一家の場合に多い。典籍を紐解き、故事来歴を調べ上げ、やたら珍しい漢字を見つけてきて名をつける。その結果、何が起きるか?

誰にも読めない。


「どうだ、無教養なオメーらには読めんだろう」
子供の名前で見栄をはってどうする。

 民主党政府の高官に、ネットでハマグリと呼ばれている人がいる。実際、名前が蛤という字に似ていて、読めないのだから仕方ない(あ、言っちゃった)。

 ある意味でこの逆のパターンは、いわゆるDQNネームだが、これについては触れないでおこう。心底、子供が可哀想だとは思うが・・・。しかし子供に光宙(ピカチュー)なんて名前をつける親が本当にいるのか?うそだよね。うそだと言ってくれ。

 聞くところによると、役所に届け出る名前の漢字とその読みとの間には、まったく関係がなくてもよいらしい。だから「太郎」と書いて「じろう」と読ませることもできる。まあ、受付窓口で「つまらないギャグはお止しなさい」と諭されるだろうが。

 また漢数字はすべて「かず」と読める。一雄さんや一夫さんは一を「かず」と読んでるわけだ。確かに数ですからね。知人に三を「かず」と読ませる人が実際いる。

 日本には古来、長男は一郎(または太郎)、次男は二郎、三男は三郎・・・とする簡単明瞭な命名法があった。私の小学校のクラスメートだった「ろくちゃん」(六郎)には、上に5人の兄さんがいたわけだ。ところが世の中にはへそ曲がりがいるもので、自分の息子たちに、長男から順番に五郎、四郎、・・・と降順の命名法を採用した人がいる。ちゃんと一郎で打ち止めにしたというからエライ。

 私が生まれたとき、親父は私に「桃太郎」という名前をつけようとしたらしい。らしい、というのは親父が晩酌をしていて上機嫌のときに、一度だけそう言うのを聞いたからだ。私が生まれたのは太平洋戦争末期である。海軍軍人だった親父は前線で忙しく戦っていたはずだから、男の子が生まれたと聞いて、後先のことも考えずに「桃太郎にしておけ」とでも伝えたのではないかと思う。もしこの案が採択されていたら、相当インパクトのある名前になっただろう。私には多少、残念な気持ちもある。

                                        (Jan. 2011)

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