綴じひもと虚構

 各大学の生協で、毎年3月になると異常に売り上げを伸ばす商品があるのを御存知か?それは「綴じひも」である。この時期に国から頂く補助金の経理の締め切りがあり、2円か3円の銀行利息まで含めて、予算の最後の一桁までピッタリ使い切ることを求められる。それで1円の桁の辻褄合わせのために、単価6円也の綴じひも(T大学ではクリップだという)が活躍するのである。使い過ぎはおろか、1円といえども使い残すことは許されない。私のように、有効数字一桁の人生設計で生きている人間にとっては、この最後の締めが大変なストレスである。

 第2次大戦中、アメリカの原爆製造プロジェクト-マンハッタン計画-に関係したある科学者の書いた文章の中にこんなエピソードがある。連鎖反応による核爆発のシミュレーションで、膨大な量の数値計算が必要になり、多数の計算専門の要員が雇われた。何しろ実用に耐えるような電子計算機はまだ無かった頃である。その臨時職員の中に、計算がまことに達者で役に立つ男がいた。ただ困ったことに、もと会社の経理係だったこの人物は、いくら説明しても「有効数字」という概念を理解せず、どんな巨大な数の計算も最後の一桁まではじき出さなければ気が済まなかったそうである。

 年度の初めに配分される予算額は、必要な経費を予測したいわば「理論的予言値」である。これに対して年度末の決算額は「実験的測定値」だろう。一つの課題が数百万円の規模として、最後の一桁まで理論値と測定値が一致するということは、実に相対誤差10のマイナス6乗以下の精度である。こんな精度で理論値と実験値が一致するのは水素原子のLambシフトか量子ホール効果ぐらいのもので、そんじょそこらの研究者がこういう論文を書いたらボツになるに決まってる。

 毎年3月には、日本中のあらゆる大学のみならず、あらゆる行政機関でこんな「奇跡的一致」が実現し、それらが積み重なって国家予算82兆何千何百何十何億何千何百何十何万円何千何百何十何円と最後の一桁までピタリと一致している、と思うと空恐ろしくなって来る。巨大な嘘、と言って悪ければ、巨大な虚構である。みかけの「もっともらししさ」が真実とは何の関係もないことの良い例だ。

 ただし、このピッタリ使い切りの最後の締めを、芸として毎年楽しみにやっているNさんのような人もいることは付け加えておこう。

                     (Mar. 2005)

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