柿の実 

     少なくなった柿の実    

我が家の向かいは I さんのお宅である。いまから六十数年まえに、私達の一家がここへ越してきた時には、先代のご夫妻がお住まいだった。その頃はまだ平屋で、一部が洋館になっていたと記憶する。玄関の横に洋間を設けるのは、昭和初期の流行だったようだ。広い敷地の一部には花壇や畑があった。

 I さんはご夫妻ともに長身のスマートなカップルで、御主人は大学の教授であった。すでに独立された息子さんと娘さんもおられて、ときどきお目にかかったが、こちらもすらりとした印象だった。ようするに酒飲みで八方破れの父親と若い母親に率いられた我が家とは、正反対の静かな学者一家である。しかし、I 先生と私の父は気が合ったようだ。

 I 先生の家の庭には一本の柿の木がある。これは甘柿である。私と幼い弟は多分、道に落ちた柿の実を拾って食べたりしたのだろうがよく覚えていない。I 先生宅の板塀の下半分は隙間が開いていて、庭がよく見えるようになっていた。たくさんの柿の実が落ちているのが見える。或る時、私と弟は道から竹竿を差し込んで、その柿を引き寄せることを思いついた。そして首尾よく幾つか柿の実を手に入れた。

 その翌日、父親が苦笑いをしながら柿の実をたくさんつけた枝を見せ、I さんが持ってきてくれたぞ、と言った。どうやら全部見られていたようだ。向かいの家のわんぱく小僧の兄弟が、一生懸命竹竿を差し入れて柿の実を取ろうとしている、と笑ったことだろう。私は少し恥ずかしかったが、この件で父親に叱られた記憶はない。

 I 先生が大学を定年退職された頃、敷地の一部を売り払い平屋を総2階に建て替えた。2階の窓には夜遅くまで明かりが灯され、I 先生が勉強をしているのが分かった。I先生ご夫妻は、私たちが仙台にいるころ、亡くなられた。ご子息たちも、今は相当の年齢のはずだが、別の場所に家を構えておられる。I さん宅は貸家として使われていたが、今は無住である。うわさによると、どうやら売りに出されるらしい。

 柿の木は今も健在である。毎年、秋にはたくさんの実をつける。柿の葉が道に散るので、私の妻が掃いている。今年も多くの実が成った。甘い柿の実は、ひよどりや目白や四十雀などの小鳥たちの良い食料になっている。


                                        (Dec. 2018)

目次に戻る