ある実証的精神の話

 最近、毎晩寝る前に「江戸怪談集」(岩波文庫、高田衛編)を読んでいる。我が国の妖怪達はおおむね淡白で「聊斎志異」などに出て来る中国の同類ほどには人間臭くも色っぽくもないが、これはこれでなかなか面白い。小泉八雲の「耳なし法一の話」と同じ趣向の話もある。二つ三つ読むと眠くなるので、就眠儀式がわりに丁度よい。

 ところがその中に、眠くなるどころか思わず「わっ」と叫んで起き上がってしまいそうになった話があった。その「女は天性肝ふとき事」(宿直草巻二の六)という話を紹介しておこう。これは怪談ではない。

 津の国富田の庄(現高槻市富田町)に住む女が、一里余りも離れた男のもとに通っていた。その通い路の途上、西河原の宮という森深い所の小川に、一枚の板橋が懸けられており、いつもそこを渡っていたのだが、ある夜、来てみると無くなっている。川を上下して橋を探すうちに、非人の屍骸が仰向けに川の中に横たわっているのを見つける。女はこれ幸いと、その死人を橋代わりに踏みつけて渡ろうとしたところ、死人が女の着物の裾をくわえて放さない。

 ここから先は原文をそのまま引用しておく。

    引きなぐりて通るが、一町ばかり行き過ぎて思うやう「死人こころ無し。
    如何で我が裾を食わん。如何様にも訝かし」と、また元の所に帰りて、わ
    ざと己が後ろの裾を死人の口に入れ、胸板を踏まえて渡りて見るに、元の
    如くにくわゆ。「さては」と思い足を上げてみれば口開く。「案の如くに
    死人にこころは無し。足にて踏むと踏まざるとに口を塞ぎ口を開くなり」
    と合点して男の方へ行く。

 何とも恐れ入った好奇心の強さだ。この後、女がこのことを寝物語で男に話したところ、男は「大きに仰天してその後は逢わずなりにけり」とある。

 私の知るかぎり、こんな凄い話を日本の作家は誰ひとりとして紹介していない。澁澤龍彦なんかは喜びそうなものだが何も書いていないようだ。所詮、彼らは実証的精神の何たるかを知らぬ口説の徒に過ぎないからだろうか。

 なお、この話の最後に、天性、女は男より肝太きものだけれど、それを隠してこそ女らしくてよいもので、松虫鈴虫の他の変な虫を見たらば「あ、こわ」などと言っておくのがよかろうと忠告している。

                                  (Dec. 2005)

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