iPS細胞

 今日10月8日、京都大学の山中伸弥教授に2012年度のノーベル生理学・医学賞が授与されることが発表された。よかった。ホッとしたという気持ちだ。ホッとしたというのは、アメリカの研究グループが、政府からの巨額の支援を受けて猛烈な勢いで展開研究を進めていると聞いていたからである。日本人が何かオリジナルの発見をしても、それを組織的・大々的に発展させることができず、いつの間にか外国にキャッチアップされて優先権すらうやむやにされてしまうことが歴史上多かった。今回、アメリカの研究者は共同受賞すらしなかった。同時受賞者のジョン・ガードン博士(英国、79歳)の業績は50年近くも以前のものだそうだ。ノーベル賞委員会は、今回、よい仕事をしたと思う。

 10年前の田中耕一さんの化学賞受賞を見てもわかるように、ノーベル賞はオリジナリティーにこだわる。論文の被引用回数の多さも、必ずしも判定の必要十分条件になっていないというのも面白い。研究者なら誰でも知っていることだが、最初の論文より二番手、三番手の論文やレビューのほうがよく引用されることがある。他人が発見した宝石の原石に磨きをかけるような仕事は二流の仕事である。ノーベル賞は発見こそすべてなのだ。

 それはそれとして、今回、私は二つの感想を持った。
 
  その一、iPS細胞の発見(というかその技術の発見)は、生命科学の分野に物理学における核反応の発見に匹敵するインパクトを与えるかもしれない。通常の細胞から精子や卵子を作り出すことが可能だというのは、並のレベルを質的に超える発見のように思える。これは新しいタイプの医療分野を切り拓くに違いない。と同時に、核反応の発見の行き着く先に、原子爆弾があったことも思い出さずにはいられない。リーゼ・マイトナーとオットー・ハーンによるウランの核分裂成功から広島の原爆投下まで、わずかに6年である。
 
  一度発見してしまった事実は、もう蓋を閉めて隠すわけにはいかない。人間は、以後、その知識とともに歩んでいくしかない。テレビで見た山中教授の記者会見には、その責任の重さを強く感じておられる様子が見受けられた。

 その二、これは前から感じていたことでもあるが、「生命に神秘は無い」ということである。これはワトソン、クリックらによる2重らせんの発見とともに始まったパラダイムだと思う。それ以後の遺伝子レベルでの数多くの研究成果を見ると、生命は意外と簡単な仕組みでできていて、簡単に操作できるもののようだ。私は間違っているのだろうか?


                                        (Oct. 2012)

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