困った名前

 オオイヌノフグリは、私の好きな野草である。早春の光の中で、小さな水色の花を太陽に向けて広げている、どこにでもある雑草である。私は、オオイヌノフグリを見ると、何よりも子供の頃に転げ回って遊んだ原っぱを思い出す。これは外来種であって、在来種には別に小型のイヌノフグリがあるらしい。

 かなり以前のことであるが、朝日新聞(註)の投書欄に、オオイヌノフグリについて女性の投書が載っていた。
「この可憐な花にこの名前は可哀想。私はホシノヒトミと呼んでいます。この花の名はホシノヒトミにしましょう。皆さんもそう呼んで下さい」
と書いてあった。「星の瞳ねえ」と私はため息をついた。

 長い歴史を背負った物の名前が、一人のお節介なオバさんの提案で、そう簡単に変わるはずもなく、いまだにホシノヒトミ説は普及していないようである。イヌノフグリの名は、花の散った後に出来る小さな種の形が、そのものに似ていることによる。昔の人の注意力の鋭さよ。(「ふぐり」の意味を知らない人は、国語辞典で各自調べること。)

 この話を思い出したのは、最近、新聞の投書欄で「ヘクソカズラは可哀想」という投書を見たからである。ヘクソカズラは目立たぬ蔓性の草で、小さな釣り鐘状の花をつける。この花を伏せた形がお灸(やいと)のもぐさに似ているのでヤイトバナとも呼ばれる。ヘクソカズラの名の由来は、その花や蔓を潰して臭いをかいでみれば、すぐ納得できる。投書の御婦人は
「私はサオトメバナと呼んでいます。皆さんもサオトメバナと呼んで下さい」
と書いていた。私はまた、ため息をついた。

 困った名前と言えども立派な名前なのであって、おいそれと変えるわけにはゆかない。一度、風邪を引いて病院に行ったとき、若い女医さんに
「口を開けて、のど●●●見せて下さい」
と言われ、思わず固まりそうになってしまったことがあったが、やはり、あれは「のど●●●」としか呼べないのであって、「のど●●●は可哀想、のどリンゴと呼びましょう」などと私は断じて言わぬ。

(註)今はもう朝日はとってない。

目次に戻る