因果と相関 あるいは笑える論理

○ 異なる二つの出来事のあいだの因果関係を明らかにするのが、自然科学の目的(の一つ)だと思うが、なかなかそれがつかめない時は二つの事象のあいだの相関関係を調べることが次善の策となる。
高温超伝導騒ぎの最中には、ありとあらゆる結晶パラメータと転移温度との相関が報告された。それらの大半は、結局ガセネタだったんじゃなかろうか?


○ 相関関係を因果関係と混同する間違いは、私達、日常よくやっている。

昔、テレビで「原子力発電是か非か」というテーマの討論番組を見たことがある。原発反対派と推進派とが舞台の上でパネルディスカッション形式で論争した。そのとき、推進派のメンバーの一人に電力会社のエライさんが居て、論争たけなわと見るや、1枚のとっておきのボードを取り出して演説を始めた。そのボードには、世界各国の国民一人当りの電力消費量と国民の平均寿命の関係がグラフで示されていた。要するに、一人あたりの電力消費量の多い国ほど、平均寿命が長い、だから電力は大切だと言いたいらしいのである。

この論理には会場から爆笑の渦が沸き起こり、味方であるべき推進派の中からも思わず失笑が漏れる始末。くだんのエライさんは
「え?なに?どうしたの?」
とひとり焦っていた(ひとの良さそうな人物だったけどね・・・)。

そりゃそうだろう。横軸に国民一人あたりのテレビの所有台数をとっても、チョコレートの消費量をとっても、平均寿命と正の相関を示すに違いない。もちろんこれは、テレビを持つことが健康増進につながるわけではなくて、開発途上の貧困国より豊かな先進国の方が平均寿命が長いことを示しているに過ぎない。


○ ところで余談だが、同じ時に、ある原発反対派の活動家の生活が紹介された。彼は「送られてくる電気には原子力発電で作られた電気が混じっている」から、一切電気を使うことを拒否しているのだそうで、石油ランプの薄明かりの中でまるで殉教者のような暮らしをしているのであった。

あのねえ、貴方の着ている服も、食べている御飯も、ランプの油も、どこかで電力の恩恵なしには貴方の手許に届かないんですよ。


○ テレビ朝日系列の夜のニュース番組に「報道ステーション」がある。(「総合ニュースエンターテインメント」というらしい。なんじゃこりゃ。)あまりに程度が低い上に偏っているので、私は普段は全く見ないが、台風や大雨が来たときだけはチャンネルを合わせる。それは司会の古館伊知郎がいうセリフを聞くためである。彼は大雨や台風のニュースの後、もっともらしい顔をして
「この異常気象は環境破壊のせいではないでしょうか?」
というコメントを必ずつける。言うぞ言うぞ、と思って見ていると100%言うので、私はギャハハと笑うのだ。

彼のコメントはほとんどギャグの域に達しているが、まじめに聞いている人もいるのだろうか。四国の大雨と環境破壊(あるいは地球温暖化)の因果関係を科学的に証明するのって、絶望的に難しい仕事だと思うけれど・・・。


○ ところで余談だが、数年前まで騒がれていた「環境ホルモン」。あれはどこに消えてしまったんでしょう?結局、自然界が「環境ホルモン」によって汚染されているという確かなデータは一つも存在しなかった、という噂だけは伝わってくるが、マスコミがこの問題を総括したという話は全く聞かない。雌雄同体の蝶だとか背骨の曲がった魚だとかのショッキングなイメージだけが、マスコミによって振りまかれたが・・・。古館伊知郎さん、あれはどうなったの?教えて!


○ 冷戦時代のソ連のジョーク。

ルイセンコ(註)が蚤に向かって
「飛べ!」
と命じると、蚤はピョンと飛んだ。再び
「飛べ!」
と言うとまた飛んだ。次に蚤の脚をむしり取って、
「飛べ!」
と命じても、蚤はもう飛ばなかった。そこでルイセンコは言った。
「発見したぞ!蚤は脚を取ると耳が聞こえなくなる!」


○ 因果関係にせよ相関関係にせよ、それが本当に存在すると証明できる場合は、世の中には実に実に少ないのだと考えておいた方がいいだろう。論理に対して潔癖な筈の自然科学にすら、ルイセンコのような議論が無いとも限らないのだから。


(註)スターリン時代の遺伝学者。環境を変えることで植物の遺伝子を後天的に変化させることが出来ると主張し、これがソ連生物学会の「公式見解」となった。ルイセンコはスターリンの権力をバックに批判者を追放し、農学・生物学界の独裁者となった。のち、目出たく失脚。

 

                               (Aug. 2007)

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