意表を突かれた話

 「イヒョー」 とは意表を突かれたときに思わず発する間投詞である。これは広辞苑にも載っている[1]、というのはまったくのウソだが、思わず「イヒョー」 と叫びたくなるような、ひとの意表を突く発見がある。こういう発見を「イヒョー」 な発見とよぶことにしよう。

 「イヒョー」 な発見であるための条件は
(1) 言われてみればその通り。つまり、一瞬で納得できて異論の余地がない。
(2) だけど何だか足元をすくわれたような感じ。
(3) 想像力を掻き立てられる。さらなる展開がありそう。
(4) しかし、大発見というほどでもない。
の四つである。

 よい研究というのは、実は多かれ少なかれ「イヒョー」 な研究と言ってよさそうだ。物理の世界にも、もちろん「イヒョー」 はある。これはいかに自分たちの目が節穴だったか、という驚きでもある。私の貧しい研究生活の中で見聞きし、体験した「イヒョー」 な研究の実例を二つばかりご紹介しよう。

(1)オージェ・フリー発光

 原子の中心にはプラスの電荷を持った原子核があり、その周りを原子核の電荷を打ち消すだけの数のマイナス電荷を持った電子が取り巻いている。これらの電子は、勝手にウロウロしているわけではなくて、「軌道(orbital)」または「殻(shell)」とよばれる特別の大きさを持った状態を占めている。その様子は、ちょうど大小さまざまなピンポン玉が原子核を中心として同心球状に取り巻いている姿に近いだろう。軌道が「殻」と呼ばれるゆえんである。名前が無いと不便なので、殻には内側からK殻、L殻、M殻・・・と名前がつけられている[2]。 

 それぞれの殻が収容できる電子の数は厳密に決まっている(パウリの原理という)。だから原子番号が上がって、電子の数が増えてくると、殻にピッタリ収まりきれない電子が出てくるが、その場合は新しい殻が外側にできて、あぶれた電子は一番外側の軌道(殻)に入ることになる[3]。こういう電子は、動き回り易く、原子同士を結び付けて分子や固体をつくる糊のような役目を果たしている。このような「最外殻」にいる電子を「価電子」と呼ぶ。さまざまな物質の性質を決めているのは価電子たちである。

 これに対して、「内殻」と呼ばれる内側の殻にいる電子たちは、結合に全く寄与しない。建物の土台のように、寡黙に価電子を支えている。内殻電子は、深い(=エネルギーの低い)状態を占めていて、通常の光(可視光)では励起できない。これを励起するには高速の電子線や、波長の短いX線が必要になる。昔はこのようなX線が手軽に作れなかったことも、内殻の研究が遅れた理由の一つである。ところが、25年ほど前から、軌道放射光施設という巨大施設が世界各地に作られ、そこに行けば様々な波長のX線が使えるようになり、内殻励起状態の研究が急に進んだ。


図1 (a) 内殻正孔状態 (b) オージェ遷移 (c) 発光遷移


 X線や電子線により、内殻にいる電子を原子の外に叩きだしたとき、何が起きるだろうか?図1はX線や高速の電子を原子に照射して、内殻の電子を叩きだしてやったとき(a)に、引き続いて起きる二つの現象を示したものである。縦軸はエネルギー。内殻より外側の殻には、通常、沢山の電子がいるので、内殻に電子の抜け穴(正孔)ができると、外側の殻から電子がここに落ち込む。(b)では、その時に余ったエネルギーをもらって別の電子が外に飛び出す。従って、1個の内殻正孔が、2個の正孔に増殖することになる。この現象は、発見した科学者Pierre Augerの名をとってオージェ過程とか、オージェ遷移と呼ばれている[4]。 他方、(c)では、余ったエネルギーは光(紫外線やX線)が引き受けて、電子のかわりに光が放出される。これを内殻発光と呼ぶ。オージェ遷移でも内殻発光でも、放出された電子や光子は、その原子に固有のエネルギーを持っているので、原子を同定する時の目印に使われる。和歌山毒カレー事件の裁判ではこの原理が使われた。

 それでは実際にオージェ過程と発光過程のどちらが起きやすいのか?というと、通常は圧倒的に(b)のオージェ過程が起きる。オージェ過程では電子間のクーロン相互作用が働くので、光(横波)との相互作用に起因する発光過程より何桁も速いのだ。通常、内殻にできた正孔は10のマイナス15乗秒(フェムト秒)という超短時間内に、オージェ遷移によって埋められてしまう。発光遷移のほうは、寿命が典型的には10のマイナス9乗秒(ナノ秒)程度なので、ほとんど光は出てこない。これは基本的には原子・分子でも固体でも同様で、一種の「常識」になっていた[5]。ところが・・・。

図2 (a) NaCl最外内殻正孔のオージェ遷移 (b) CsCl最外内殻の発光遷移

 

 固体結晶の中に「アルカリハライド」というタイプの結晶がある。食塩(NaCl)が、その典型である。アルカリハライドはありふれた結晶と思われているが、見方を変えるときわめて珍しい結晶なのである。なぜかというと、結合の手となる価電子がいないからだ。NaClでは、Naの最外殻3s軌道にいた価電子が、Clの最外殻3p軌道に移って殻の空席を完全に埋めてしまっている。NaClを結晶たらしめている力は、ほとんどNa+イオンとCl-イオンのクーロン引力だけである。食塩を水に入れると、すぐに溶けてしまうのは、原子同士が結合していない証拠だ。このタイプの結晶を、もう少し広い括りでは「イオン結晶」と呼ぶ。

 NaClでは、図2 (a)のような電子構造になっている。いま述べたような電子移動の結果、価電子帯はCl 2p軌道からできていて、完全に埋まっている。その下に最外内殻があるが、これはNaの2p軌道でできていて、もちろん、これも完全に埋まっている。ここで最外内殻の電子を1個取り除いたとすると、(a)のようにオージェ遷移によって価電子帯に2個の正孔ができる。内殻の発光遷移はほとんど起きない。ほとんどのイオン結晶は、この「常識」に合致するのだが、ここに例外があった。

 CsClなどのような、重いアルカリ金属と軽いハロゲンの組み合わせからなるイオン結晶に、電子線照射してやると、通常の励起子発光のほかに、正体不明の寿命の短い(ナノ秒以下)の発光が観測されるのである。これは以前から知られていたが、ラトビア(当時はソ連領)[6]と日本[7]の実験グループが、この発光は価電子帯から最外内殻への電子遷移に伴う発光だと突き止めた。

 こう同定する決め手となったのは、X線照射で引き起こされる発光強度の励起エネルギー依存性(励起スペクトル)である。軌道放射光を用いた測定によって、寿命の短い奇妙な発光が、最外内殻から伝導帯への光吸収(つまりCs原子内の5p→6s遷移)から始まることが確認されたのだ。


 なぜ、そんな奇妙な発光が起きるのか?それはCsClの特殊な電子構造に由来する。CsClでは、原子番号の大きなCsの5p軌道のエネルギーと6s軌道のエネルギーが高くなり、価電子帯との位置関係が図2 (b)のようになっている。このため、Cl 3p軌道の電子は内殻へオージェ遷移したくても、そのエネルギーを引き受ける電子の行き先が無いのだ。残された道は発光遷移しかない。このような奇妙な現象は、ほかのイオン結晶でも観測されている。その必要条件は、「重い金属と軽いハロゲン」の組み合わせである。

 この奇妙な発光のことをラトビアのグループは「クロス・ルミネッセンス」[6]、日本の研究者は「オージェ・フリー発光」 [7]と呼んでいる。内殻分光の実験に長く携わってきた専門家にとっても、オージェ・フリー発光の発見は意外だったようだ。


 前にも述べたように、普通、内殻にできた正孔はフェムト秒という超短時間で消えてしまうのだが、オージェ・フリーの物質では、それがナノ秒という(内殻の世界では)異常なほど長時間生きている。そのことを利用すると、内殻正孔がどういう状態にあるのか調べることができる。たとえば混晶を使った巧みな実験によって、内殻正孔はかなり自由に結晶の中を動き回っていることがわかった[8]。つまり、内殻状態では原子同士の化学結合がない、というのは厳密には正しくないのだ。

 また、オージェ・フリー発光のスペクトルを見ると、その形状や発光のエネルギーが、単純な電子状態だけでは説明できないものもある。私たちは、これはおそらく内殻正孔が格子のひずみを作って、そこに自己束縛されたためではないかと考えて、モデル計算をした[9]。大体これでいいとは思うのだが、まだ実験的決め手を欠いており、「イヒョー」 とまでは行ってないようだ。オージェ・フリー発光は、発光効率が高く、発光としては非常に寿命が短いので、高速シンチレーター(放射線検知器)の原理としても使えるだろうと期待されている。



 ところで1990年ごろ、ある国際会議で、ラトビアグループのリーダーのValbis氏に会ったとき、こんなことを言われた。

「オージェ・フリーとは『オージェは要らない』とか、『オージェは無いほうがいい』という意味だ。オージェさんはまだ生きているのに、これは失礼じゃないか (だからクロス・ルミネッセンスと呼べ)」

 私にとっては、ピエール・オージェは歴史上の人物という感じだったので驚いたが、これは事実だった。今、調べてみるとPierre Auger (1899-1993) となってる。ハイゼンベルクより年上だ。しかし、「オージェ」という単語は、今では普通名詞のように使われている。自分の名前が普通名詞になるなんて、名誉なことだと思うのだが。

 

(2)複合粒子の共鳴トンネル効果


 トンネル効果は量子力学の奇妙さを端的に体現する現象だが、「共鳴トンネル効果」はさらに奇妙だ。二つの(一般には複数の)ポテンシャル障壁が連なっているところに量子力学的粒子が入射した場合、そのエネルギーがある特定の値を取ると、場合によっては100パーセントの確率で障壁を透過してしまう。これが共鳴トンネル効果だ。一つの障壁ではトンネル透過確率は100パーセントに達することは決して無いのに、二つに増えると100パーセントの確率で通り抜けられるという妙ちきりんな現象である。

 1990年代の初めごろ、私はトンネル効果に興味を持っていろいろなことを考えていた。例えば、共鳴トンネル効果が起きる状況で、粒子と熱浴との間に相互作用が働くと何が起きるだろうか、とか、トンネル効果を記述するS行列は非可換Berry位相なんじゃないか(実際、その通りですが、それで?)、散乱問題のLippmann-Schwinger方程式を密度行列形式で書けないか(ついに挫折した)などということを手当たり次第にやっていた。

 その頃、日立中央研究所でFoundation of Quantum Physicsというシリーズの国際会議(主催:日立製作所)があったので、出席して何か話した。実は何を話したのか忘れてしまった。それよりよく覚えているのが、V. S. Mashkevichというウクライナの年輩の研究者の話である。彼はおよそ次のようなことを言った。

「固く結ばれた2粒子のトンネル効果では、一つの障壁でも共鳴トンネリングが起きる。例えば君たちが、誰かと手を握りあえば、あの壁を100パーセント通り抜けることもできる。ただし、固く手をつなぐことが必要だ」(図3参照 )

すかさず会場から
「Try it (やってみろ)」
という合いの手が入った。

 

図3 二人で固く手をつなげば、壁も通り抜けられる(ピクトグラムフリー素材"略奪婚"から)

 

 M氏はこれ以外にもいろいろなことを話したのだが、私は彼が言わんとしたことを考えていたので、そちらに気をとられて覚えていない。

 彼は図4のことを言ったのだ。つまり図4の(a)のように、剛体の棒でつながれた二つの粒子(2原子分子)の単一障壁のトンネル効果は、(b)のような単一粒子の2重障壁のトンネル効果と完全に等価なので共鳴トンネリングが起こるというのだ。たしかにそのとおりである。1次元2粒子系の運動は2次元1粒子系の運動と等価なので、図を描いてみればすぐに分かる。

  2重障壁で共鳴トンネリングが起きるのは、図5の(b)のようにポテンシャル井戸の中に共鳴状態(擬束縛状態)ができるためである。共鳴状態では多重回の反射が井戸の中で起きるので、経路間の建設的干渉が生じ、前方に出てゆく確率が増加するのである。これを2粒子系で考えると、この共鳴状態に等価な状態は(a)のように、前方の粒子だけがトンネルを抜けて、後方の粒子は後にのこされた状態である。この状態で一瞬、2原子分子が障壁に捕まり、カタカタと揺れる(?)のが共鳴状態だ。

 

図4 (a) 複合粒子の単一障壁トンネル効果 (b) 単一粒子の2重障壁トンネル効果。 (a)=(b)である。

 

図5 (a) 複合粒子が障壁に引っかかった状態 (b) 単一粒子がポテンシャル井戸に捕捉された状態。(a)=(b) である。

 

 私は、これはちゃんとやれば面白い物理の問題になると思ったので、修士課程の大学院生だったSさんと一緒に考えて数値計算も加え、2編の論文を書いた。一つは剛体の棒をやめて、図6(a)のように内部自由度のあるバネにしたことだ。トンネル透過に伴って、内部振動の励起も起きるので、並進運動のエネルギーが振動エネルギーに転化されて透過スペクトルに複雑な構造が生まれる[10]。

 また、図5を眺めると共鳴トンネル効果が起きるための条件は、「ポテンシャル障壁の近傍に擬束縛状態が生じること」と一般化できることに気づく。そこで図6 (b)のようなワニア励起子のGaAs/GaAlAs/GaAsヘテロバリアの共鳴トンネリングを調べた[11]。この場合の擬束縛状態とは、電子か正孔のどちらかがヘテロバリアを前方に抜けて、他方が後に残された状態である。共鳴透過するためには、2粒子は一度、右と左に泣き別れの状態を経なければならない。数値計算ではtight-binding modelにして、漸化式グリーン関数法という手法を用いた。擬束縛状態は相対運動のp状態なので、基底状態(s状態)で通り抜ける経路との干渉で、透過スペクトルにはFano干渉を伴った鋭い共鳴構造が現れる。

図6 (a) バネで繋がれた2粒子のトンネル効果  (b) ワニア励起子のヘテロバリア透過

 


 論文を書くとき困ったのは、Mashkevich氏が関連した論文を一つも書いていないことである。そもそもM氏はあまり論文を書かない人であるようだ。仕方がないので、日立中研でのM氏の講演を引用しておいた。

 私たちの論文は、しばらく何の反響も呼ばなかったが、そのうちにロシアの研究者のグループなどが興味を持ってくれて、いろいろ拡張した論文が出始めた。今も理論的研究を続けているようだ。私としては実験でこういう現象が見つかるとうれしい。たとえばGaAsとGaAlAsのサンドウィッチ構造などで、光透過スペクトルに共鳴構造が観測され得るのではないかと思っている。


 ここでは自分の経験から二つばかり例を示したが、多分、「イヒョー」経験はどなたにもあるだろう。そういう話を聞かせていただくチャンスがあると面白いのだが。

 


[1] 「イヒョー」は1980年ごろに発行されていたサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」の投稿コーナー「めざせ広辞苑(もちろん、めざせ甲子園のもじり)」に出た名作。ほかには「えびぞる」も有名。

[2] 原子の内側の深いところにも殻があることを発見したM. Siegbahn が、こう名付けた。彼はこの殻が一番深い殻であるかどうか自信が無かったので、アルファベットの真ん中あたりの文字Kを割り当てた。ところが、もうその先には何も無かったのだ。分かっていたらAかZにしたのに!

[3] ここでは電子同士のクーロン斥力を全く無視している。現実にはこれが無視できないので、内殻の収容力が一杯になる前に、他の電子に排斥され最外殻に入って、価電子になってしまうような物質もある。

[4] 実際はオージェの2年前(1922年)にリーゼ・マイトナーが発見しているらしい。

[5] ただし、非常に深い内殻状態では逆転して、発光遷移の確率がオージェ遷移の確率より高くなる。

[6 ] J. L. Jansons, V. J. Krumins, Z. A. Rachko, and J. A. Valbis, Phys. Stat. Solidi (b), 144 (1987).

[7] S. Kubota, M. Itoh, J. Ruan, S. Sakuragi, and S. Hashimoto, Phys. Rev. Lett. 60, 2319 (1988).

[8] M. Itoh, N. Ohno, and S. Hashimoto, Phys. Rev. Lett. 69, 275 (1992).

[9] Y. Kayanuma and A. Kotani, J. Electron Specrotsc. Related Phenom., 79, 219 (1996).

[10] N. Saito and Y. Kayanuma, J. Phys. Condens. Matter, 6, 3759 (1994).

[11] N. Saito and Y. Kayanuma, Phys. Rev. B 51, 5453 (1995).



                                        (Jan. 2016)

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