伊吹山

 私は、新幹線で東京と大阪の間を往復するとき、関ヶ原から米原にかけての風景を車窓から眺めるのを楽しみにしている。名古屋を出た新幹線が北上し、長良川、揖斐川を渡り大垣を過ぎた頃から、にわかにあたりの空気が一変するのが電車の中からも分かる。家々のたたずまいも、しっとりと薄墨色に落ち着き、名古屋、大阪などとは明らかに違っている。東海道の陽光の中を走って来た新幹線は、ここで一瞬、北陸地方をかすめるのである。

 列車が関ヶ原にさしかかると、私はいつも「関ヶ原には、今も歴史が蕭々と吹き渡っている」という尾崎士郎の言葉を思い出す。私は、関ヶ原が明るく晴れているのを見た記憶がない。そういえば尾崎士郎は「蕭々(しょうしょう)」という言葉が好きだった。

 そして、その先には無骨な戦国武将のように、伊吹山がそびえている。伊吹山は湖北に連なる山並の切れ目に位置するのだが、平地からは独立峰のように見える。とくに美しい姿形というよりは、堂々たる量感で迫ってくる。その山肌の陰影が、列車の進行につれて刻々と変化するのを私は眺める。

 松尾芭蕉は、生涯に幾度か大垣に滞在し、伊吹山を眺めて暮らした。「おりおりに 伊吹をみてや 冬ごもり」の句は、晩年のものだ。この句については、寺田寅彦が「伊吹山の句について」という随筆の中で、地勢学・気象学的立場から論じている。日本海を渡って来た湿った冬の季節風が、若狭から琵琶湖にかけてV字型にのびた平地を渡り、伊吹山にあたって雨や雪を降らせる。そのため、伊吹山近辺は、冬の降水量が他の地と比べて多い。大垣から望む冬の伊吹山も、多くは雪雲に隠れて見えないが、北西風の吹かない暖かい晴れた日には、その姿を望見することも出来たであろう。そう思って読むと「おりおりに」という言葉にも実感がこもって感じられる、という主旨だったと記憶する。岩波の寺田寅彦随筆全集は、中学の頃から愛読書だったので、列車の窓から初めて伊吹山をidentifyできた時は嬉しかった。

 ところが、ある日、新幹線の窓からいつものように伊吹山を見て、目を疑った。山麓がえぐられ、白い地肌が剥き出しになっている。信じがたいことに、山を削って砂利を採掘しているらしい。そういえば、むかし秩父の町でも同じような光景を見たことがある。町から見える武甲山が大きく削られていたのだ。その時は、そんなことが出来るのか、という驚きで一杯だった。秩父のシンボルだった武甲山も、今ではセメントになってあらかた消えてしまったという話だ。

 金儲けのために、百人一首にも詠まれた歴史的名山を削り取ることを平気で行う業者。それを認可する行政。私達は、いったい、なんという国に住んでいるのだろう。

新幹線に乗れば伊吹山はいやでも目に入る。
「ばか者ども」
私は無惨にえぐられた山肌を眺め、心の中でつぶやく。私にとって、今では伊吹山を見ることはただ苦痛である。

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