崩壊する国

客観的な事実というものを尊重する気持ちが至って稀薄である。大声で言いつのれば、事実などどうにでもなると考えているふしがある。真実と虚偽との違いを感知する能力が、そもそも欠落しているのではないかと疑われる。これは自然科学を研究するにはおよそ不適格な性格であって、実際、科学分野では見るべき成果を持たない。歴史上の事実については・・・まあ議論するだけ無駄だろう。

 嘘をつくにしても、普通は間違いを指摘された場合を想定して、何らかの理論武装をしてくるものだが、近頃はそれすら怠り、ほとんど口から出まかせの嘘をまき散らしている。この性格で良心を欠いていれば立派なサイコパスである。当人にとっては、それはそれで幸福かもしれない。もし多少の良心が残っていたら、自身の後ろめたさを意識下に抑圧しているので、間違いを指摘されると激高して余計に困ったことになる。

 しかし、私がショックを受け、恐ろしいとさえ感じたのは、いまや一般大衆ではなく、一国の政府機関や軍の最上層部、さらには議会や司法までが、ほとんど脊髄反射的にすぐに底が割れる虚偽を垂れ流し始めたことだ。統治機構としての政府が機能を停止している可能性がある。そういう政治家をトップに選んだのは国民である。

 いまのこの国の様子を見ると、19世紀末から20世紀初頭にかけての歴史のドタバタ劇を再演しているように思える。当時は帝政ロシアと支那(清)という二つの大国から圧迫され、さらにいち早く近代化に向かって歩み出していた日本(大日本帝国)からも開国を求める圧力を受けていた。そもそも独立国であるのか清の属邦なのかも判然としない状態で、日本は交渉相手の選択に困っていたのだ。国の危機にも関わらず、支配層は政争と保身に明け暮れ、ほとんど統治能力を失っていた。ロシアと清と日本のあいだでうまく立ち回って、独立を維持しようと夢想した勢力もある。そういえば最近も誰かが「バランサー」とか言っていたな。

 結局、日本は過剰な防衛意識からこの国を併合してしまった(1910年)。そして柄にも合わない領土的野心を起こし、大陸へ南方へと進出していった。35年後にどのような結末を迎えたかはよく知っているだろう。

 日本は、この国とは絶対に深くかかわってはいけない。この国から何か学ぶことがあるとしたら、反面教師としての教訓だけだろう。正気を失い自己統治能力を失ってしまう可能性は、どの国にも常にあるのだ。


                                        (Feb. 2019)

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