ヒキガエルの卵

 父親に多少まとまったお金が入り、ほっておいたらこの人、すぐに散財してしまうからと、祖父母と母の兄たちが、なかば強制的に家を買わせた。それまでは狭い借家住まいだったのである。一家が引っ越して行った家は、祖父母の家から歩いて十五分ほどのところにあった。

 家の周りは、板塀や生垣に囲まれた古い平屋ばかりだった。私の家の、それほど広くもない庭の南側には、太い檜が三本も植わっていて、日当たりを悪くしていた。檜の下に山吹の茂みがあった。日当たりのよい所には大きな西洋無花果の木が植わっていて、カミキリムシがたくさんやってきた。西のはずれに井戸があったので、その横に薪で焚く風呂場を設けた。南向きの八畳間には広縁がついていて、夏にはみんなで夕涼みをしたりスイカを食べたりした。春先には、どこからともなく鶯の声が聞こえてきた。


 東隣の家も平屋で、私の家と同じような造りらしかった。会社員の父親とその家族が住んでいた。口数の少ない上品な母親と、歳のはなれた姉妹がいた。いや本当に姉妹だったのかどうか、私には分からない。姉さんのほうは私よりずっと年上で、妹のSちゃんは私より少し年下だった。

 両方の家の庭の境には木戸があって、自由に往来ができた。昔の家はたいていそうなっていたのである。しかし、木戸を通って両家族が行き来をすることは、ほとんどなかった。私の家には絶えず来客があり、にぎやかだったが、隣はいつもひっそりと静かだった。

 Sちゃんは色白の美少女だった。ときどき、澄んだよい声で歌を歌っていた。声楽の勉強をしていたのかも知れない。夏の日に広縁で寝転んでいると

   あした浜辺をさまよえば・・・

とSちゃんの歌う「浜辺の歌」が、垣根ごしに聞こえてきた。私は断然この歌が好きになった。しかし私は硬派だったので、セーラー服姿のSちゃんと道ですれ違っても、ろくに挨拶もしなかった。


 中学生のころ、私が庭にいると木戸を開けて、Sちゃんとおかあさんが入ってきた。Sちゃんは小さな水槽を抱えていた。おかあさんが
「これ、なんでしょう?」
と私に尋ねた。水の中にぬらぬらと寒天の紐のようなものがわだかまっている。黒い点々も見える。
「ああ、ヒキガエルの卵です」
と私は答えた。おかあさんは
「あらそう」
と、腑に落ちないような生返事をした。二人はそのまま帰っていった。私はSちゃんが質問に来てくれたので、少し嬉しくもあったが、彼女が気味のわるいヒキガエルの卵を持っていることが、何だかそぐわないような落ち着かない気分だった。

 それからしばらくして、Sちゃんの父親が急に亡くなった。その前後に何かあわただしい動きがあったような気がするが、記憶はあやふやだ。葬式があったのかどうかも定かには覚えていない。覚えているのは、間もなくSちゃんの一家がどこかに引っ越していってしまったことである。私の両親は何も言わなかったが、あの死は尋常な死ではなかったのかも知れないと、私が気づいたのは、ずいぶん後になってのことだ。

 庭の檜は、何度か家の建て替えをするたびに切られ、今は一本も残ってない。Sちゃん一家の住んでいた隣の家も、とうの昔に取り壊され、今は3階建ての集合住宅になっている。鶯の声も聞こえなくなった。


 

                                        (Dec. 2012 )

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