輝けるヘマ その1 地球はいま何歳?

 マリオ・リヴィオ著 千葉敏生訳「偉大なる失敗」(ハヤカワ書房刊)を読んだ。原題は “Brilliant Blunder” と韻を踏んでいる。チャールズ・ダーウィン(進化論)、ケルビン卿(地球の年齢1億年)、ライナス・ポーリング(DNAの3重らせんモデル)、フレッド・ホイル(定常宇宙論)、アインシュタイン(一般相対性理論の宇宙定数)という巨人たちの巨人ならではの大ポカを論じている。
 

 原著の副題:Colossal Mistakes by Great Scientists That Changed Our Understanding of the Universe にもあるように、天才が天才であるゆえんは、その誤りにおいてすら天才的であって、その誤りが後世の発展の基礎になったり深い教訓を含んでいたりするということである。著者は宇宙科学者だが、この著作のために独自の文献調査もしていて、大変面白い本である。

 何にせよ、他人が失敗した話が面白くないわけがない。ましてやわれわれ凡人からすれば神のごとき人々のヘマですからね。化学結合論の大御所ポーリングの大ポカなど、なんで〜?というレベルの間違いだ。だいたい3重らせんではDNAの重要な特性である自己複製ができないだろうに。

 

 ケルビン(ウイリアム・トムソン)が、理論屋にとって教訓的といえそうな間違いをしている。当時(19世紀後半)の欧州科学界で論争の種となっていたのが、地球はどれほど古いのか?という問題である。論争の主役は地質学者と物理学者だった。化石資料や地形変化の痕跡などから、地球の歴史には膨大な時間が必要である(斉一説)と主張する地質学者たちに対し、これに異論を唱えた物理学者の代表がケルビンだった。ケルビンは、地球に関する観測データと若干の仮定から数理物理的計算によって、みごとに地球の年齢を計算してみせた。その結論は、地球の年齢はおよそ1億歳、誤差をいれても2000万歳から4億歳の間に収まるとされた。ケルビンはこの結論に相当自信があったようだ。

 ケルビンが計算のために使った「モデル」では、地球が彗星などの衝突によってドロドロの溶融状態として生まれたと仮定する。そしてある時に地球全体の温度が岩石の凝固点に達し固化する。それ以後、地球は表面から熱を放射し、冷え続けていると考える。そうすれば、地球中心部の初期温度と岩石の熱伝導率と現在の地殻の温度勾配の3つが分かれば、熱力学の理論から地殻ができてからの時間が分かる。得意の数理物理の理論を駆使して、はじき出した値が1億年である。

 ケルビンは同時期に太陽の年齢も計算している。このときに用いたモデルでは、太陽が放出する電磁波のエネルギー源は、自分自身の巨大な重力によって太陽が収縮する際の重力ポテンシャルのエネルギーだということになっている。したがって、いつかは太陽の光も熱も消滅する。ケルビンの計算によれば 「太陽は地球を過去1億年以上は照らしていないと考えられる」 ことになった。太陽系が一斉にできたと考えられる根拠があったので、地球の年齢と太陽の年齢の一致は理論の正しさを裏付けるように思われた。

 もちろん、現在ではこの結論のどちらも間違いであることが分かっている。地球の年齢は約45億4000万歳である。ケルビンが間違えたのは計算ではなくて、モデルの設定である。まず、地球内部では核分裂反応により、絶えず新たな熱エネルギーが生み出されている。それより重大な間違いの原因は、マントルが固体であるにも関わらず熱対流している(もちろん長大な時間スケールで)という事実を知らなかったことである。このため、地殻底部の温度は高くなり、表面の温度が現在の値まで冷えるのに要する時間が伸びるのだ。太陽についても水素の核融合反応が熱エネルギーを供給していることは今では誰でも知っているだろう。

 ケルビンの教訓は、間違ったモデルに立脚してどんなに高度な計算をしてもダメだということだろう。 ケルビンは晩年(1907年没)新しい物理学を認めず、困った存在になっていたようだ。


                                          (Feb. 2017)

目次に戻る