2007年 春から夏へ

書くことがないので最近の日記から写しておく。何だかブログみたいになってきた。

4月11日 湖東三山

日曜日にカミさんと琵琶湖のほとりの湖東三山(百済寺、金剛輪寺、西明寺)へ行ってきた。関西の鉄道やバスが3日間自由につかえる切符を買った。 あと一回使えて、その日のうちならどこまで行っても何度乗り換えても同じ。
カミさんは
「できるだけ遠くへ行くのよっ!」
と張り切っている。

しかし、湖東三山はなかなか良かった。紅葉の名所。新緑にはまだ早かったが人も少なく静かだ。関西では、こういう田舎のお寺でも国宝や重文がごろごろしているので感心する。三山とも長い階段で息切れ。私らみたいな老夫婦が多い。


頑張って、彦根にも行った(何しろできるだけ遠くへ行かねばならん。)お城はちょうど桜が満開ですごい人出だった。「夢京橋キャッスルロード」は芝居の書割みたい。彦にゃんには会えなかった。

十分モトがとれた、とカミさんは上機嫌だった。わしゃ疲れた。



4月12日 装着

この冬、むし歯が痛んだので歯医者に行ったら、上の奥歯2本を抜かれてしまった。抜歯のとき、歯茎に穴が開いて歯茎と鼻腔の間が貫通するという恐ろしい目にあった。鼻血が止まらず(ウ、ウ、歯を抜いてなんで鼻血が・・・)、うがいをすると鼻から水が漏れる始末。
ようやく穴がふさがり、歯医者は入れ歯を作ってくれた。わたしゃ今では入れ歯の爺さんだ、部分入れ歯だけど。ものの味も変わってしまった。

入れ歯でバリバリものを噛んでいると、だんだん自分がサイボーグに近づいていくような気がする。朝、入れ歯をはめるとき
「装着っ」
と心の中で叫んでいる。



4月13日 夜桜

仕事を終えて池のほとりを歩いて家に帰った。名残りの夜桜の下で花見をしているグループがいる。
「カヤヌマさん、カヤヌマさん」
と呼び止められた。Dさんの研究室のメンバーだった。
というわけで(どういうわけじゃ)乱入という次第になった。

いかん。また飲んでしまった。



4月14日 中百舌鳥酔漢同盟

いかん、また飲んでしまった。(昨日の続きか?)

フランスに長期出張していたU君の帰朝歓迎会をした。メンバーはいつもの4人+1人。+1人は最近、理学部に着任したMさんである。
この4人の酔漢同盟は各家庭内ではすこぶる評判が悪い。奥さん方は全員、自分の亭主が酒を飲むのはお友達が悪いからだ思っている。ちょうど、自分の子供は悪くない、悪いのは友達だ、と信じている不良少年の母親のようなものだ。

本日、+1のMさんも呑める口であることが判明した。
アクセルを踏む人間ばかりで、ブレーキをかける人間がいない。困ったもんだ。今夜も酒乱の4人が中百舌鳥の町を行く。



4月15日 いとしのiMac

よい天気の土曜日なのに今日も会議のため出勤。あっという間に桜が散って葉桜の季節になった。木々の枝に緑が今にも噴き出しそうになっている。

仕事で10年ほど前のiMacをまだ使っている。OSはOS9。さすがに時代遅れになり、最近は送られてくる文書や画像で開けないものが多くなってきた。しかしメールなどには十分役立つ。
このiMacはとても人間くさい。これまでに何度もダウンしかけたが、一晩電源を切っておくと翌朝は立派に回復している。自己修復機能があるらしい。だから一度も修理に出したことがない。一度だめになるとまったく手の打ち様がないWindowsとは大変な違いだ。うん「自己修復機能を備えたパソコン」というのは次世代マシンの素晴らしいコンセプトになるぞ。


しかし、このiMacを使いこなせるのは私だけだ。同時に立ち上げるとフリーズしてしまうソフトの組み合わせがあり、その組み合わせの数が次第に増えてきた。最近は、一日に何度も再起動している。いよいよお別れの時が近づいているのかも知れない。


4月16日 伊吹山その後

よんどころない仕事で日曜日から1泊で東京へ出張した。飲む→会議→飲む→出張→飲む→論文書き→飲む→・・・いつまで続くのだろう。

天気が良かったので、往きの新幹線では久しぶりに窓際に座り、景色を眺めた。新緑になる前の、白い綿毛をかぶったような若葉が、山々を覆い始めている。これから数日間はすごい勢いで、野山が緑に染められていくのだろう。
今日も伊吹山を見た。石灰岩の採掘で山肌が無残に削り取られている。今日も目をつぶりたくなった。人から聞いた話では、セメント会社は今ではもう採掘はやめて、削り後に植樹を始めたそうだ。

帰りは疲れてひたすら眠り続けた。


4月18日 動じない人びと

日記だから毎日書かなくちゃいけないと思うと結構たいへんだ。小学生の頃の夏休みを思い出す。

長崎市の市長さんが拳銃で撃たれた(現時点で心肺停止状態)。昨日はアメリカのバージニア州の大学で銃の乱射があり32人もの学生や教師が殺された。ショッキングな事件の連続で、テレビもWebのニュースも大騒ぎだ。

しかし、こういう時にも、全然動じないひとが100人に1人ぐらいはいるのだ。

1970年11月25日、三島由紀夫が自衛隊東部方面総監部に若者4人とともに乱入し、総監を日本刀で切り、最後はお供の青年を道連れに割腹自殺した(本当は作法どおり、介錯されて断首されたのだ)。このとき社会が受けた衝撃の大きさは、今からは想像できないかも知れない。私はその日の夕方、アルバイトの帰りで電車に乗っていたが、ほとんど全ての乗客が新聞の夕刊や号外をむさぼり読んでいた。一種の興奮状態で、車内は異様な雰囲気だった。その中に、ただ一人、一心不乱に競馬新聞を読んでいるおっさんがいたのですね。私は尊敬の念を抱きました、その人に。

こういうものに動じない人びとがいるから、世の中まっすぐ進んでいくのかも知れん。



4月19日 私はタコになりたかった

夜、久しぶりに早めに家に帰ったらテレビでタコの話をしていた。NHKのこの番組「ためしてガッテン」は、尊大な笑いの強要と知識の押し売りが好きじゃないが、タコの話なので思わず見てしまった。

子供のころ、私はタコがすこぶる好きだった。その理由は分かっていて、親が「海魔 陸を行く」という映画を見せに連れて行ってくれたからだ。これは海のタコが陸に上がっていろいろ冒険をして行くという話。幼かったので全部は覚えていない。面白いのは、実物のタコを使って実写していることだ。タコが主人公だから、タコは強い。 タコは立派だ。

それ以来、弟や妹と「ごっこ遊び」をする時、私はいつもタコになった。

子供のころ、私はタコになりたかった。



4月20日 また飲んだ

いかん、また飲んでしまった。(もういいよ そのセリフ)

4月に新たに学科に着任した新人二人の歓迎会と2次会。また飲んでしまった。二人とも若い数学の研究者だ。なかなかよろしい。

助手になってはじめて東北大学に赴任したとき、偉い実験家のS先生に廊下で「おお、ニューフェースだな」と声をかけられた。そのS先生も今は亡い。

時は過ぎ行く。



4がつ21にち ひだりてでかいたにっき

あかつかふじおのてんさいばかぼんにひだりてでかいたまんがというのがある。「みぎてをくじいてしまったのでこんしゅうはひだりてでかくのだ」といってぜんぺんぐにゃぐにゃのせんでかいてある。てんさいあかつかふじおでなければかけないぎゃぐなのだ。そこでわたしもひだりてでにっきをかくことにしたのだ。ひだりてなのでかんじはぜんぜんかけないのだ。

つかれたのだ。



4月23日 休日出勤

カミさんが家を出てしまった(別に深刻な話ではありません、今のところ)。
日曜日だけど仕事場に行った。一日中、書類作り。締め切りがダンゴになってやってくる。雑用をやって仕事をしたような気になったらおしまいだ。

最近、ヒット作が出てない。100回以上引用される論文をあと1編、書きたいと願っているが、もうダメかも知れないと初めて弱気になる。


今日はこれまで。ビール飲んで寝る。



4月28日 俺もヤキがまわったぜ(若山弦蔵風に)

単身生活も1週間になった。男は電子レンジと全自動洗濯機があれば生きていけることが分かった。

ビールを飲みながらテレビのニュースを見る。火事があり、姉と弟が焼死した。一度逃げ出した長姉が障害のある弟を助けに火の中に引き返したという。職場から母親が駆け付けた時はすべて終わった後だった。母子家庭で家族が寄り添って生きてきたのだ。
テレビのニュース見て泣くなんて、俺もヤキが回ったぜ。やはり独り暮しは良くない。



5月17日 仙台

仕事で仙台に来ている。17年間過ごした町。昔の家を見に行くと、雨の中、野草園のうぐいすが鳴いていた。

夜、飯を食べにホテルを出た。フォーラスの前で得体の知れない若いもんが大勢たむろしている。昔はいなかったぞ、こんなやつら。
女子高生のスカートの丈を見ればその町の田舎度が分かる。もちろん、田舎ほど短い。うーん、仙台もかなり短いですな。

「青葉祭り」とかをやっているのかしら?一番町のアーケードに赤い色の山車がいくつも並んでいる。「○○鉾」、「◇◇鉾」と一つ一つ命名されている。ところがその高さたるや3メートルぐらいしかない。これではまるで祇園祭の山鉾のミニチュアだ。京都の祇園祭を見たことがないのか。恥ずかしいからやめてくれ。

稲荷小路の太助で牛タンを食べてホテルに帰った。ローカルな話題ですんまへん。しかし仙台はいい町だ。



5月18日 仙台(つづき)

国際会議に招待されて仙台に来ているのだ。本日は第1日目。神妙に全部聞いた。実は私の専門とは少し分野が違う。オタクな話が多いなあ。 どの分野の学会も同じだが・・・。

夜、広瀬川の近くのレストランでバンケット。おいしいイタリアワインをたらふく飲んだ。その後、ラーメンでも食べようと一番町を歩いていたら、若手の I さんにつかまり、2次会へ。よく分からん店に連れ込まれ、Y先生はじめ流れて来た連中と合流、業界の裏話をネタに夜中の2時まで飲む。

ホテルへ帰って、例によってあとは意識不明。気がついたらバスタブの中で眠っていた???朝の6時だった。お湯の温度がちょうど体温と同じになっていたのは不思議。これってちょっと危ないんじゃないですかい。

おかげで自分の講演は散々の出来だった。だって前の晩に準備するつもりだったのだから。わーい、ぶっつけ本番で英語もめちゃくちゃだ。

夕方、這う這うのていで大阪に帰ってきた。疲れました。



6月12日 レフェリー

Physical Review に投稿した論文が、やっと出た。これは良い仕事だ。実験グループと理論グループが、たがいに独立に仕事をして、「ショウダウン!」と結果を見せあったら完全に一致していた。自分でも驚くような経験。理論の力(理論家の力ではない)と実験の凄さを両方味わった。
ここまではハッピーだったが、レフェリーには恵まれなかった。

バカなレフェリーは困る。邪悪なレフェリーも困る。バカで邪悪なレフェリーときたら最悪だ。

しかし思い出すと腹が立つから忘れることにしよう。

「レフェリー論文は3つ溜まったら最初のやつを読みはじめる」と放言したことがあるが、嘘である。私は気が小さい人間だから、最初のreminderが来たらすぐに読みはじめる。すっぽかしたことはない。


6月14日 完全なる流動食

東大のSさんとやっている仕事を、そろそろ論文にしようと思う。ベッセル関数の有名な無限和の公式がそっくり、あるコヒーレントな物理的過程を表わしていることが分った。むかし、この公式を見つけた数学者(Graf)には思いもよらないことだろう。ベッセル関数大好き。

最近は、夜のカロリーの大半を黄褐色の液体のかたちで摂取している。モース主任警部(Colin Dexterの推理小説)のように、昼間から黄褐色の液体に親しむようになったら危ない。

あさってからスペインに出かけるが、カミさんがいないので全部自分で支度しなければならん。面倒なので寝る。


7月3日 明日の記憶

外国出張の時差ボケが今頃になって出てきて、昼夜逆転、睡眠不足の毎日が続いている。あいかわらず一人暮らし。

テレビで渡辺謙と樋口可南子主演の映画「明日の記憶」をやっていた。それが昨夜だったのか一昨夜だったのかもよく覚えていない。若年アルツハイマー病の話。つらくて、全部見通すことができずに、途中、あちこちチャンネルを変えたりした。

そのせいかどうか、短い眠りの中で妙な夢を見た(ちなみに今は朝の5時半)。一種のタイムマシンの話。タイムマシンで過去にさかのぼれないことは分かっているが、未来に行くことは出来る。 その理屈は面倒だから書かない。

私はいまとても困った状況になっていて、別の人生に移り変わりたい。人生にはところどころ分岐点があって、枝分かれしている。「自分」がどの枝にいるのかは偶然で決まるのだ。別の人生に行った自分もいる。このあたり、量子力学の多世界解釈みたいだ。

タイムマシンで別の枝に飛び移ることができる。

ところが、今持っているこの世界での記憶の一部は失いたくない(その理由がある)。そこで、この大事な記憶の一部を、別の世界にいる「自分」に信号として送って、飛び移る工夫をするという話。

と書いていてもややこしくて頭がいたくなるが、ものすごく鮮明な夢だったのだ。鮮明で悲しい夢。

SFのタイムマシンの話は好きじゃない。論理的混乱があるからだ。昔、子供と見ていたテレビアニメのドラえもんでも、タイムマシンが出てくると、私は家族の前で怒り狂った。「論理的にありえん!」

ロバート・ハインラインの「夏への扉」や、レイ・ブラッドベリの「いかずちの音」なんかは文章の力で読ませてしまうが・・・。

時差ボケ、なんとかならんか。




7月5日 こじらせた時差ボケ

親切な方からアドバイスを頂いたが、時差ボケ回復に失敗し、今頃になってダメージを受けている。

私の今の生活サイクル

午前4時起床
→トースト・コーヒーで食事、三日に一度 洗濯
→午前7時に出勤
→午前中は快調にとばす
→生協で昼飯
→午後1時に猛烈な眠気が襲来。朦朧として午後4時ごろまで半睡半醒(ようするに居眠り)。スペインのシェスタ状態
→午後4時、パッチリ目を覚ます
→快調にとばす
→午後9時帰宅
→ビール飲む
→「サトウのごはん」で卵かけご飯 (ときにはサバ缶)
→テレビつけ放しでうたた寝
→午前1時ごろ目を覚し風呂に入って寝る
→午前4時起床 以下 繰り返す

要するに1日が12時間になったのだ。
体が持たん。はやく元の生活に戻りたい。

 

                            (Oct. 2007)

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