秤のゆれ

 最近、テレビのニュース番組で、街路樹が突然倒れ、倒木に打たれた通行人が亡くなったという話を聞いた。何の前兆もなく、風も無いのに倒れたのだそうだ。調べてみると、樹木の内部はうつろになっていて、いつ倒れてもおかしくない状態にはなっていたらしい。今、そういう悪さをする菌類に蝕まれている街路樹が多いという話だった。

 これからお話しするのは、少しこのニュースに似ていなくもない自分自身の体験である。

 

 数年前の夏だったことは間違いないが、日付は覚えていない。それが起きた時間が夜中の2時だったことは正確に覚えている。その頃、私は堺市の大阪府立大学の宅舎で、単身生活を送っていた。夏の間は、エアコンの効く六畳間に蒲団を敷いて寝ていた。普段は使わない部屋だ。その夜は、たまたま読みかけの本 「世界の測量 ガウスとフンボルトの物語」 を、仰向けに寝て両手で支えて読んでいた。ハードカバーの、かなり分厚い翻訳本である。

 突然、ガシャッという音とともに何か重いものが本の上に落ちてきた。そして、あたりにガラスの破片が飛び散った。初めは何が起きたのか皆目分からなかった。しばらく呆然としていたが、やがて天井から吊るしてあった蛍光灯が落下したのだということを理解した。古いタイプの、電燈の笠の形をした明かりである。その鎖が外れて照明器具全体が顔の上に落下したのだ。割れたのはサークラインの蛍光管である。

 調べてみると、鎖が切れたわけではなく、天井のモルタルにねじ込んである留め具が抜けて外れていた。スイッチを操作するたびに紐を引っ張るので、だんだん緩んできていたのだろう。

 後になって、本当は 非常に危なかったのではないかと気が付いた。そしていくつもの偶然が重なったことも分かった。

 まず、真夜中のあの時間に、ひとりでに留め具が外れるというのが不思議である。その時の私の顔の位置が、ちょうど蛍光灯の真下にあったのも妙だ。普通だったら眠ったまま顔を直撃されて、大怪我していたに違いない。不思議なことに、その夜に限り、本を読んでいた。しかも文庫本ではなく、ハードカバーのごつい本を、盾のように顔の真上にかざしていたのである。 まるであらかじめ防御態勢をとっていたようなものだ。

 

 倒木に打たれて亡くなった方は、偶然、その時間にその場所を通りかかったわけだ。私の場合は、運命の秤が、あの夏の夜の午前2時に左右に揺れて、最後に助かる方向に傾いたとしか思えない。すべて偶然のなせる業だったのだが、私は運が良かったのか悪かったのか、いまだに狐に抓まれたような気持ちでいる。



                                          (Nov. 2016)

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