歯ブラシ研究者の悲哀

 歯ブラシ業界はつらい。歯ブラシというものを、一度、じっくり眺めてみよう。どうひっくり返してみても、毛の部分と柄とからなる基本的構造は動かしようもない。その機能は、要するに歯と歯茎をゴシゴシこすって、食べ物の残りかすをこそげ落とす以外に何もない。歯ブラシ業界では、この単純きわまる構造の商品をめぐって、厳しいシェア争いを繰り広げているのである。これほどつらい闘いはあるまい。
 自社ブランドの歯ブラシの売れ行きが落ちはじめると、歯ブラシ会社(?)はモデルチェンジを行う。モデルチェンジと言ったって、毛の部分を変えるか柄の部分を変えるか、二つに一つしかありゃしない。そのたびに、「毛先が球」になったり「極細」になったり「山切りカット」になったり、固くなったり柔らかくなったり、柄が伸びたり曲がったり、「ビトゥィーン」と弾力的になったりする。このモデルチェンジは、消費者が前のモデルチェンジを忘れかけたころを狙って、適当な間隔をあけてやらないといけない。「毛先が球」と「極細」の交替をあまり頻繁にやると、「なめとんのか、おまえ」と消費者に胸ぐらを掴まれる。
 歯ブラシは鶏卵とならんで物価の優良児である。赤ん坊と歯の全滅した年寄り以外は、国民のほとんどすべてが朝に夕べに使うものだから相当な市場である。すなわち薄利多売。しかし、なかには一本100円か200円の歯ブラシを半年も使う物持ちのいい奴もいるからたまったものじゃない。そこで歯ブラシ会社の社長は、もっと付加価値を高めた高級ブランドの歯ブラシ開発を命ずる。賄いのおばさんを含めて職員が3人しかいない歯ブラシ中央研究所(歯中研)の研究開発担当者は苦しみぬいて、ある日、携帯電話を組み込んだ歯ブラシを思いつく。「そうだ、これなら朝からお友達と話が出来るぞ。商品名はテレブラシ。・・・・。あーっ、馬鹿馬鹿、歯を磨きながら喋れるもんか。くそっ、俺はなんて発想が貧しいんだ」と頭を掻きむしる。「しかたがない。毛先をまた丸くしよう」

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