人間は一本の管である

 平成16年9月15日の朝、イタリアはパレルモで行われる予定の国際会議に出席するつもりで、伊丹から成田に飛んだ。成田空港でお腹がゴロゴロ言い出したのでトイレに入ったら、大量に出血して便器が真っ赤に染まった。一瞬、何も無かったことにして、このままイタリアに行ってしまおうかと考えたのは、我ながら愚かだった。しかし、すぐに分別が戻ってきて、出張取り止めを決断した。航空会社のカウンターに申し出て、荷物を取り戻し、旅行会社と自宅に電話、羽田から伊丹への飛行機の手配、リムジンバスで羽田に移動と事態はバタバタと進行し、午後の2時には自宅に逆戻り。夕方には大阪市内の病院に入院していた。運命の変転かくのごとし。この間、まっ先に考えたのは仕事のことである。長期入院になると相当困る。

 翌日、内視鏡検査とあいなった。私の主治医となったのは若い女医のA先生である。ちょっときつそうな感じの美人。しかし、こちらはもうモノになり切ってしまっているから、恥ずかしいなどという気はぜんぜん起きない。ひたすら「ありがたい、ありがたい」と思うばかりである。もうひとり、これも若い男性のお医者さんがいて、実際の内視鏡操作はこの人が行った。

 身体を横にした目の前のモニターに大腸の中が写し出される。大腸内部と言ったって、午前中に2リットルの下剤を飲んで洗い流してあるからきれいなものである。何となく、「洪水の後のアウゲイアスの牛舎」という感じである。A先生が男性のお医者さんの後ろに立って、時々、指図している。
「そこ、もっとよく見たいね」
「はい」
どうも新人医師の研修も兼ねているんじゃないかという疑念が生じる。

 S 字結腸のあたりで、鍾乳洞の中のように道が幾つかに分かれているように見える所に出くわした。
「あれえ、大腸って一本道じゃなかったんですか?」
と、私はこの時、一生に一度の馬鹿な発言をしてしまった。
「行き止まりの穴です」
これが大腸憩室だった。大腸憩室に興味のある方は各自、勝手に調べて頂きたい。

 どんどん大腸の中を上がっていく。まだどこかで出血が続いているらしく、ところどころ血で汚れている。水を噴射して洗い流しては、腸壁を観察する。悪いものが見つかりはしないかと嫌な気分だ。ときどき、お腹がはって猛烈に痛くなる。苦し紛れに頭の中で、イタリアとの時差を計算してみる。何も無ければ今ごろは海辺のホテルで朝食をとっている時刻だ。はるかなシチリアの青空を思い、私は呻吟した。

 ぐるりとお腹をひと回りして、とうとう大腸の突き当たりまで来てしまった。
「小腸にも入ってみよう」
「はい」
プライバシーも何もあったものじゃない。しかし、ここへ来て「小腸はいやです」なんて言えた義理ではないので黙っていた。
 男性のお医者さんが、盛んに手許のハンドルみたいなものを操作しているがうまく入れない。
「どれ、ちょっと貸して」
とA先生が交替すると、すぐにうまくいった。最初からそうしてくれ。
「上からは流れてこないね」
どうやら出血場所を探しているらしい。

 パチリパチリと記念写真(?)を撮ったり、内壁の細胞をサンプルとして摘みとったりしながら、逆戻りして直腸まで帰ってきた。
「悪性の腫瘍や大腸炎などはありません」
というA先生の言葉にほっとするが、
「出血は憩室かな?」
「もう一度、小腸まで行ってみよう」
と二人で話し合っているのを聞いてゲンナリした。結局、同じ行程をもう一度繰り返すことになった。すべて完了したのが開始2時間後だった。通常は30分程度で終わる検査である。とりわけ入念に検査して頂いたのだ。病室に戻ると、妻が不安そうな面持ちで待っていた。検査が長引いたので、悪い結果が出たのではないかと心配したそうだ。

 三日ほど入院して退院となった。病名は「憩室出血」と決まったが、A先生はまだ気になるらしく、
「一応、胃の内視鏡検査もしておきましょう」
とおっしゃる。あの鮮血に近い血は、絶対に胃からの出血ではないのだが、とにかくこの際、徹底的に検査しておくつもりらしい。痛くもない腹を探られるとはこの事だ。

 胃カメラは、私がこの世で最も忌避するところのものだ。過去のつらく苦しい思い出が蘇る。しかし、やむを得ないので、一週間後に病院に出かけた。今度も若い男性のお医者さんだ。もっとも、私から見ればほとんどのお医者さんは私よりずっと若い。
 案の定、胃カメラを呑むのは猛烈に苦しかった。
「アメ玉を呑むようにゴックンして」
とお医者さんは言うが、普通、アメ玉は呑み込まないだろうに。どうしてもゲーゲーともどすばかりである。大腸鏡よりはるかに苦しい。思うに、これは入り口(片方は出口というべきか)にある随意筋の敏感さの違いによる。すなわち、防衛機能の差である。しかしこの話題はこれ以上深入りすると、とめどなく下品な話になるのでやめにしておく。
 何とか呑み込んだ胃カメラで、胃だけでなく十二指腸まで丁寧に観察して頂いた。結果は異状なしだった。

 かくして十日足らずの間に、大腸鏡と胃鏡の両方の検査を受けた私が、涙とともに到達した真理は
「人間は一本の長い管にすぎない」
というものだ。これはトポロジカルには厳密に正しい。しかし私が言いたいのは、そんな事ではなくて、もう少し実存主義的な考察なのである。実際、真理に目覚めてしまった私は、最近、男を見ても女を見ても、長い管が歩き回っているとしか映らなくなった。しかし詳細は別の機会に譲ろう。

 まだ貧血で多少フラフラするが、ようやく回復しつつある。この度の騒ぎで御心配と御迷惑をおかけした各位に深くお詫びして感謝し、ここに報告させて頂く。しかし、何の意味もないな、これは。

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