がけ

 今日、久しぶりに紅葉橋の上から「がけ」と電車の線路を見た。


 少年時代、私は迅速に夢見たが時の流れは糖蜜のようにゆるやかだった。
学校ではひたすら退屈していた。先生は、とうに私の知っていることしか話さなかった。私はお行儀よくするように躾けられていたので、来る日も来る日も椅子に座ってじっと我慢していた。一日の授業から解き放たれると、本当の自分の時間が始まるのだった。

 岬の先端のような台地の町に住んでいた。近所には同い年の子供も年上の子供も年下のちびもいた。2歳年上のKが親分肌のリーダーだった。子供たちは強い団結力で結ばれ、侵略をほしいままにしていた。垣根の穴をくぐりぬけ塀を乗り越えて、よその家の庭を走りぬけた。防空壕跡の洞穴を探検したり、遠征してくる隣町の子供たちとにらみ合いをしたりした。大人たちは毎日を生きることに精いっぱいだったので、子供の世界に入り込んでくる余裕などなかった。

一年が永遠に思えた。


 一人の時は、私は本を読んでいた。洋間の本棚に並んだ祖父や伯父たちの蔵書を読みふけった。「世界怪談名作集」を見つけ、「スペードの女王」や「砂男」や「ラザルス」を読んだ。ディケンズの「信号手」を読んだとき、私はすぐに「がけ」を思い浮かべた。「がけ」というのは私たちのたまり場の一つで、ほかの集合場所には「八幡山」や「お墓」などがあった。

 「がけ」の下には省線電車の線路が通っていた。途中に二つしか停車駅のない短い路線を、チョコレート色の電車が一時間に何回か往復していた。都心の駅から北に向けてやってきた電車は、「がけ」で台地から低地へ抜ける。そこは日当たりよく開けていて、「がけ」の上の小道からは轟音を立てて走り抜ける電車の屋根が見下せた。「がけ」の斜面には草が生い茂っていた。私たちはその急斜面を駆けまわったり、また春には野蒜の根を掘ったりして遊んだ。年上の連中は、線路の脇まで下りてゆき、レールの上に太い釘を並べて側溝に身を隠した。電車が通り過ぎると、釘は車輪に轢かれて平たくなっていた。Kは手裏剣だと言ってそれを私にくれた。

 線路を南の方向にたどると、反対側も高くせり上がってきて深い切通しになり、その上をできたばかりの国道の紅葉橋がまたいでいた。そのあたりになると「がけ」も線路もうす暗く湿っていて、だれも近づくものはなかった。「信号手」を読んで思い出したのは、この暗い切通しの光景である。

 「信号手」は、崖下の谷間を走る鉄道の信号所を守る男が、死を予告する幽霊に悩まされる話である。その幽霊が現れると必ず線路上で事故が起き、死者が出るのだが、いつどこでそれが起きるのか、決して教えてくれないというのである。  
それがまた現れたのです、と信号手は怯えて「わたし」に言う。
「おーい、下の人」
とその幽霊は呼びかけるのだ。片手を目にあててもう一方の手を振りながら。

 「わたし」が再び信号所を訪ねたとき、信号手が機関車に轢かれて死んだことを知らされる。機関車の運転手は
「おーい、下の人、見ろ見ろ、と大声で叫んだのですが気づかないのです」
と「わたし」に言う。
「そして最後はもう見ていられなくて、片手を目に当ててもう片方の手を必死で振り続けたのです、このように」

この世で怖いのは現実ではなくて、その予兆だということが私にはわかった。


 私がそれを見たのは、そろそろ家の近所で遊ぶこともなくなった頃のことだ。永遠も終わりに近づいていた。紅葉橋の歩道を歩いていくと、数人の大人が手すりのそばで立ち止まっていた。皆、黙って線路の方を見下している。切通しの線路の上には鉄道の作業服を着た人が何人もいた。誰かが電車に轢かれたのだと分かった。不思議なことに、轢いたはずの電車はどこにも見えなかった。

 線路の横に白っぽい大きな箱が置いてある。ぼんやり見ていると、作業服姿の男が線路からまっ白い棒のようなものを拾い上げ、無造作に箱に入れた。私はそれが何であるのか気づき、全身が総毛だった。

 このあと私は中学生になった。

                                     (Feb. 2015)

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