不幸な技術

 書籍のたぐいはほとんど東京に送ってしまい手元にないので出典を確認できないのだが、30年ほど昔にFreeman Dysonが原子力発電を「不幸な技術」と呼んでいたと思う。

 現代社会を支える科学技術はどれも、民間活力による自由競争の原理に従って研究開発が進められ、あらゆる可能性が試されることによって、淘汰され洗練されて安全性と効率が高められてきた。しかし、原子力発電だけは例外である。そもそもの発端が国家機密である兵器(爆弾)であったことに加えて、万一事故が起きたときに予測される破滅的な結果に対する恐れから、その開発は国家による強い規制を受けざるをえなかった。最初から失敗することを許されない技術だったのだ。そのために、試行錯誤によっていくつもの方式を試すというチャンスも与えられず、極めて硬直した形で発展せざるを得なかったのである。Dysonはまじめに、今とはまったく違う別の方式もありえたはずなのに、と言っている。

 日本では、これに加えて広島・長崎の原子爆弾被爆という悲劇が重なる。さらに1950年代から60年代へかけての核兵器開発競争が追い討ちをかけ、ビキニ環礁、第五福竜丸、死の灰などのイメージが国民的なトラウマのように心にのしかかってきた。私の記憶によればスリーマイル島原発事故の頃、大学からは「原子力工学科」の看板が消え、「量子エネルギー工学科」のようなわけの分からない名前にすげ替えられた。それでもなかなか学生は集まらないと聞く。

 ある情報によると、現在、東京電力の取締役以上は事務系の人がほとんどで、原発プラントの専門家がいないという。そうなった理由は、2002年に発覚した福島と柏崎刈羽原発のトラブル隠しとデータ改ざん問題で、東電が原子力関係者を忌み嫌い、社長以下の原子力発電関係者を上層部から追放してしまったからである。トップが原発プラントの実際を知らなければ、大事故が発生した時に、責任をもって的確な指示が出せるわけがなかろう。

 いま、日本の全電力の26%ほどが原子力発電によってまかなわれている。原子力発電は、すでに巨大な産業に成長しているのだ。その関係者が、会社上層部で「忌み嫌われている」という事態は異常だし、極めて危険である。そういう意味でも、原子力発電は「不幸な技術」なのだ。

 現在(2011年4月2日)も、福島第一原発での苦闘は続いている。これ以上の大きな災害をもたらすことなく、事故を収束させることができるかどうかは現時点では全く不明である。一度、くびきを放たれて暴れだしてしまった怪物を、再び制御することがいかに困難を極めることか。この事故で、原子力発電という技術が、原理的に人間と共存できるものなのか否か、あらためて疑問に感じている人は多いだろう。しかし、現代社会が原子力発電なしにやっていけるものなのかどうか?

 「自由人」Dysonもすでに年老いたが、彼ならいま何と言うだろうかと考えている。

 

                                 (April 2011)

 

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